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水頭症の診断から、経過、今の心境。本日13時、わが子、会える。

新年あけましておめでとうございます。病室のベッドの上です。本日2021年1月5日、13時に帝王切開を予定しています。

この子は2020年9月14日、妊娠24週、6ヶ月検診の時に通っていた産科の先生から水頭症の可能性を指摘され、直後に転院しました。

コロナ対策で年末から入院、本日晴れて出産の日を迎えました。39週1日。ありがたや。

ここにくる前、別の病院に紹介状を書いてもらったのですが、そこで「ぶじに産まれてくるかどうかもわからない、まずは最悪の事態のときどうするか(生かすのか、お腹の中で安らかに看取ってあげるのか)まずはお父さんとお母さんで考えてもらう必要がある」と言われ、原因も知らされていないのに、2日前にわかったはじめて聞く病名なのに、そんな状況でそんな判断くだせと今、言われないといけないのかと憤りました。

その際、エコーは見てもらいましたが、「ここには脳外科の先生がいないので、紹介状を書きます」と最後に衝撃の発言を浴び、今にいたります。

診断直後は先生に言われた悲しい可能性がショック過ぎたのと、夫も私も会社に言いづらい理由で休みの申請を出してきたのに、別の病院にたらいまわしなんて! とかあの言い方はないよね! とか、そもそも診断これ合ってるの?! とか、周りのせいにすることで不安を消そうとしていました。

夜な夜なネット検索をしては落ち込んだり、カラ元気を出したり。夫を説得しながら、自分を励ましたり。でも、そんな一喜一憂にも3日で飽きました。

わからないことを考えても仕方ない。今、ここにいるわが子を信じると心拍も確認できていないうちにマガジンタイトルをつけたではないか、と今は思えます。

それも今の先生から「まずは40週にできる限り近づけて、下から産むことが目標ですね」と言われ、「安心しました」と夫を背中に感じながら、にじむ涙をふいた日、お姉ちゃんになることを予想外に喜び、甘えもガマンもぶつけてくる娘が書いてくれた、はじめての家族4人の絵に号泣したこと、義理の両親に打ち明けるときの反応が気になり過ぎて娘の誕生日会も上の空だったこと、自分の親に言うまでの葛藤、父からの考えすぎたことが伝わりすぎるたった5行のメッセージに笑ったこと、周りの反応にびくびくしていた時間を経験できたからなんですよね。

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あのまま何もなく、ぶじに出産だってもちろん幸せなことなんだけれど、どこか薄っぺらい私がいたんだと思います。

「ほーら、私はすごいでしょ、あなたたちとは違うんだから、私の生き方が素晴らしいから、こんなにスムーズにステキなことが起こるんだから」と口には出さない傲慢さと、もろい自信で自分を保っていたでしょう。

娘には「いいも悪いもない、フラットな視点で物事をみること」を教えてもらいました。正しいこと、いいことが起きる人生を無意識にも、意識的にも選び、それで周りからすごいね、とか認められている感覚に浸っていた私にはもう戻れない。

まだ知り得ない、一生かかっても知ることのできない経験をしている人たちがいて、それらの経験や気持ちや一時的な行動を私のたった40年の経過でジャッジするなんて、なんて小さな人生なんだろうと恐ろしい。

人間に産まれたワケは「経験するため」。昨日書いたこのブログの締めくくりもそうなりました。

いいも悪いもない、あるのは経験。それに対する感情、行動を楽しむのが人生。

何事も、たのしく、おもしろく、ありがたく感じたい。それが今の私の気持ちです。

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ちなみにエコーでの最新診断は3200g、頭の直径10センチ超えです。そして逆子☆





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