「あみさんの表現としては「書く」しか残らなかったんですね」エピソード100を書く理由。
「エピソード100とか、どうですか?」と
目の前の人は、静かな笑顔でサラッと言った。
「あ、そうですね」
そう言うしかないじゃない。
別に書きたくないわけじゃない。
ずっと出したいと思ってる。しかも8年くらい。
長すぎるでしょ。
いつかくる、いつかタイミングは来る。
それは思っていた。
やればできる。
それがふいに、こんな形でシンガポールにいる出会って1ヵ月の女性にサラッと言われ、あれからこうやって書き続けているエピソード100。
きっかけは、
なおさんの「深堀セッション」を受けたから。
きっかけというより理由だね。
これがじわじわ、すごかったんで、
会話形式で聞いてください。
最初にもらった質問。
「どんなことに興味関心がありますか?」
→「人のことに興味関心があります」
「人のどんなことに関心がありますか?」
→「なんでそう思うのってところに関心があります」
さらに、深堀が続きます。
小学生のころ、家族五人で外食に言った話を私は始めた。
「私、小学生だったと思います。だから、まだ妹とかは幼稚園とかで小さくて、家族で中華料理屋に行ってテーブルがあって、通路があって、向こう側にも家族がいるんです。私、通路側に座ってたんですよね」
うん。
「食べているけどこっちで会話してる内容がめちゃめちゃ気になるんです。何話してるんだろうって」
ああ、うんうん、それはどういう意味で気になってたんですか。
「食べながらこうやって止まって、こうやって見てるんです、私。お母さんから、あみちゃん、ちょっとって言われる」
どうして気になってたんだろう。例えば自分のことを何か話されてるのかなとかじゃなく、何を言って話してんだっていう。
「この人たちの関係性とか、このなんかこう、仲がいい家族なのかなとか、そう、感情、そんな感じを、その、どういう感じって話してるかが気に入って」
何を。うんうん。
「それをね、こうだったよねって後から母親に言いたいんですよ。うん、隣の人たちこんな感じだったよねって、そういうことを言って怒られることはないし。うん、でもちょっとたまに見すぎだよみたいな感じで、ちょいちょいって言われることはあります。だから人のことがなぜか気になるし、そういう人ってこうだよね、こうだったよねって母親で話してることがすごく楽しかった」
私は、母親との会話のきっかけに人を見ていた。
これを知って私はもうね…(言葉にならないんです)
深堀セッションの前に、なおさんとはじめて話した時のこと(京都とシンガポールからつないだ)
話すでもなく、絵を描くでもなく、
なぜ私は文章なのか。
子どもの頃の話になって。
過去のブロックの話にもなって。
私はブロックに思えることがふたつある、となおさんに伝えた。
その一つが、「思ったことをすぐに口に出したら、周囲や母親からぎょっとした顔をされたこと」二つ目は、あれ、なんだったっけ、忘れちゃった。あの日、なおさんが解除してくれたからかな。思い出せない。
だけど、なおさんが、
「だからあみさんの表現には「書く」しか残らなかったんですね」
と言われてたときに、固まってしまって。
あの時、悪役になった母親たちの映像が今は、私の生きる意味につながってるんだと思わせてくれた、なおさんのすごさと、それを好きでやっているという、うらやましさ。
そして、8年も右往左往していた私が1週間くらい書き続けられていること。
これが、エピソード100を書いている理由です。
最初の質問で、答えは出ていたんです。
もう、なおさーーーん!
すごぉぉぉぉい!と表現したいのですが、
軽くなりすぎちゃいますよね。
言葉は時として、
そのままを表現できないのですが、
できるだけできるだけ瞬間冷凍してお届けします。
どうか、お察しください。
instagramよりメッセージをいただくか、私とコンタクトを取れる方はその方法で大丈夫です。詳細はその時にお知らせします。
ただ、聞いたエピソードが必ずカタチになるかと、カタチにする方法はお約束できないのですが、私の頭の引き出しに入れさせてください。
AMIあみ
こちらから読めます。
ありがとうございます! ひきつづき、情熱をもって執筆がんばりますね!