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離れると生まれるものー山崎ナオコーラ「美しい距離」

距離、そう耳にするとなんだか長さを意識する。
短かったり、長かったり、目的地まではあとどれだけだろう、そんな風に。 単純な単位としての、数字としてのキョリの意味合いの方が身近で。

山崎ナオコーラの『美しい距離』。
そもそも距離、その言葉に興味を持ったことがなかった。
距離は距離だ、いつも使うような、味気ない「キョリ」、そういう感じ。

でも、実はそんなことはないらしい。
距離は、離れ方の大きさ、そう言い換えることができる。
「離れる」という動きが距離を生む。なんだか面白く聞こえる。
その通りだ、「離れる」から、だから距離はそこに作られる。

そう思うと日常は少しばかり面白みを増す。
私は何かと離れ続けてもいるし、近づき続けてもいる。

動き続ける、変わっていく「距離」
でも距離は失われない。

亡くなった人との距離は失われるのか、
プツンと音を立てて、切れてしまうのか。
きっとこの世界はそんな単純ではないらしい。
世界から消えてしまったと思われた点は離れていくだけのようだ。
ゆっくりとゆっくりと時間をかけて、亡くなった人との距離は変化していく。
いざとなれば、そんな綺麗なふうに思えないかもしれないけれど。

それでも私たちは「距離」を生み続ける。
日常の中で「距離」はいつも私たちとある。
「変わっていく」という前提があるから「距離」がある。
日々膨張する宇宙と一緒に変化し続けている。
変わるけれど失われないもの、それが「距離」だった。

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