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#91 自由に生きるのは幸せか?
こんばんは。
歌っているとどんどん喉が痛くなって鼻声になるのが、明らかに発声方法が間違っているということだけはわかるものの、具体的にどうすればいいのかちっともわからない、きなこです。
(ボイトレ行きたいくらい悩んでる)
さて、今日は昔の記憶を振り返りながら、昔の生活が今につながってるなと思う点を考えてみたので書いてみました。
ちょっと読み返してみましたが、自分でも何言ってんだかよくわかりません。
どうか温かい目で、最後までよろしくです!
(以下敬体変わります)
あたしンちの教育方針
私の家庭は所謂放任主義。
父から怒られた事はほとんどない。
(機嫌が悪くなるとヒステリックになるくらい)
自転車の乗り方も、多摩川に家族3人で行って練習するはずが、兄と父が野球の練習を始めるもんだから、一人で練習して乗れるようになった。(薄い記憶だけど光景が残ってる)
箸の持ち方も、テレビで汚い箸の持ち方を見てから自分の持ち方がなっていないことを知って、ネットで調べて練習した。(小学生の私、えらい)
17時のチャイムが鳴ってみんなが晩御飯を食べに帰っていく中、
私は駄菓子屋さんで時間を潰して父の帰りを待っていた。
勉強も、流石にやばいと思ったら父にお願いして塾に行かせてもらって、
高校受験も大学受験も留学のことも、
何も相談せず一人で決めてきた。
家族と話し合うという習慣が幼少期からなかった私は、家族とどう話せばいいのかいまだにわからない。
もちろん何も相談は出来ないし、
日常会話すらなんだかイレギュラーな感じがしてむず痒い。
親からしたら自分の子供が何も話してこないと言うのは
不安で寂しいことだろう。
だけどこればっかりは、なかなか未だにハードルが高い。
「自由」を選択した私
少し話が逸れたが、
自由な教育方針のもと育った私は、自由な人間になった。
だけどそんな自分を私は案外気に入っていた。
家のルールがたくさんあって、門限という縛りの中で過ごしていることも、
母親がいないと何もできない友達のことも、
親の意見を聞かないと何も決められない友達のことも、
心の中で「かわいそう」と思っていたのかもしれない。
だけど、大人になるにつれて「自由」というのが、
「規則」のなかで生きるよりもずっと大変なことなのだと知った。
自分で決めたのならそれは全て自分の責任であって、
自由な時間をどう使うかも全て自分の選択次第。
大事な時間をドブに捨てることもあるし、
有意義に使うこともできる。
一方で規則や組織の中で過ごすどうだろう。
子供の頃の親に守られた生活は、全て親の選択に左右された。
食べるものも、洋服も、親のこだわり度合いによって大きく変わる。
だけど一般的な生活習慣は保障されているし、
自分に選択権がないことも楽だ。
大人になって会社という組織に入ってもそれは同じ。
誰かがちゃんと給料を一定額毎月振り込んでくれるし、
決まった仕事を真面目にやっていればある程度は生きていける。
組織の中で頑張るというのは、前進者がいるから色々と選択もしやすい。
「自由」というのは、大人にとっても子供にとっても、
同じくらいメリットデメリットがある気がする。
「縛られた世界」というのもまた同じく。
一つ確かなのは、小学生の頃の大量の夏休みの宿題を一つもやらずに白紙で出したことは、明らかに間違っていた。
そして今の時代、「自由」を求めて動き出す人が爆発している。
どんどん個の時代になっていく中で、
私はどれだけ自分という存在に価値を生み出せるだろうか。
どれだけ時代の波に乗っていけるだろうか。
不安だけど、今とてもワクワクしている。
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