見出し画像

【映画】花束みたいな恋をした

随分前に観たのですが書きます。

この映画は、絹と麦という名前の2人の男女が恋に落ちて、別れていくまでの5年間を描いた物語だ。

この映画の面白いところは、出会いやタイミングなんかはとても普通では起こり得ないようなファンタジーを交えているのだが、男女2人の心情はとてもリアルに描かれている。

そのバランスがなんだか可笑しくて、心地よくて好きだ。

ファンタジーな出来事と言ったが、恋をすると些細な出来事やタイミングが大ごとのファンタジーに見えてくる感覚はあるかもしれない。
そう思ったら全く不自然ではないんだと考えを改める。

この話はなかなかに男女の心理をついているように感じた。
多分、男性と女性が観た感覚ではまた感想が違うだろう。

サブカルという世間からはマイナーと呼ばれるようなものが好きな2人が惹かれあっていくのだが、この物語はあまりにもそれを誇張していて観ていて昔の自分を見ているような気がして恥ずかしくなった。

突然だけど昔話をします

私は小学生の頃に、周りとはちょっとずれたところがある。という認識をもつようになった。
それはもともと絵を描くことが好きなのが発端だ。
もちろんそれ自体はなにもマイナーなことではない。ただ、一般的に流行るものだったり、みんなが好きとされるものに心から興味を持つことができなかった。
ただ周りから除け者にされるのは嫌だったので、必死に流行り物を真似たり周りに合わせたりしていた。

そんな思いを抱えながら、中学2年になった私はずっと通っていた絵画教室の先生からデザイン科がある高校を勧められた。

そしてその年にその高校の文化祭に初めて行った。私は驚いた。そこには絵を描くことや、何かをデザインすることを堂々と周りの人間と共有し、楽しそうに過ごしている高校生たちがいた。

私は今まで周りの友人に本当に好きなものや事を共有したことがあまりなかった。全く言わなかったわけではない。
本当に仲がいい友人には好きなものの話をしたりもしていたが、もちろん分かってもらえるわけではなく、あんたって変わってるよね〜と言われるだけ。それが嫌とかではなかったが、その高校の文化祭を見に行ってから確信に変わった。私は誰かとこの思いを共有したかったんだ。

その後私は、その高校をなんとか合格し、そこで出会った友人とは本当に好きなものの話を共有できたし、周りからの刺激も大きかった。

その頃から、この映画でいうサブカルではない人(地元の友人など)と距離を取り始める。

遊びの連絡も、今課題で忙しいから〜などと毎回断っていた。(今思うとそんな私を毎回誘ってくれた友人達には感謝の気持ちでいっぱいだ)
彼女たちと話しても何もわかってくれないしな。なんて超上から目線で一線を置いていたのだ。

その後デザインの専門学校に行ってからは、更に好きなものの探求は続き、メジャーというものから一線を、自分は周りとは違うという昔は嫌としていたことが、その時にはそれが気持ちいいくらいの感覚に変わっていた。

なんて痛々しい…
長くなったが、この映画の主人公2人はまさにそれだ。

2人が終電を逃して出会うシーンで、同じく終電を逃した会社員であろう男女2人と4人でカフェに行くシーンがある。
その中で、その男女2人が
男「映画観るけど、俺結構マニアックだよ〜ショーシャンクとか!」
女「私は最近魔女の宅急便の実写をみましたよ!」
なんて会話するシーン。
そこで絹と麦は心の中でその2人を見下し、バカにする。この人達は何もわかっていない、なんて思って一線を置くのだ。
たしかにそのものを大好きで誰よりも知識がある!と自負していたら、上っ面だけでそれを語られたら腹が立つということも分からなくはない。
だが観る映画だって、何が面白いかだって人それぞれの感性で自由なのに、だ。

そんなこんなで、この映画の2人はあらゆる場面で周りの人と自分は違うという、サブカルマウントを取り続ける。

これが、昔の私と重なりイテテ〜と赤面しながら観ていた。

学生の頃はあんなに痛々しかった私も、社会人になり、業種的にもやっていることは学生の頃とあまり変わりはないのに、考えは変わった。

まず、サブカルという言葉が嫌いだ。
メジャーもサブも別に分けなくていい。その人が好きになったものがどちらに面していてとか関係ない。そのどちらにも良さがあって、それこそお互いの良さを共有し合えた方が視野が広がるし新たな楽しみは生まれるということが分かったから。
同じことが好きで共有し合えたら、もちろん楽しくて幸せでとてもいいことだ。だからと言って、自分と同じ感覚や知識を持たない人を見下すのは違うということだ。

映画の感想とはめちゃくちゃずれてしまった笑

とにかく、この映画にはそんなサブカルチャー要素満載な痛々しい2人が、大好きなものだけでは食っていけず、一般という社会にもまれながら必死に生きて恋をして、それが恋ではなくなる話だ。

一見悲しい話に聞こえるが、見終わった後は清々しい気持ちになる。
2人にとってその5年間は決して無駄なものではなく、それこそ本当に花束みたいな時間だったのだ。

坂元裕二の、いちファンな私にとって大満足な作品であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?