見出し画像

私は日記ができない

 すごいくらい日記が続かない。本日28日が、9月に入って初めての更新である。今書いているのも、noteから「9月中に書けば更新記録が止まりませんよ!ぜひ書いてください!」という、機械的に善意をコーティングした生暖かいプレッシャーに負けて重い腰を上げたからであり、その通知がなければのうのうとスルーして「すっかり町もハロウィンだな~」と阿保面下げてのんきに10月を迎えていただろう。少なからずこんな私のnoteにわざわざ出向いて読んでくれている人(主に友達)はいるので、その人たちのことを思うとこの体たらくはさすがに申し訳ない気がする。

 どうして私は日記が書けないのだろう……と小さな脳みそを使って論理的に考えてみたところ、「どうしても面白い文章を書きたい」という思いが自分の中にあるからだ、という結論に至った。「今日何もしなかったな…こんなつまらない日のことを日記に書いてもつまらないから書かなくていいや」と日記を書かなかったり、逆に面白いことが起こっても「この面白さを存分に発揮する文章を書くには時間が必要だ」とネタを温存したりする。そして楽しかろうがつまらなかろうが日記が書けないという四面楚歌状態に一人で陥っていたのだ。じゃあ続かねーーーーわ!!!続くわけないわ、そんな奴の日記。

 ちなみにここでいう「面白い文章」とは「自分が読んで面白い文章」を指す。今まで上げた日記は、一応私が読んで私自身が楽しめたものをアップしているつもりだ。まあ後から読み返して「あんまりおもしろくないな……」と思った日記もあるけれど。

 そもそもnoteで日記を書き始めた理由が「文章を書くハードルを下げるため」だったのに、その日記の執筆ハードルを自分で上げていたのなら本末転倒である。これが”手段の目的化”か……と受験生時代に嫌というほど塾の現代文のテキストで見たワードを理解した。

 じゃあ気分が乗った時だけ日記を書けばいいじゃん、とも思ったが、私は文章を書くことを習慣化したくてnoteを始めたのである。

 こんなことを堂々と書くのもあれだが、私は物事を「習慣化」できたことが今までで一度もない。受験から小テストから習い事の発表会から、すべてを火事場の馬鹿力で何とかしてきた人生であり、ウサギと亀で例えるなら断然尻に火のついたウサギである。課題は期限ぎりぎりに勢いで終わらせるしテスト勉強は深夜から本気を出しているし、早寝早起きや日々の運動は一向に習慣化しない。ダイエットは1日で飽きる。私から遠い言葉1位は「継続は力なり」と言って間違いないだろう。ちなみに2位は「場合の数」で3位は「陸上部のマネージャー」だ。

 それを打破したくて始めたのが毎日日記を書くことなのである。やる気満々の「よっしゃ~~~~文章書いてやるぜイ~~~~~」なテンションにならなくても文章が書けるようになりたくて始めた。結局続いてないんだけど。

 理想は「毎日面白い日記を書き続け、月1回は日記以外の記事を出す」だが、これがかぐや姫のお題並みの無理難題であることは百も承知である。竜の首についている玉をとってくるほうがまだ簡単にも思える。

 つまり質か量、どちらかの妥協が必要なのである。

①質の妥協
どれだけつまらない内容でもいいから、もはやゴミでもいいから、毎日日記を続ける。日記を書く時間も決める。

②量の妥協
頻度を月4回くらいに落とし、その分自分が納得のいく文章を上げる。

 今のところ思いつく妥協策はこの2つなので、とりあえず①を目標にやってみようと思う。①があまりにもしんどくなったら②に移行するかもしれないが、頑張れるところまで頑張りたい。面白い日記を書くことが目的なのではなく、毎日文章を書くことが目標だということを忘れないようにしたい。

 ……嫌だ……できる限り人様にゴミなんて見せずに生きていたいのになぜこんなことを……という気持ちはめちゃくちゃあるけれど、一生完璧なものだけ人に見せたいというマインドを持ち続けるといつか本当にまっっったく動けなくなりそうで怖いので、ここらでいっちょぶっ壊していきたい所存でございます。というか前回の「ド短絵日記」がかなりゴミだったのでもういい気がするけどね。

 というわけで、更新頻度が上がる代わりにかなりクオリティが下がる碧の日記をよろしくね!



 こうやって人様の目に届くところに書かないと本当にやらないのよ私ってやつは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?