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言葉の個性〜君は誰なの?〜

言葉は不思議だ。
雑踏に塗れる駅のホームで夜12時一人で思ってる。
電車に乗るとびっくり、私以外全員スマホを見ている。
これが新たな日常風景か。

言葉は不思議だ。
すっごく近くて、頭の中にもあるのに正体不明な存在だ。

でもなぜか
欲求と欲望の違いのように
希望と期待の違いのように
”は”と”が”の違いのように
こんな近い言葉でさえ、我々はうまく使い分けてちゃんと使っている。

でもその違いって何?と聞かれるとこれまた困ってしまう。
でも使い分けている。

言葉は言い換えることができる
期待を小さな希望と言い換えたり
悪を罪と言い換えたり
君をあなたと言い換えたり

でもどの言葉もその言葉にしかない個性を持っている。
言い換えられた言葉はもとの言葉と=の関係ではない。

どれだけ悪と罪が近くても、恋と愛が近くとも
君とあなたがほとんど重なるほど近くても
どれだけ言い換えが可能であったとしても
その言葉にしかない個性がそこにはある。
オリジナルがある。

これは人間も同じだ。
どれだけ似た人でも、どうやってもその人”らしさ”のようなものがある。
どんなに考えたって割り切れない、そんな”らしさ”が人にも言葉にもある。
どんなに割り切ろうとしても、そんなに括ろうとしても
”あなた”そのものは割り切れない。
”その言葉そのもの”は割り切れない。

だから恋愛の話になって「どんな人がタイプ?」と聞くことには意味がない。
例えばそれで
1「頭が良くて」
2「顔が良くて」
3「優しい」
という言葉を三つあげて、その三つを満たす人が二人出てきたとしよう。
ではその二人は同じだろうか?
全く違う。どれだけ言葉で割り算できても最後には”その人性”みたいなものがある。
だからどれだけ言葉で言えたとしても結果好きになる人はその人を形容する言葉ではなくて
好きになったのはその人になる。
だから言葉で好きな人のタイプを言っても実際にそんな人が好きになるかは分からない。

言葉も同じだ。その言葉を形容できても結局はその言葉の個性がある。

不思議だ。
だから言葉を目にしたとき「あたなは誰ですか?」といつも聞きたい。
そして人であるあなたを見た時も、ただ「あたは誰ですか?」と聞きたい。
それが言葉で答えることは無理だと分かっていても。

あなたがあなたである訳を、その言葉がその言葉である理由はいつも
過去にしかない。彼も時間の中でそうなったのだから

だから、あなたは誰ですか?
ではなく、あなたはどこから来たの?

と問うのが良い。

君は必ず何処から来たのだから。

言葉は不思議だ。
それ自体が宇宙であるように。

宇宙が遠くになく、私たちの心の中にある。

言葉という名前で。

こんな面白くて美しいことがあるだろうか。

世界は未知に輝いている。

そうは思いませんか?

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