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3Pと4Pの違い〜LIVEとMUSIC〜

前書き
この記事は現代のパンクロッカー、希哲学者、映画監督、文化人という奇妙な肩書きを持った男によって描かれている文章である。



先月新宿で久々にライブをしたのだけれど
久々のスリーピース体系でライブをやった。



ギターボーカル一人
ベース
ドラム
の三人

最後にスリーピースでライブをしたのは2年前くらいだと思う。
もう記憶にない。全国を小さな車で遠征しまくって年間100本くらいライブしていた時の感覚。一回ライブの意義を感じなくなって、また再開してからは四人でやっていた。

3P→4P→3Pでやるととてもその差がよく分かる。
それはやる側の心情の話であるが、ある意味バンドの本質や3Pと4Pの違いの深いところに迫れる感じがある

体感としての違いは
3Pはライブ
4Pはミュージック
という感じであった。

3Pのライブは、まさに轟音を鳴らしてその精神の衝動を剥き出しにして表現をする。
自分が無くなり音と精神と同化する感じだ。記憶もほとんどないし、客観的に何かを感じることもない。
一寸先は闇、目を瞑って走る時の恐怖感と快感が精神を包む。私はいない。常にその先に同化しようとする
全身の細胞は狂喜し、音は自らと同化する。武者震いが止まらない、というより武者震いの中にいる。肌からあのイボが出る瞬間の永遠の中にいる感覚。目の前は真っ白、真っ黒、そして世界色に見えてさすれば自分かなど問うこともない。一切の理性は停止し、ただライブそのものになる。

言葉はさらに乱暴に、”間”は奇跡的に音は生き生きと暴れ再生し脱皮しながら笑っている。横顔だけが見える。それを横目で見ながら得体も知れないそいつとダンスを踊る。踊る前に踊っている。それこそが大前提、子宮の中にいるように。
全身の細胞は狂喜し笑う。気がつけば曲は終わりギターを投げ捨てる。スローに見える世界はゆっくりと。たった一瞬の解放である。

4Pの時は全く違う。
丁寧にハーモニーに四人とも目掛けて走る。思考はきちんとしており、常にバランスに敏感である。
客の反応、音にらないみんなの心の声をできるだけ受け取り、それを徐々に自らの世界と融合させていく。
常に冷静に音を楽しみ操る。音楽を演奏している。主人は常に演奏者にある。
彼らを操り会場を支配する。細胞は冷静に敏感にコンマ1秒を感じている。その総体としての私は意識が明確にある。
そして音の気持ちよさを最大限に持っていく。さらにさらに気持ちよくしていく。
長く短い音の空間の最大公約数の時間である。

観念世界を言語化するとこんな違いがある。

メンバーに確認すると同じような感覚を共有していた。

三人の時はライブ
四人の時はミュージック

今後もこのようなスタンスでやっていこうと思う。
3Pでライブをやると音と自分が同化するので一切の作曲の意味を感じなくなる。
自分が音になっているので、音を外部化して作る作業の意味がわからなくなる。
ようやく抜けてきた。だから毎日作曲をリスタートできそうだ。

できれば3Pのライブの中で音と精神と同化してそのまま消えられたらいいのだけれど
それができないのが人間なんですね。とほほ。

今日はこの辺りで。

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