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働くのは、猫と丸まったあとで

「志望動機を教えて下さい」

「はい。困っている人の悩みを聞いて、心に寄り添い一緒にどうすればいいかを考えることで役に立ちたいからです」


・・これが数々の面接で、志望動機を尋ねられたときの常套句だった。どこを受けるにしても、この一行。

いつもそんなふうに「っぽい」ことを言い、くぐりぬけてきた。いくら頭をひねってもこの応答しか思いつかなかった。


当時、心理の仕事をするには「臨床心理士」という資格が必要だった。心理の仕事は、絶対に人の役に立つ仕事だ、という自信があった。

これだけ心が疲れ果ている人が多い時代。きっと求められる存在だ。資格さえあれば、いつでもどこでも、いつか子どもが生まれてブランクが空いたとしても・・どこかで必ず雇ってくれる。そこに疑いはなく、律儀に6年間心理学を学んだ。


しかも資格の受検は、卒業後の10月に行われる。少なくとも半年以上は「資格取得見込み」で働くこととなる。

そんな宙ぶらりんの状態で・・けれども専門性をもって社会へと一歩足をふみいれなくてはならない。

だから仕事に就けたときは心底ほっとした。宙ぶらりんな状態でも、雇ってもらえるだけありがたかった。


そういう意味では、希望のあるスタートだったのかもしれない。

最初の勤務地は精神科・心療内科の病院。

病院で働く。ただそれだけで「なんかすごい」感じがした。いつも患者としてしか踏み入れたことしかない場所に、医療従事者として居る。頼りにしていた存在たちの方にいることに酔っていた。

外来や入院患者さんのカウンセリングや心理検査をすることが主な仕事で、内容としては申し分ない。

それなのに・・ずっと違和感があった。


白衣を着て鏡に映る自分を見る。


「なにこれ」

ただそれだけのことで、泣きそうになり逃げ出してしまいたかった。意欲はあっても全くキャリアがない。何にもできないぺーぺーな自分。


しかし、そんな自分でも白衣を羽織ると「それっぽく」見えてしまうことに戸惑った。


「なんか専門家っぽい人がここにいるんだけど・・・」



外見と内面のギャップに目を疑った。本当は初心者マークを名札の横にでも、でかでかと付けておきたいのに。


ただ、白さがすべてを物語った。


わたしは、医療従事者としてここにいるのだ、と。



さらに厄介なことに、周りから仕事ができない奴だとは思われたくなかった。世間知らずのくせに、そのことを決して誰にも悟られてはならなかった。

まず困ったのは、薬の名前だった。


患者さんとの話の中ででてくる薬の名前がまったくわからない。

「そ、そんなことわたしに言われてもわかりません・・・」と逃げ出したかったが「そうでしたか、あとで診察で先生に相談してみましょう」と、にこやかにその場を取り繕った。


薬の名前にはじまり、その人の仕事のことを聞いても全くイメージできないことが多かった。けれどもわかったふりをして、ぎこちなく微笑みながら頷く自分に嫌気がさした。

「なんにもわからない・・」が心の中の口癖だった。



わからない言葉を耳にすると、あとから必死になって調べた。関連する用語も調べまくり、患者さんとの次回の予約に備えた。知らないことがないようにと、武装しまくることに多大な時間を要した。


「それって何ですか?」「どういうことですか?」・・こんな簡単なことが、やりとりの中で言いだせない。顔に出せない。

「わたしって、こんなんだったかな・・?」

まるでタネも仕掛けもないマジックを毎日繰り広げているようだった。何もわかっちゃいないのに、わかったような顔をする。それは詐欺に近かった。


そんなことを繰り返していると、だんだん人と関わるのが億劫になってきた。白衣を脱ぐと、どっと疲れがでて、何のやる気も起きなかった。休みの日は、次の仕事のことを考えてそわそわしていた。


次第に慣れてくるだろうと思ったが、転職を含めて5年経っても慣れなかった。どうしてもちぐはぐな感じがしていた。


今振り返ると「そんなんその場で質問したらいいだけやん・・。最初は誰でも知らんことばっかやん」・・そのたった一言でケリがついてしまうのかもしれない。

しかし、どういうわけだか、渦中にいるときは、わかっちゃいるけど「できない」「しない」「したくない」状態になる。そして、どんどん自分から疲れにいったり、問題を複雑にしようとしたりする。


というか・・そもそも「こころの専門家として働くこと」・・ただ、そのことがわたしにとっては鎧みたいに重たかった。


「このままで、ずっと働くの?」


そんな声は、当時の自分の耳に届いてはならなかった。



資格のために、ここまでやってきた。
その資格を活かして、働く。なんの問題もない。
そのうち慣れるから、大丈夫。


わたしは心理士だから。
自分のこころは、誰よりもわかってる。


その心は、だんだん自分を孤立化させていくけれど、当時の私は知る由もない。


けれどもずっと待っていた。


自分が、か細い声で何と言いたがっているのか。


「こころの専門家として働くこと・・今更だけど無理かもしんない」

いつの間にか、困ってる人は「わたし」で、心に寄り添い一緒にどうすればいいかを考える必要があるのは、紛れもなく自分の方だった。


働くことから、ちょっと距離をとりたい。


っていうか、なんか全部しんどい。


ここでうっかり死んじゃったら、この世にまた化けてでそうだ。それより、自分が生きてく方向にまなざしを向けてみよう。そしたら何が見えるのか。


働くのは、後回しでいい。


自分との話し合いが先だ。


でもそれよりしばらく猫とまるまっていたい。


おしまい

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