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Web広告業界で働く、杓谷匠さんの場合

取材:2024年5月

<最終学歴・職歴>

1984年生まれ
2008年 早稲田大学第一文学部人文専修卒業
2008年4月〜2010年 グーグル株式会社 広告営業担当
2010年〜2011年12月 アレックス株式会社(2011年4月から休職)
2012年1月〜2013年2月 ニート
2013年2月〜2014年6月 トリップアドバイザー株式会社 SEM(検索広告)運用担当
2014年7月〜 2016年8月:グーグル株式会社に出戻り 大手広告主担当チームのAnalytical Lead
2016年9月〜2019年 アタラ合同会社 運用型広告コンサルタント
2019年〜2023年 英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画
2023年〜 杓谷技研を創業して独立

<就活時代>

大学2年と3年の間に1年、ニューヨークに語学留学に行き、帰国後しばらくして就活が始まりました。

興味があったのは、出版社系や映画業界、エンタメ系、またはIT系でした。2008年当時はまだIT業界を志すが学生が少なったのですが、私が興味を持ったきっかけは留学中にAppleの製品や情報に触れたことでした。留学中は、Appleに入りたいとも考えていましたね。

しかし、帰国後の2006年に、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』という本を読んだら、急激にGoogleに惹かれていくようになりました。

就活中、東京ドームの合同説明会にGoogleがブースを出す情報を得ました。募集していたのは、新卒のエンジニア採用でしたが、とりあえず会場に行ってみることに。そこで、「文系採用してますか」と聞いたら、「もしかしたら採用するかも」との回答で、うれしくなって帰宅したのを覚えています。その後、大学3年の2月くらいにGoogleの検索エンジンの下に新卒の募集を見つけて、大手広告主営業チーム志望でエントリーしました。選考中は「Google好きです!」とアピールして、無事採用していただけました。


<職歴1 グーグル株式会社にて広告営業担当>


晴れて第一志望のGoogleに入社して、いちばん最初に配属されたのが、大手広告主営業のチームでした。その中でも国内最大手のショッピングモールを担当することになりました。

具体的には、消費者がキーワードを入れて検索した際に、検索結果にクライアントの広告が表示されるように設定する作業をしていました。ショッピングモールに登録されている商品の数だけ、キーワードをGoogle社内の広告システムに手動で登録する作業です。さらに、掛け合わせの言葉も登録する必要があります。それら全部のリンク先のページ(ランディングページ)を適切に設定して、いかに広告経由で消費者に購入してもらうかということをずっとやっていました。最初の1年は本当に地味な仕事ばかりで、ただ単純作業をこなすばかり。また、業界全体像もわかっていなかったし、代理店や広告主の言っていることもわからなくて、仕事ができない自分に落胆することもありました。

1年半経って、仕事にも慣れ、自分で仕切れるようになってきたころ、大きな組織変更がありました。この組織変更をきっかけに、2年目からは広告主に直接営業に行くようになり、大手ネット銀行や自動車会社の担当をしていました。

入社して3年目、当時日本法人の代表を勤めていた方が辞任することになりました。その方が辞められる時に、個人的にメールを送ったんです。「私はまだGoogleにいるつもりなんですけど、世界にはまだ隠れたビジネスチャンスがたくさんありますから、ぜひ新しいビジネスを作ってください」と。そのメールがきっかけとなって、彼がこれから立ち上げる会社に来ないか、と声をかけてくださいました。まだGoogleで働きたいような気もして、だいぶ迷ったのですが、Googleの社長だった人が始める会社で、かつSONYの元会長の出井氏も一緒だとのことでした。そんな機会は滅多にないと思って引き受けることにしました。


<職歴2 アレックス株式会社にて事業立ち上げに従事>

アレックスでは、主に会社立ち上げの準備を手伝っていました。特にGoogleでやっていたWeb広告関係の仕事はしていなかったです。

入社後半年から1年くらいしたころに、日本の商品を海外に販売するWebサイトの構築を担当。思ったほどに売上が上がらず、なにも貢献できていないことに気落ちしていたところに、東日本大震災が起こりました。1週間くらい自宅待機をしていたら、そのまま体調を崩してしまって。実家に帰って休養していたのですが回復せず、2011年12月、会社と相談して、そのまま退社させていただくことにしました。もうしばらくのんびりしよう、と決め、実家に居座ることにしました。


<休養期間(ニート)>


ニート期間中はだれにも会いたくなくて、ひとりで過ごす時間がただただ流れていきました。都落ち感が半端なくて辛かったです。

そんな日々を半年くらい過ごして、もうさすがにこれではいけない、と思うようになってきました。ちょうどそのころ、テレビを見ていたら、安倍晋三元首相がテレビに出て、総裁選に出ます、と言っていて。霞ヶ関で演説するというFacebookの投稿を目にして、とりあえず見に行ってみようと思い立ちました。それがきっかけになって、それから月1くらいで東京に行くようになり、就職活動をしようと思うようになりました。そのタイミングで、Google時代の先輩が、トリップアドバイザーに転職して、「君にもポジションがあるからおいでよ」と言ってくれて。そうして2012年2月ころ、トリップアドバイザーに入社することになり、社会復帰を果たしました。


<職歴3 トリップアドバイザー株式会社にてSEM(検索広告)運用担当>


トリップアドバイザーでは、Googleでの経験を活かした検索広告の運用担当になりました。

トリップアドバイザーはとても先進的なことをやっていて、2012年当時からAIを使って広告の運用をやるような会社でした。広告運用の自動化技術がとても進んでいて、これはすごいなと思ったことを覚えています。

仕事は、基本的に毎日同じことの繰り返しで、検索広告のメンテナンスが中心でした。この業務の中で、広告運用だけでなく、データ分析もするようになったし、ちょっとしたプログラミングもできるようになりました。

こういった、トリップアドバイザーでの経験やスキルのことを、FacebookやTwitterでつぶやいていたら、Googleの元先輩が、「そういうスキル、またGoogleに戻ってきてやってみない?」と声をかけてくれて。私の中には、退社してからずっと、Googleを思う気持ちが残っていたので、誘いを受けることにしました。


<職歴4 グーグル株式会社に出戻り 楽天、Amazon、Yahoo!担当チームのAnalytical Lead>

出戻ったGoogleでは、社内でもいちばん大きなクライアントを抱えるチームに配属になりました。そこで、トリップアドバイザーで培ったスキルと知識を活かして、広告運用の自動化や、Google内のデータベースのうち、人の手ではまかないきれない部分を機械的に分析して、売上を伸ばす仕事をやっていました。

2年Googleで働いて、私を呼び戻してくれた先輩が別の部署に移ることになりました。その方を助けるために再入社したので、他の方の下に着くのはちょっと違うかな…と思っていたところに、次の話がやって来ます。

アタラ合同会社が主催していていたイベントの手伝いをする機会があり、その時に、私が「上司が変わるからGoogleにこのままいようか迷っている」という話をしたら、「うち来てよ!」と声をかけてもらいました。


<職歴5 アタラ合同会社にて運用型広告コンサルタント>


アタラ合同会社は、初期のGoogle出身の人たちが作った会社です。

アタラでの担当は主に、広告の運用でした。クライアントの売りたい商材等に合わせて、検索ワードを提案して、検索にヒットするように設定していました。

それ以外に、会社内のブログも書かせてもらっていました。

さらに、本を2冊出版する機会もいただきました。アタラで以前出した本を引き継いで出したのが、『いちばんやさしいリスティング広告の教本』です。もう1冊は、IT業界の90年代からの歴史物で、現在執筆中です。Google日本法人初期メンバーだった、アタラの会長と社長にインタビューして、日本のIT業界黎明期からの流れをまとめています。アタラでの在籍期間はそれほど長くはありませんでしたが、ここでは、ITの知識を、本や会社のブログで発信することで、業界内の地位を確立するきっかけになりましたし、人のつながりを作ることもできました。そういう私の活動ぶりを見て、Googleから次の仕事のオファーをいただいたのを機にアタラは退職することにしました。


<職歴6  英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画>


Googleからの紹介で、イギリスの広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画することになりました。

実際の仕事内容は、Web広告の運用というよりは、契約を決めてくる営業が多かったです。あとは、Jellyfishが日本で会社としてやっていけるようにするお膳立て全般をやっていました。

Jellyfishでの経験を通して、これなら独立してやっていけそうだという自信がついてきました。入社3年目くらいからコツコツ準備をし、満を持して5年で退職。独立を果たします。


<職歴7 杓谷技研を創業して独立>


杓谷技研はWeb広告のコンサルの会社です。今パートナーと、NASDAQ上場を目標にやっていこうと話しているところです。また、おかげさまで、『いちばんやさしいGoogle広告の教本』を2024年8月に出版することになりました。

自分のこれまでのキャリアを振り返ると、Googleにあのタイミングで入れたということがまずめずらしいし、本当によかったと思っています。転職歴は多いですけど(笑)、これまでの職歴は全部最初のGoogleつながりでいただいた仕事ばかりですね。

一方で、Googleを飛び出してみたことで、とんでもない大物にも出会えましたし、桁違いのスケールの話にも首を突っ込めました。

会社員時代はたくさんの経験と人脈に恵まれました。しかし、会社の盾に守られている安心感から、惰性的に、最小労力で仕事をしがちになる自分を感じるようにもなっていました。こうやって独立してからは、目をつむって「えい!」とチャレンジする毎日です。新しいことにチャレンジするからアワアワするのかな。アワアワするのもいいのかなと思っています。

杓谷技研ジャーナル:https://journal.shakuya.jp


<スキルや学歴や年齢関係なく(18歳くらいに戻ったつもりで)、これからやってみたい仕事>

エジプト考古学者です。子どものころからずっと、吉村作治先生に憧れてきました。早稲田という大学を意識したのも、吉村先生の影響です。大学に行ってからは映画監督や小説家を夢見るようになりました。

そして、一生のうちになにかしら「作品」を残したいという気持ちがずっとあります。芸術作品であればなおいいですが、そうでなくても長く残るものというか、生きた証というか…。今ドキュメンタリーを書いていますが、いつか、もう少し創作の方に寄せたものが書けたらいいのかな、なんて思っています。


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