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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第19章 箱根外輪山

 百名山を七座走り、いよいよ箱根外輪山が迫ったきた。丹沢の翌週から二週間は、箱根縦走を想定したコースを走った。一週目は山梨県にある武田の杜を中心とした低山を縦走した。武田の杜の前半はとても走りやすい自然公園だった。そして標高もそこそこあるので普通にトレーニングで走るべき高尾山のようなコースだ。一方後半は、人があまり立ち入らない山道らしく草が鬱蒼と茂っていた。雪山でもないのにルートファンディングせざるを得なくトレランに集中することができない。ハイカーが増えればルートができ、良いトレランコースになりそうなだけに少し残念だった。しかし、一方でこうした山こそが本来の自然で、途中で猪の死骸に出くわすハプニングなどもあり、大自然そのものを満喫することできた。要害山にある「武田信玄生誕の地」という石碑が草に覆われて全く整備されていなかったのが武田信玄フリークにとっては少し物悲しかった。ゴールに設定した山梨市にある「ほったらかし温泉」の露天風呂の絶景は有名で楽しみの一つにしていたのだが、24km走って疲労困憊の体を癒しながら、右手に夕暮れ時の富士山を眺めていた。ちょうどその時、左から見事な満月が登ってきたのには驚いた。なかなか観られる絵ではない情景に出会えるのもトレランの楽しみの一つだろう。
 箱根外輪山直前の最後のトレランは奥多摩の縦走だった。箱根を想定したコース設定だったので標高差よりは距離を意識した。JR青梅線青梅駅をスタートし、旧二ッ塚峠、馬引沢峠などいくつか峠を越えて赤ぼっこで東京の都心を一望した。その後、一般道に出て2kmほど走ったところでエネルギー補給のための小休止を取った。そこから日の出山の登坂に戻り5kmで標高差700mを一気に登り返し、スタートから15km地点で日の出山山頂に到着した。標高は902mで東京都のほぼ全域を見渡せる眺望が開けた山頂は、登山としては比較的楽な山と相まってこの日も大勢の人で賑わっていた。軽く昼食を摂り出発。10kmに渡る金比羅尾根を一気に下って秋川渓谷に出る26kmのコースを完走した。縦走は高山と違った負荷がかかる。スピードが出る分心拍トレーニングとしての強度は高くなり、エネルギー効率を考えないとガス欠する可能性さえある。脂肪のエネルギー代謝から糖質のエネルギー代謝に幾度となく切り替わる。緩やかな登坂では脂質のエネルギーを使って省エネができるが、時々現れる急勾配では糖質のエネルギーを使うことになるのだ。その時、血中のグリコーゲン濃度が低いと脂肪のエネルギー代謝では供給が間に合わないことがあり、糖質が枯渇すると全く足が動かなくなる。そうならないためにも普段から脂質のエネルギーベースに代謝回路の中心を切り替えておくべきだろう。こうした縦走を経験するとマフェトン理論の正当性を体感できるのだ。

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 箱根外輪山を翌週に控えた一一月二八日、嬉しい結果が出た。50kmのトレラン前は疲労抜きが必要なので、この日を最後に中距離のランニングを控えることにしていた。二日前に久しぶりにロードで20kmのLSDを実施した。少し疲労は残っていたがスケジュール的にはこの日しかなかったので同じく20kmのペース走をすることにした。入りの1kmは4分50秒。いつも通りウォームアップはなし。次の1kmは4分26秒、その次は1kmは4分24秒だった。徐々にペースを上げて4分20秒のペース走ができればと考えながら5kmが過ぎた。すると、5kmから6kmのラップタイムが4分フラットに上がったのだ。自分では意識していなかったが脚が自然と前に出る感覚だ。この秋のトレランの効果なのか下半身が安定し、股関節屈筋群のチューニング進捗も相まって骨盤が立つ。ここから4分06秒、4分03秒、4分07秒、4分05秒と、これまでの自分の実力より15秒近く速いラップを刻むことができた。こうなると少し欲が出てきたので、ハーフマラソンのタイムトライアルに切り替えた。次の1kmはやや登りがあり4分10秒に落ちたが、またすぐに4分01秒まで上がった。自分でも驚きながら走っていたのだが、15km過ぎからはやはり疲労を感じ始め、19km付近では左腸骨筋がロックにより痛みだした。まだこの強度ではフルマラソンは到底無理そうだが、なんとかハーフは走り切ろうと気合を入れ直した。最後の1kmは4分27秒と大失速したが終わってみると非公式ながらPB(自己ベスト)を大幅に更新する89分12秒だった。ランニング歴一年でハーフマラソン90分を切るという一年前の目標を、思わぬ展開から達成することができたのだ。積み上げていけばいつかは届く地点だったが、やはり嬉しくて興奮した。しかし、すぐに箱根のことを思い出して冷静になった。こんなに全力で走って大丈夫だろうか…
 
 一二月二日の夜、望月と西尾をそれぞれ調布のLabと横浜のサロンでピックアップして箱根に向かった。50kmを一二時間で完走するコースを想定していたが、台風の影響で一部コースを短縮せざるを得なくなった。そのために、一般道も使う46km一〇時間での完走に目標を変更した。時計周りで27km地点が金時山だ。七時に出発すればちょうどここで昼食休憩というプランがベストだった。一〇時間設定であれば、山梨方面の山ランと同様に早朝に東京を出発すれば七時スタートは可能だった。しかし、ゆっくり朝の支度をして万全の態勢で走り切りたかったので、当初予定していた通り箱根湯本の日帰り温泉の仮眠室で前泊することにした。
 温泉にゆっくり浸かり明日に疲労を残さないつもりだったが、この仮眠室がいけなかった。マッサージチェアのようなリクライニングシートに寝たのだが、寝返りを打つことができない。私と西尾はまだましだったが、長身の望月は起床した時から筋肉ロックを訴えていた。私も血行が滞っており動きが悪い。予定より三〇分遅い七時に温泉施設を出て、コンビニで軽食を摂って七時三〇分に山に入った。
 登山口に入って直ぐに先日猛威を奮った台風一九号の爪痕を見た。きっと普段は整備されているだろう石畳みの登り坂は、湿った草木があちらこちらに倒れており、とてもじゃないが走れる状態ではなかった。そんな山道を6kmだらだら走って浅間山を経由して鷹巣山まで標高差800mを登った。この時すでに望月は膝の痛みを訴えていた。残りはまだ40kmあり心配だったが、以前、痛みが麻痺して走り切ることもあったので行けるところまで行くことにした。ルート変更した影響で、8km地点から18km地点までは緩やかな登りの一般道を走った。箱根神社の脇を通り、右手に箱根駒ケ岳、左手に芦ノ湖を見ながら桃源台までペースを上げて走った。これで時間的にだいぶ楽になったが、本来の箱根外輪山周回ならやはりあと二時間は余計にかかったことだろう。肉体面では、このロード10kmをトレランシューズで走った衝撃が後々ボディブローのように効いてくることになった。
 19km地点から山道に戻る。ここから金時山まで8kmのトレランだったが、思いの外手こずった。望月に次いで私も懸念だった左起立筋のロックが痛みとなって顕在化してきたのだ。四日前にハーフマラソンを全力疾走した影響が残っていたのかもしれない。ここから西尾が先頭で引っ張ったが、やはり膝の痛みは限界に近かったのか、望月が少しずつ遅れ出す。途中、歩きも入れながら回復を待ち、一三時に27km地点、標高1,212mの金時山山頂になんとか辿り着いた。

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平日でも大勢の登山客で賑わっていた金時山は相変わらずの人気だった。富士山を目の前に見ながらお約束の記念撮影をし、金時茶屋で名物の「まさカリーうどん」を頬張った。大のトレイルランナー好きで有名な茶屋の女将さんにとても親切にしてもらい気力が戻ってきた。望月は痛み止めの漢方をもらったが、きっと多くのトレイルランナーがここで英気を養いまた走り出して行ったのだろう。
 一時間休憩し一四時に金時山を出発した。ここからもう一山、明神ヶ岳を登ればゴールが見える。350mを一気に下ってしまうのが惜しいくらい、次の登り返しがきつかった。体力の消耗と痛みのために、33km地点の明神ヶ岳までの約6kmに一時間三〇分かかってしまった。この時、望月の膝は限界に近づいていた。日没を意識すると同時に、空には薄暮が迫ってきた。宮城野分岐で、予定通り明星ヶ岳に向かうか宮城野に下って林道に出るかの判断を迫られた。こういう時のためにヘッドライトを持参していたので闇の山道も走れなくはない。しかし、まだスタート直後で元気な夜明け前なら注意力もあるが、疲労困憊しているこれからの闇夜は危険に感じた。
 「下ろう。」ここまでよく走ってきたし、林道を走って完走しても46kmある。脚も限界が近づいているのを感じた。過去最長距離、最長時間は間違いない。この秋の集大成としては十分すぎる成果だと自分たちを励ました。真っ暗闇の林道を、行き交う車のライトを頼りにラストの9kmを走った。S字カーブが続く急な下り坂の舗装道路は、カーブのたびに脚に痛みが走ったが、無心になってただひたすらゴールを目指した。そして、四〇分ほど走ると箱根湯本の温泉街の灯りが見えてきた。「あと少しだ!」声を掛け合い最後の力を振り絞る。そして、日没から一時間経過した一七時三〇分に無事ゴールすることができた。七時三〇分スタートだったので、計画通りジャスト一〇時間の長旅だった。脚と腰は痛みがひどく歩くのもままならなかった。満身創痍とはまさにこのことだろう。しかし、この達成感は何物にも変え難く、ランニングマンにまた一歩近づけたような高揚感でいっぱいだった。(つづく)


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