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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第11章 BORN TO RUN

 「今日はいつもより緩みにくいです…」
 二〇一八年一一月、鮎川が私の体を実験台として、チューニングの研究を始めてからそろそろ一年が経つ。一年以上続けてきた栄養改善や、チューニングによる筋肉ロックの低減で、私は近年稀に見る体調の良さを感じていた。しかし、なぜかこの調子にはムラがある。筋肉を触ることにかけて、絶対的な経験と知識がある鮎川の指先によると、同じ筋肉でもすーっと緩んでいく時と、なかなか変化しない時があるようだった。
 「昨日は何時くらいに寝ましたか?睡眠時間はどれくらいですか?」
 「サッカーのトレーニングはしてますかな?何時間くらい動きましたか?」
 何かピースが欠けているのは事実だったが、研究が進んでくると残された課題も明確だった。睡眠と運動。本格的なサッカーを長年続けてきたので運動が足りていないはずはないと考えていた。「睡眠かな?」栄養摂取で寝つきは良かったが、入眠時間にばらつきがあり深夜〇時を回ることも多かった。
 「しばらく深夜作業をやめて早目に寝るようにしてみます。」
 細胞の再生の八〇%以上が睡眠中に行われることを考えると、睡眠の質や量が筋肉の質に影響を与えのは間違いないだろう。ただ、それが明らかな違いに結びつくのかどうかは疑問だった。徹夜しているわけでもないし、睡眠のゴールデンタイムには寝てないにしても、最低六時間は寝るようにしている。日中も眠気が襲うような睡眠不足を感じることはなかった。
 サッカーのトレーニングをしない日は全く体を動かさない日もある。そういう日は眠む気が起きないので少し読書量を増やしてみることにした。デスクの脇には読みたい(読むべき)書籍が山積みになっておりネタには事欠かない。栄養の研究のために、最近は細胞やら遺伝子やら自分のこれまでの経歴では馴染みのない”お堅い書籍”を読み漁ってきた。そんな調子で少し頭が疲れていたので、ちょっと趣を変えてみることにした。
「今夜はちょっと軽いのにしよう」
 ページ数こそ四〇〇ページ近くある肉厚の本だったが、帯がキャッチーなフレーズで占められた英語のタイトルの小説を手に取った。上半身裸の男が山肌に立つ写真が表紙で、これまで読んできた物とは明らかに雰囲気が違う本が目に留まった。 
 最初「BORN TO RUN 走るために生まれた」というそのタイトルを見た時は、中学生時代に聴いたブルース・スプリングスティーンのヒット曲「明日なき暴走(邦題)」しか連想できなかった。しかし、帯に書かれた”ウルトラランナーvs人類最強の走る民族”というフレーズからランニングについて書かれた本だというのを思い出した。運動についていつか掘り下げる必要があると思い、ずっと前に購入しておいたものだ。
 「ランニングか…」あまり気乗りしなかった。サッカーのトレーニングでも持久走は嫌いだった。高校時代にたくさん”走らされた”苦い記憶によって、走ることからはしごきや苦痛のイメージしか湧かない。今ではお笑い種だが、連帯責任でチームワークを強化しようとでも思ったのか、規定タイムに全員がゴールしないと一本にならないラントレ。合計一〇本で終了のノルマは一向に終わらず三〇本を超えた。サッカーの強豪校でもないのにこの様だ。これがもっと競技レベルの高い学校なら推して知るべしだが、そうした青年期を過ごした人間が走ることを好きになるだろうか。
 巷ではマラソンがブームになり、路上を走る老若男女を目にする機会が増えた。たまに苦しそうに走っている人もいるが、多くは充実した表情に見えた。
 「ただ黙々と走るって一体どんな楽しさがあるのだろうか…」そうした疑問しか浮かばなかったが、仕事だから仕方ないと割り切りこの本を読むことに決めた。

 この本については予備知識が全くなかったのだが、読み始めてすぐにどうやらノンフィクションらしいことが分かった。「事実は小説よりも奇なり」まさにこの言葉が示す通りのストーリー展開に、自分でも全く想像していなかったのだが、読み始めからどんどん引き込まれていった。結局、初日はいきなり深夜三時まで読み耽ってしまった。睡眠導入剤の代わりに読み始めた本が、逆に睡眠不足を助長することになるとは”不思議な出会い”があるものだ。
 本のメインストーリーは、名だたるウルトラランナー達が、メキシコの秘境に住むという伝説の走る民族タラウマラ族と世紀のレースを戦うために旅をするというものだ。その旅のサイドストーリーで、脚の怪我と高性能シューズの因果関係を証明していく。後で気付いたのだが、本の裏側の帯には足の故障について書かれてたい。
 ・毎年、全ランナーの六五%から八〇%が足を故障する。いかにシューズがハイテクになろうとも、それを履けば故障しにくくなるということを確かな証拠で示した研究はひとつもない
 ・アラン・ウェッブ(アメリカの元陸上競技選手)でさえ、「人間は靴なしで走るようにできている」と言う「シューズを履くのは、足にギブスをはめるようなものだ」
 まさに私たちが研究している筋肉ロックがなぜ起こるのか?が記されている。著者は裸足で走ることで土踏まずのアーチが強化されアキレス腱のバネが蘇ると解く。人間は裸足で走りながら進化してきた動物なので当然の帰結と言えるが、だからこそ高性能シューズを履くとロックが蓄積する=怪我をする理由が理解できる。テーピングだけじゃなくシューズでも足首が固定され、かつクッションが踵の機能を低下させる。足の持つ本来の機能を損なうことで、足関節、膝関節、股関節に過度で歪な負担を強いることになる。
 この本の著者に、筋肉ロックの原理を伝えたかった。こうした衝動はここ最近読み漁った全ての本の著者に、ーそれがドクターが書いたオーソモレキュラー本でも同様だがー感じたことだった。たった一つ欠けているピース。筋肉ロックという概念を取り入れるだけで、彼らのその論理展開の中でほんの一部ぼやっとしている雲が晴れて、全てが一本の線でつながるのだ。
 この本の最大のテーマが現生人類、つまりわれわれホモ・サピエンスの進化の秘密を巡る旅だ。”持久狩猟”これこそがわれわれのような細くて軟弱なホモ・サピエンスが、屈強で筋骨隆々な戦士であるネアンデルタール人を差し置いて、二〇万年もの長きに渡り進化し生き延びてこれた秘密だという仮説が克明に紐解かれていく。
 「ばねのような脚(伸縮するアキレス腱)、ほっそりとした上半身(走るうえでは必要としない筋肉がない)、汗腺(体温調整が早い)、無毛の皮膚、太陽熱をためにくい直立した身体(体温上昇を抑える)ーわれわれが世界一のマラソン走者であるのも不思議ではない」
 無駄な肉をつけず、柔軟で機能性の高い呼吸法を持ち、長時間運動で上昇する気温を調節する発汗など、獲物となる動物を何時間も追い続けることができる機能満載の構造を持つ、最強のランニングマンこそがわれわれホモ・サピエンスの本能なのだ。 
 「走ることはわれわれの種としての想像力に根ざしていて、想像力は走ることに根ざしている。言語、芸術、科学。スペースシャトル、ゴッホの『星月夜』、血管内手術。いずれも走る能力にルーツがある。走ることこそ、われわれを人間にした超大な力ーつまり、すべての人間がもっているスーパーパワーなのだ」精神世界においても走る能力がその根源となっているととも解いている。
 四九歳の私でも、今から走り始めてランニングマンに成れるのか?この本を読み終えた一週間後にランニングをスタートし、手始めに最初の一年間で3,000kmを走ってみようと決心した一節が現在のマラソンランナーの驚くべき真実だ。「とあるマラソンレースの記録を統計分析すると一九歳をスタートとし二七歳でピークに達する。そこからタイムは落ち始めるが一九歳のころのタイムに戻るのは何歳か?何と六四歳!老人が若者と対等に競うことができるこんな競技は他にはない。われわれ人間は持久走が得意なばかりか、きわめて長期間にわたって得意でいられる。われわれは走るために作られた機械ーそして、その機械は疲れを知らない。」この事実は大変興味深かった。生存の本質に近いコンテンツとしてのランニングを、他のどのスポーツとも切り離して考えるべき理由がここにある。
 「人は歳をとるから走るのをやめるのではない。走るのをやめるから歳をとるのだ。われわれ人間は走るために生まれた種族なのだ」この一節に著者の強い確信が込められている。
 運動療法という観点でも面白い解説があるので最後に紹介しておこう。「歴史上のどの生物とも異なり、人間には心身の相克がある。身体は動かすためにつくられているが、脳は常に効率を求める。人間は耐久力に生死を左右されるが、それは脳が司るエネルギーの保存にかかっている。そして、この耐久力のおかげで脳へのエネルギー供給が増えたことで脳は劇的に進化してきた。しかし、この脳の進化によって生み出された、過激な運動を必要としない現代の環境は、身体をできる限り楽にするようにけしかける古来の生存本能によって急速に耐久力を失いつつある。つまり、怠惰にすごすことができるテクノロージができたこのたった二百年の間に、身体が果たすべき仕事(ランニング)を奪った代償を払うことになった。西洋における主な死因ー心臓病、脳卒中、糖尿病、鬱病、高血圧、癌ーのほとんどを、われわれの祖先は知らない。特効薬はただ一つ脚を動かすことである。」栄養と酸素を体内に回すための血流、つまり効率的な血液循環がエネルギー代謝を促すという着想を得た一節だ。私の筋肉の調子にムラがあるのはランニングを習慣化し毎日脚を動かせばもしかしたら解消されるのではないだろうか!?
 この本を読み終わるころには今すぐにも走りたくてうずうずしている自分がいることに気付いた。ホモ・サピエンスの本能、ランニングマンとしての本能が目覚め始めている、まさにそんな感覚が湧いてくる。しかし、すぐにこの本に続編があることを知った。「NATURAL BORN HEROES 人類が失った”野生”のスキルをめぐる冒険」 すぐにスマホでamazonのアプリを開いた。翌日届いた本は前作よりさらに厚かった。走り始めるのをしばし我慢して、何が詰まってるのかワクワクしながら、すぐに宝箱の蓋を開けた。 

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 前作がランニング=走ることの意味を人類の根源に照らし合わせながら手繰っていくランニングマンの物語ならば、本作はそれを自然=地球との調和の中で人がいかに走りながら強さを身につけていったのかを示す進化の本とでも言おうか。筋肉や脂質エネルギーの秘密が紐解かれていく様は、栄養と代謝を研究した直後に出会うべくして出会った最高の本だった。
 この本もノンフィクションだが歴史小説の形式を取っていた。メインストーリーは、一九四一年五月、地中海の要害クレタ島に侵攻したヒトラーに対し、レジスタンスが奇跡的な抵抗を示すことができた理由をトレイルランニングに重ねて解説していく。「ランナーでもない羊飼いが、なぜ30kgの荷物を背負ってわずかな食料だけで夜を徹して80km以上を走り、暗殺部隊に追い詰められながら伝令として山々を駆け抜けられたのか?」前作で衝撃を受けていた私は、この本の裏帯の解説に驚くことはなかった。それどころか、早く新しい知恵を見つけて、直ぐに実践したいという思いで満たされていた。
 目玉のサブストーリーは何と言っても、フィル・マフェトンによって生み出されたマフェトン理論とティム・ノークス博士のカーボローティングへの謝罪だろう。マフェトン理論はトライアスロンやウルトラマラソンの世界では有名だが、カーボローディングほどの認知度はない。私がこのマフェトン理論に強く惹かれる理由が、彼がドクターでもないカイロプラクターだったにもかかわず、自ら研究しクライアントで実践し独自の理論で多くのアスリートを再生させたからだ。そして、もう一方の、正真正銘のドクターでスポーツ科学の専門家、自らもフルマラソンを七〇回も完走するほどのランナーでもあるティム・ノークス博士は「水中毒」の真実を突きとめる中、自分がもっと大きい過ちである高炭水化物食の提唱者になっていることに気づき懺悔する話で、”燃料としての脂肪”を決定打として断言する。
 マフェトン理論は、まず第一に食事を変えることから始める。真っ先に槍玉にあがるのが、
 ”砂糖”
だ。先にも触れたがこの時期に読み漁った本のほとんどが砂糖を断罪している。だから、マフェトンの第一声には驚かない。砂糖はダメだ。砂糖だけじゃなく精製糖質は全てアウトだ。完全な糖質制限食なのだ。「人間はほかのどの動物よりも遠くまでこの地上をさすらってきた優秀な持久力系アスリートだ。しかもそれはゲーターレードやベーグルのおかげではない。われわれはもっと豊富でクリーンな燃料に頼ってそれを成し遂げた。自分の体脂肪だ。」糖質依存を断ち切るために食事を完全に切り替える。食べる量にはこだわらないが、食べて良いものは「肉・魚・卵・アボカド・野菜・ナッツ類に限られる。豆はだめ、果物もだめ、穀物類もだめ、大豆もだめ…」と続く。これは脂質代謝というホモ・サピエンスが潜在的に持っている本能を覚醒させるためのスイッチだ。とにかく高血糖の食物を口にしないで二週間過ごす。
 そして、第二に心拍数を脂肪燃焼ゾーンに保ちながらのジョギングだ。マフェトンが導き出した公式が、
”一八〇の公式:180ー年齢”
(追加の条件がある。病気で長い間、運動していなかった場合は10を引き、あまり運動をしていない場合は5を引く。週四回の運動が習慣化している場合は何も足さない。ハードなトレーニングを二年間続けている場合は5を足す)
 たったこれだけだ。この数値が脂肪燃焼の閾値になる。これ以上の心拍数で走ると身体は緊急事態発生と勘違いしガソリンを使う。糖質のエネルギーに切り替わってしまうのだ。実際やってみるとわかると思うが、この心拍数で走るのはかなり遅いペースだ。特にすでにある程度ランニングが習慣化されているランナーにとってはなおさらだろう。それを守ってひたすら二週間走り続けるだけでエネルギー代謝回路が糖質から脂質に切り替わる。食事制限によって糖質の飢餓状態ができている体は、徐々に本能を覚醒させて脂質のエネルギー代謝をフル稼働させるのだ。
 「一八〇から年齢を引いた数字自体に意味はない」マフェトンは自分が”偶然”発見した方程式をこう説明する。「VO2Max(最大酸素)や乳酸性閾値など従来の測定項目とも無関係だ」と言う。つまり、自分の身体のサインを正確に理解し、実践すればホモ・サピエンスなら誰でも健康になれるという最強の方程式なのだ。 

そしてこの本の最大の贈り物が400ページにあった!
 「競技で自己記録を更新し、慢性的な故障から解放されるのだ。けがをしにくくなるひとつの理由は、疲労を我慢せずにすむからだ。身体が酸素負債に陥ると、フォームが崩れる。頭の位置は下がり、足は重くなり、膝がゆがむ。」「無酸素に近づくほど、身体の力学にゆがみが生じるんだ」この一節で完全にシナプスが繋がった。
 「つまり、酸素不足が筋肉ロックを生じさせるのだ!」私はずっとミオンパシー協会が説明する筋肉ロックの仕組みについて懐疑的だった。筋肉ロックは存在するのは間違いないが、そのメカニズムがどうも腑に落ちない。なぜあの姿勢でないと解除できないのか?なぜ九〇秒なのか?この謎を紐解かなければ施術の品質は向上しないのは明らかだった。
 そう、もうお判りだろう。糖質エネルギー代謝の解糖系回路は嫌気性、つまり無酸素だ。グリコーゲン(糖質)を大量に使ってほんの少しのATPを産生する。と同時に乳酸という代謝物も発生してしまう低燃費のエネルギーだ。そして、その先のクエン酸回路は好気性なので有酸素だ。本来この糖質エネルギー代謝回路は(ホモ・サピエンスの本能では)、脂質エネルギー代謝、つまり脂肪からβ酸化を経たアセチルCoAがケトン体に変わるメインのエネルギー源に対する”補足的役割”だったのだ。ケトン体を利用した”燃料としての脂肪”がメインエンジンを動かしゆっくり長く走り続ける。”緊急事態”(肉食動物などに襲われて逃げる時の”逃走”など)の時だけ、呼吸しなくても無酸素で回せる解糖系回路を動かすというメカニズムだ。
 では、現代人のようにこの緊急事態のための装置をメインとして利用するとどうなるか?乳酸処理のための糖新生でATPを無駄に利用することや、クエン酸回路から電子伝達系を経るATP産生で酸素摂取能力を超える大量の酸素を必要とすることになる。その結果として酸素が足りない”酸素負債”の状態に陥り、ATP産生自体が滞って筋肉を動かすためエネルギーが不足するのだ。
 砂糖を多く摂取する人(糖質依存の人と同意なので現代人のほとんどということになる)は、ビタミン・ミネラルが不足がちでクエン酸回路が回りにくいという問題以前に、そもそも糖質エネルギー代謝に依存しているので体内が酸素不足に陥りやすい。当然、筋肉ロックは解除しにくくなり、その帰結として筋肉ロックが蓄積して怪我しやすいという現象が顕在化する。仮説になるが、きっと現代人は農耕革命以前の人類に比べ安静時の平均心拍数もかなり高いはずだ。
 筋肉がロックしたままという状態はある意味で緊急事態に他ならない。ストレイン&カウンターストレインのあの姿勢は、緊急事態用の糖質エネルギー代謝回路を使い、酸素を臨時供給し大量にATP産生するから筋肉が再活性するのではないだろうか。もしそうなら、あの姿勢で固定しなくてもATP産生を効率的に起こせる環境や動作なら筋肉は緩むはずだ。
 時間については、おそらく血液の体循環(大循環)が関係している。体循環は五〇秒から六〇秒と言われているが、九〇秒かからなくても筋肉が変化する人は多い。特に健康な子どもは五〇秒くらいでスッーと緩む。緩むスピードが遅く九〇秒近くかかる人は体循環が悪化している人だろう。
 体循環とは動脈から静脈を巡る循環で毛細血管を経て物質交換する。つまり、酸素や栄養素の供給と二酸化炭素や老廃物の回収のことだ。ATP産生効率を基準に考えると、全てつながり真実が見えてくる。やはり血の巡りを正常化させることが鍵になる。これがBTP(Blood Trigger Point)概念の構築へとつながっていく。(つづく)


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