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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第14章 ランナーズハイ

 二月は過去最長の324km、三月は300kmと一月から三ヶ月連続で月間走行距離が300kmを超えた。四月は疲労の蓄積を考慮して少し抑えて285kmに落としたが、その効果もあり五月は331km、六月は358kmまで距離を伸ばすことができた。二〇一九年上半期の走行距離の合計は、1,912kmと年間4,000km射程圏内に入るほど順調に走ることができた。この間、痛みはかなり低減していき、気になる筋肉のロックは左起立筋、左中臀筋、右脚外側広筋の三箇所に絞られてきた。
 走り始めた八ヶ月前とすっかり風貌が変わった。頬はげっそりこけ、体の線はさらにスリムになった。久しぶりに会う人には、
 「どうしたんですか!?お体でも悪いんですか?…」と不安気な様子で体調を訪ねられる機会が増えた。
 「大丈夫ですよ、病気じゃないです笑。ランニング始めたらハマっちゃって」
 「サッカーやってる時も走ってましたよね?」
 「サッカーで走るのと人體研究でランニングするのは全然違いますね。今は好きで走ってます。走らずにはいられないって感じです笑。毎日走っても疲労がたまらないのは栄養摂取を強化してるからかもしれませね。二〇代のころより元気かもしれないです。」
 こんな会話が自然になった。世の中、走りたい人は多いようだ。目的はほとんどダイエットのようだが。ただ、なかなか始められないし、きっかけが意外と少ないのかもしれない。ランニングには苦しそうというイメージがつきまとう。私自身、あの二冊の本を読むまでは「ランニング=苦しい、きつい、嫌なこと」という思考ができあがっていた。それを覆すほどのインパクトがある本に出会えたのがきっかけだ。きっかけは何でもいいのだが、やはり最初が肝心だろう。最初からきつすぎては”ランナーズハイ”まで到達する前に脱落してしまうからだ。
 ランナーズハイは誰でも一度は聞いたことがあるだろう。長距離を走ってる時、苦しくなったランナーが我慢し続けると次第に感じる陶酔感や恍惚感というあれだ。私は、最初はマフェトン理論に則って低糖質高タンパク質食と低強度の有酸素運動からランニングを始めた。ランナーズハイを感じたのがいつかを厳密には断言できないが、ランニングを初めて二ヶ月半経ったころ、人生で初めて20km走った時だったような記憶がある。過去最長距離となる10km超えたあたりからそれまで苦しかった意識が飛び、無心で知らぬまに5kmほど走っていた。実際に脚も軽くなっていた証拠にペースが上がっているのだ。無心が陶酔感なのか恍惚感なのか分からないが、苦しさではなかったことだけは確かだ。
 そして、このランナーズハイは心拍数でも確認できる。ランニングを続けていると自分が苦しい、きついと感じる心拍数が把握できるようになってくる。最大心拍数の九〇%ならほぼ確実にきつくていっぱいいっぱいの状態だろう。その時、ふっと脚が軽くなり楽に走れている感覚になることがある。心拍数は変わらず高いままだ。何か見えざる手で押されているような引っ張られているような、自分の力とは別の作用が働いてると錯覚する。これこそがランナーズハイ状態だろう。私の経験では、楽に走れるペースではなく、自分が次の目標とするきつめのペースで、20km近くを走るペース走でランナーズハイを感じることが多い。これは本番のレース想定のペースということになる。やっぱり、苦しいと思わないとダメなようなので、苦しさに耐えれるレベルのランニング習慣を先に身につける必要がある。
 多くの人が感じるのだからこういう現象には必ず機序があるはずだ。一昔前は、ランナーズハイの原因がβエンドルフィン(内因性オピオイド)の影響だと言われていたが、最近の研究では脳内麻薬に寄るものだと発表された。(二〇一五年、ドイツのハイデルベルク大学医学部の研究)その成分とは、カンパニーのオーソモレキュラー指導顧問である中村も臨床で使用しているCBDオイルの主成分である大麻由来のカンナビジオールと同系、体内生成される脳内物質の内在性カンナビノイドだとされている。この成分には不安を和らげたり痛みを感じにくくするという効果がある。CBDオイルの効能とそっくりだ。

 ランニングにハマるのは、”行動依存”の結果でもあるし、脳内麻薬の影響でもあるだろう。では、そもそもなぜ走るとハイになるのか?走った時に脳内物質が分泌されるには理由があるはずだ。「BORN TO RUN 走るために生まれた」にも登場するハーバード大学の生物学者で人間の進化学を専門とするダニエル・E・リーバーマン教授はランナーズハイは進化の適応と言い切る。二〇〇万年前に狩猟採集民が持久狩猟能力を身につけて進化したという説を、われわれホモ・サピエンスをして長距離が得意な動物たらしめる根拠としている。 

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リーバーマン教授はその著書で、人体解剖学的には短い前腕やしなやかな腱など身体的特徴が、獲物をどこまでも長く追い続けることができる省エネルギーを実現していると解説している。そこに、この脳内物質が加わったのだ。長距離を走ることで獲物を捕らえたり採集したりしなければならなかった祖先にとって、この行動を促す正のフィートバックがあってもおかしくない。つまり、走れば脳内麻薬によって陶酔感や恍惚感が得られるという経験をすると、快感を得るためにこの行動(走る)を繰り返すようになる。ランナーズハイに寄るこの行動依存こそが、祖先を持久狩猟に走らせ優れたハンターに進化させたのだ。
 進化論から導き出された長距離走をすること、有酸素運動をすることの必然性は、人が人らしく生きる上で欠くことのできない重要な要素なのだ。そして、ランニングマンになるための条件としてランナーズハイを一度は経験する必要があると考えている。それこそが、DNAに記された遥か彼方の記憶なのだから。(つづく)


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