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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第6章 それぞれの結末

 一一月は石川直宏と梅崎司のそれぞれの結末に向けて鮎川史園はフル稼働だった。私のサロンには、経験がやっと一年になる二人のセラピストと、デビューしたばかりの一人の新人セラピストしかいなかった。鮎川は他組織に属する個人事業主だったが、プロアスリートを任せるにはこの男以外に他はいない存在だった。数ヶ月に渡って鮎川の施術を間近に見ることができ、大きなヒントをいくつも得ることができた。その一つが、セラピストのロールモデル化だ。二人のプロアスリートとのセッションによって起業家としての情熱を呼び覚まされた私は、鮎川のような「施術家」をより多く輩出するためのシステム作りの構想を練っていた。ゴッドハンドではより多くの人の痛みを和らげることはできない。誰がやってもできる簡単な施術で、なおかつ再現性が高い。二年も経験を積めば、よほど重篤化した症状でもない限り緩和できるセラピストの育成だ。そのためにはロールモデルが必要となる。鮎川と、標準的なセラピストの能力開発について具体的に話をする機会が増えていった。
 
 梅崎司は一一月二五日、浦和レッズのホームの埼玉スタジアムでACLアジアチャンピオンズリーグの決勝を控えていた。ここまで順調に勝ち進んできたチームは、一〇年ぶりのビッグタイトルにあと一つというところまできていた。しかし、梅崎自身は選手として新しい自分を出し切れずにもがき苦しんでいた。大きな怪我の心配はない状態までフィットネスは回復した。プロデビューした当時の切れ味鋭いドリブルを甦らせてチーム内で確固たる地位を得る。そして再び日本代表のユニフォームを身にまとう。プロ選手としては当たり前の欲求を全面に出し、ギラギラとした眼差しが獲物を狙う野生動物のそれに近いと感じさせることが増えてきた。
 「やれる自信はあります。チャンスをもらえれば結果にこだわる。紅白戦ではレギュラー組相手にも果敢に勝負を仕掛け、ドリブルで突破してのアシストやゴールなど、しっかり結果も出している。なぜゲームに出られないのかわからないんです。」率直な悩みだった。チームは豊富な戦力を抱えていた。若手の台頭や新戦力の活躍。怪我をする選手もいたが大きな離脱はなかった。梅崎が主戦場とするオフェンシブなポジションには外国人枠の選手もいるため、スタメンどころかベンチメンバーに入るのさえ一苦労だった。
 ゲームは他のどのチームより多かったので途中出場の機会はそれなりに多かった。怪我でピッチに立てなかった一年間から考えると、見違えるコンディションに戻ってもいた。しかし、スタメンで活躍していた頃の自分自身を投影すると、力を出し切れず公式戦で爆発できない鬱憤が溜まるのも無理はなかった。
 ACL準決勝では途中出場ながらインパクトあるプレーで会場を湧かせていた。ゲームの後の振り返りでは、もっとこうして、ああしてとプレーの改善点について話が弾んだ。
 「スタメンではないですが、チャンスはあると思うので絶対決めてみせます!」
 そんなメッセージを読みながら、決勝当日は家族全員で埼玉スタジアムに向かった。
 浦和レッズは熱狂的なサポーターで知られるが、この日のスタジアムは荘厳という言葉が最も良く似合う最高の雰囲気だった。五万人以上の観客で満員になった客席で描くコレオや、一糸乱れぬ統率のとれたアンセムの合唱。浦和レッズサポーターの真骨頂がいかんなく発揮されたキックオフだった。
 相手はサウジアラビアのアルヒラル。アジアの強豪でありACLは過去二回のタイトル獲得がある。決勝はホームアンドアウェーの二試合行われるが、先に行われたアウェーのサウジアラビアでの1stレグの結果は1ー1のドローだった。この日の2ndレグで勝利するか、もしくは0ー0のドローでも浦和レッズが優勝という条件でのゲームだった。
 ゲームは戦前の予想通り固い入りだったが、ゴールを決めない限り優勝がないアウェイのアルヒラルが積極果敢に攻めてきた。固い守備の浦和レッズは緊張感を保ちながら前半を凌いだ。ハーフタイム中のピッチには梅崎の姿があった。ウォームアップをする姿には、ゲームに出たいという気持ちが全身から伝わってきた。
 「この状況では途中出場も難しいかな。」守備を固めてるチームがあえてバランスが崩れるかもしれない途中交代でリスクを取る必要はない。時間は刻一刻と過ぎていく。焦りが出て始めたアルヒラルは後半三三分に退場者が出る。数的優位になった浦和レッズはこのまま凌ぎ切れば優勝という最高の条件が整った。後半四〇分過ぎ、とうとう梅崎が呼ばれた。途中交代の手続きが終わっていざピッチへというタイミングで、浦和レッズに待望の先取点が生まれる。後半四三分、大会中に大活躍しエースに上り詰めたラファエル・シルバのシュートがゴールに突き刺さる。このゴールでほぼ優勝が決まったかのような騒ぎで梅崎の出場が一旦保留になる。慌てるベンチ。二分後の後半四五分、アディショナルタイムに入ってしばらくして梅崎がピッチに立った。プレー時間は二分ほどだろうか。時間が止まったような次の瞬間、梅崎がボールを大きく蹴り上げてゲーム終了のホイッスルが鳴った。一〇年ぶりのアジアチャンピオン獲得をピッチ上で迎えた梅崎は、この時チームに別れを告げる時が迫ってるのを肌で感じ取っていた。
 優勝セレモニーでシャーレを掲げる梅崎にも満面の笑みがあった。それは、喜びよりも苦しさや悔しさが多かった浦和レッズでの一〇年間の総決算に相応しいご褒美のようなものだったのかもしれない。
 「やっぱり、自分がゲームに出て、チームのために走り回り、ゴールを奪う。それがプロのサッカー選手としてのぼくの使命であり、存在意義なんだと思います。」
 優勝決定後しばらくして、冷静になった梅崎からこんな言葉を聞いた。この半年で成長への意欲が大きく覚醒した男の矜持が詰まった言葉だった。この時すでにきたる湘南ベルマーレへの移籍話が動き出そうとしていた。

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 一一月二九日、小平にあるFC東京の練習場では週末のJリーグ最終戦に向けて紅白戦が行われていた。そのスタメン組に石川直宏の姿があった。約二年半年ぶりの実戦だった。わずか一五分間のプレーだったが、ピッチを所狭しと駆け回る石川から本来の躍動感が伝わってきた。これが二年半も実戦から遠ざかっている選手の動きなのか。さすが日本代表で幾多の試合を経験してきたベテランらしい泰然自若の風格が漂っていた。
 「やっぱりピッチはいいですね♪」
 その日の夜、メッセージのやり取りではそんな返事が返ってきた。今日の緊張感を積み重ねて試合に臨む。そう締めくくられたメッセージで「もう彼なら大丈夫だ。」と確信することができた。
 翌三〇日の夜、本当にこれが最後となるチューニングを行った。みっちり一八〇分間のチューニングで、脹脛と腰を、そしてたっぷり左膝の筋肉を緩めた。緩め過ぎる心配のないほど多くの傷を負った石川の左膝は、最後の日のためにこの時しっかりと再生していたのだ。
 「明後日は直くんのためのゲームだから、思う存分楽しんで!」
 「もちろんです!楽しんできます。」
 いつもの笑顔が返ってきたが、緊張どころかとても穏やかで安堵した表情が印象的だった。この男の器の大きさと、くぐり抜けてきた修羅場が達観させるのだろうという思いを巡らせながら、堅い握手で送り出した。時間はすでに夜の二三時を回っていた。
 一二月二日は気持ちの良い青空が広がる最高のサッカー日和だった。やれることは全てやり切った達成感で満ち足りていた私は、心穏やかに家族と共にFC東京のホームグラウンドの味の素スタジアムに向かった。あとは石川直宏、一世一代の晴れ舞台を楽しむだけだった。

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 今シーズンのチーム成績は中位で初優勝はお預けだった。観客動員数もそれほど多くないシーズンだったが、この日だけは石川の晴れ舞台をその目に焼き付けようと多くのサポーターが詰めかけていた。石川から招待チケットを受取り、私たちは鮎川と山内とともに家族席に陣取った。近くに石川の家族の姿があった。軽く挨拶をした石川の妻は緊張感でいっぱいの様子だった。
 スタメン発表で石川の名前がコールされると、会場が大歓声で応えた。選手入場が始まった。久しぶりのユニフォーム姿でも一八番を背にしたレジェンドは威風堂々、風格が他の選手のそれとは一線を画していた。
 「監督の粋な計らいでスタメン。行けるところまで行く。二〇分くらいかな」そんな話を聞いていたので、最初から雰囲気は最高潮だった。
 キックオフのホイッスルが鳴った。泣いても笑ってもこれが最後、左膝が壊れても悔いはないという覚悟が伝わってきた。先日の紅白戦とはやはり気迫がまるっきり違う本物の実戦。対戦相手のガンバ大阪の選手は幾分やりにくそうに見えた。石川の引退が決まってから、この日は彼のための試合になった。二年半ぶりの実戦、衰えが隠せないであろう三六歳のベテランの引退試合で、手心を加える選手心理がなかったかと言えば嘘になるだろう。しかし、石川の動きはそうした前提条件を覆すような往年の切れ味を発揮していた。それを見てガンバ大阪のプレッシャーが次第に激しさを増していった。 

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 石川の引退試合という唯一の目的以外、勝敗の行方に意味を失ったチーム同士の消化試合がいつの間にか真剣勝負になっていた。石川の気迫が試合自体の意味を変えていったように感じた。気付くと二〇分を回っている。石川の動きに衰えは見えない。膝の痛みを気にする様子もない。一瞬の飛び出しは副審のミスジャッジを誘うほどのキレでゴールに迫る。全盛期を彷彿とさせるプレーの数々で会場全体を石川直宏一色に染め上げた前半はあっという間に四五分が経過した。
 「まだまだやれそうだよな!」そんな声がハーフタイムの観客席から漏れ伝わってきた。「いや、彼の左膝は限界だよ。精一杯、最後の力を振り絞ってるんだ。」そう言ってやりたかった衝動を抑えて自分の席に戻った。あと何分やれるのだろうか。もう十分過ぎる素晴らしい花道だが、願わくばゴールが欲しい。誰もがそう感じていただろう。
 後半のピッチにも石川の姿があった。チームメイトたちも石川のゴールをお膳立てしたいであろう思いがひしひしと伝わってくるプレーの連続だった。しかし、その願いも叶わず後半一二分、その時がきた。控えの永井謙佑と交代すると合計五七分のプレーでJ1のピッチを後にした。 

感無量とはまさにこのことを言うのだろう。やり切った安堵感でいっぱいの石川の表情が全てを物語っていた。試合後の引退セレモニーでは、涙で言葉を詰まらせる主役にスポットライトが浴びせられた。一言一言紡ぎ出す石川の別れの言葉には、サッカーに対する深い愛情と敬意、そして、これまで彼を支えてきた家族への心からの信頼と感謝が込められていた。私自身、まさかこんな気持ちになるなど想像できなかった感情が一気に湧き上がってきた、と同時に自然と涙がこぼれ落ちた。たった半年間だったが、サッカー選手石川直宏その人の最後の一ページを飾るべく精一杯サポートできた喜びの中で、彼のこれまでの苦労や悔しさを、その傷跡に感じた半年を振り返りながら夕暮れ時を迎えた味の素スタジアムを後にした。(つづく)


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