Mountain Trail Running ー山が教えてくれたことー
第7章 タンパク質
「そもそも論だけど、三大栄養素って知ってるよね?」
「糖質、脂質、タンパク質!」
「良かった、知ってて笑。さっきのビタミン・ミネラルは補酵素、正確にはビタミンが補酵素で、ミネラルが金属補因子。つまりこれらは”補”が付くとおり補助的な役割なんだよ。主役は何だと思う?」
「糖質ですか?エネルギー源だから私たちは炭水化物の摂取についてはカーボローディングとか諸々指導されてます。」
「なるほど、やっぱりそっちにいくかー。ぼくも昔はそうだったんだけど、この仕事で栄養について深掘りするようになってから、タンパク質がいかに重要かが分かってきたんだよ。タンパク質は、その名も”プロテイン=第一の物”っていう意味を持ってる。この第一の物のだけど、ぼくらは三大栄養素ではなく一大栄養素+二栄養素くらいのイメージでタンパク質の重要性を強調してる。補酵素に対する主役の酵素がまさにタンパク質そのものなんだ。酵素が満ち足りていて初めて補酵素と反応することができる。現代人の多くがタンパク質不足で、アスリートは特にその傾向は強いだろうね。」
「プロテイン飲んでてもダメですか?」
「実際、どれくらい飲んでる?」
「トレーニングがきつかった時ですかねー?」
「それだけ怪我するなら毎朝晩必ず摂取しても足りてないと思うぞ。ましてや生理不順でしょ?そもそもプロテインって筋肉マンのためだけの物じゃないからね。プロテインっていう名称がすでに筋トレやジムでのトレーニングを連想するから普通の人には馴染みが薄い。最近はプロテインバーなどタンパク質を多く配合している補助食品が増えてきたから良い傾向だとは思うけど。それと、摂取量や摂取するタイミング、そして、消化吸収力でも個人差がある。タンパク質が足りなくなると様々な不調が顕在化する。オーソモレキュラーで治療をしているドクターたちもプロテインは体のペース作りに必須で、本当に重要視してるよ。だから、より体を酷使するアスリートはタンパク質、つまりアミノ酸の欠乏は絶対に避けなければならないんだよ。」
二〇一七年の暮れは二人のサッカー選手に全力でコミットし刺激的で有意義な時間を過ごすことができた。そして、整体サロン運営事業は次のステージが見えてきた時期だった。「この技術を使いこなすセラピストをいかに育成するのか。」これがこの時期の唯一無二の経営課題だった。鮎川が主催していた”整体塾”は私塾なので当然ながら受講料がかかる。当時一二〇万円という受講料で、この技術が習得できる講座に四ヶ月通うというのがただ一つの道だった。脱サラし、もしくはすでに治療家として独立している人が、一二〇万円を支払って四ヶ月の間、無職になる。そして、整体の技術を身につけても必ずしもすぐに食べていけるようになるわけではない。余程この技術の将来性を見抜き、情熱を注ぎ込むほどの感性と、集客から整体院運営まである程度のノウハウと知識がないと中々飛び込めない環境に思われた。その一方で、もしこのハードルを下げることができれば、もう少しチャレンジしてくれる人が出てくるのではないかという淡い期待を同時に持っていたのも事実だった。採用と育成。この人材の問題解決への道はただ一つしかなかった。
「鮎川が運営しているいぎあ☆すてーしょん東京の組織と一緒になる。」
三人のセラピストと一人の専業主夫経営者という中小零細企業を絵に描いたようなカンパニーにとっては大きな決断だったが、この半年の鮎川とのコラボレーションがこの決断を必然なものにしていた。
「一緒にやりましょう!この技術を広め多くの人の痛みを和らげる。道は見えています。」
「はい、よろしくお願いします!」
鮎川は二つ返事で快諾してくれた。人材採用や整体サロン運営はこれまでのビジネス経験を活かせばなんとかやれそうだった。しかし、セラピストの経験がない私は、スタッフに整体の技術を教えることができない。育成を担当するスタッフもいない。このピースを埋めるのが鮎川を筆頭に、長くミオンパシーセラピストとして活躍してきたベテランたちだった。一二月に入り、年末にかけて慌ただしい年の瀬に一気に経営統合の話を固めた。
年が明けて二〇一八年一月、カンパニーに心強い五人の仲間が加わった。鮎川が運営する組織は個人事業主の集まりだったので企業を統合しても全てのセラピストが正社員として参画するわけではなかった。治療院業界の特徴として組織の一員という枠に縛られたくない人が整体の技術を身につけ個人事業主として独立しているケースが多い。そうしたバックグラウンドを考えるとそれも無理はなかった。一一人いたセラピストのうち五人残ってくれればそれで御の字だ。私がなぜ正社員登用にこだわっていたのか。それは、これから始まる採用や育成の仕組み作りは、組織が一枚岩になり一つの目標に向かって船出するような試みになる。カンパニーの規律を正し、理念を掲げ、これから一緒になって荒波に漕ぎ出す仲間という”枠組み”がとても重要になると考えていたからに他ならない。
カンパニーにたいして仕事がなく、別の企業に移っていた元経営陣で金庫番を任せていた山本を呼び戻し、私を含めた既存の四人と合わせてこれでメンバーが一気に二桁の一〇人になった。運営するサロンも二つに増え、いよいよ新たな航海の始まりだ。
「まろ、ちょっとハムストリングを緩めてくれない?」
平井良麿は三一歳になるベテランセラピストだ。歯学部に六年通ったが国家試験を受ける直前にミオンパシー整体術に出会い、その魅力に取り憑かれたように大学を退学してこの道に進んだ変わり種だ。私が以前セルフミオンパシーインストラクター講座を受講した時の講師の一人だったので、面識はあったが実際に施術を受けたことはなかった。医学系の大学で卒業間際まで学業に勤しんでいたことからも理論は的確で弁舌も滑らかだった。だが、施術となると話は別である。
「ちょっと腕を確認しておくか。」そんな軽い気持ちで、ミーティング後に初めて平井の施術を受けてみることにした。「なるほど、これが噂の技術か。」鮎川と比べると触診に力強さは感じられなかったが、捉えるポイントが的確で迷うことなく矢継ぎ早に筋肉ロックを解除していく。年齢は経験二年の望月と同じ、経験一年の西尾の一つ上だが、二人の技術と比べてもその差は歴然だった。平井をロールモデルとしサッカー歴の長い望月と本格的にプロサッカー選手を目指していた西尾を急成長させることができたら面白いことになる。この時私の脳裏には、近い将来プロアスリートをサポートする三人の若手精鋭セラピストチームの姿が鮮明に浮かびあがっていた。
その日の夜、個人でたまに参加してるサッカーの集まりがあったので顔を出してみた。平井のチューニング効果なのかいつもよりさらに体が軽かった。気持ちよく三〇分間プレーした頃だろうか、突然足が重くなってきた。 「ん?なんだこの変調は…」そして六〇分が過ぎた頃、突然右脹脛が痙攣してしまった。あまりに意外だったので、驚くとともに、このでき事が不思議で仕方なかった。筋肉の痙攣はマグネシウム不足の典型的な症状だったが、普段からサプリメントによる栄養摂取を強化しているので今日に限ってそれはありえなかった。
「緩めすぎたか?」チューニングを長時間つづけると筋肉ロックの解除が進み過ぎてバランスを崩すことがあった。平井は初めて私の体を触ったわけだから、それは十分考えられる。ただ、それが痙攣につながる機序が分からなかった。少し休憩して水分補給し、またプレーを再開した。少し強度あげて走って様子を見ていたが、しばらくして今度は左脹脛まで痙攣してしまった。両脹脛が痙攣したのは人生で初めての体験だった。その後、体に全くパワーを感じることなくその日は消化不良のままサッカーを終了した。
自宅に戻って風呂に入っても脹脛の違和感は消えなかった。疲労感もいつものそれと全く違っていたので色々調べてみた。その時、Googleの検索結果でふと目に止まったタイトルにピンときた。
「疲労回復を促すプロテイン!」
「そうか!」これまでの私は重要なポイントを完全に見落としていたのだ。ジムでのトレーニングを習慣化していたのでプロテインには馴染みがあった。ただ、パーソナルトレーナーからの指導では筋繊維の損傷を補修するための材料としか聞いていなかった。自分自身がまさに”プロテイン=筋肉マンのもの”という理解者の典型例だった。オーソモレキュラーは別名メガビタミン療法と形容されるほど、補酵素であるビタミンやミネラルなどの微量栄養素が主役として紹介されているケースが多い。酵素であるタンパク質を充足させなければならいという当たり前過ぎる話を割愛しているのかもしれないが、それまでの私の理解では最も重要視すべきタンパク質の存在が完全に欠落していた。その日は真夜中までタンパク質を調べ尽くした。知れば知るほどタンパク質には驚かされた。人の体にとって欠くことのできない高分子化合物で、低分子のアミノ酸と同時に理解を進めることで、これまで見えなかった謎が一気に紐解ける予感に、深夜のハイ状態が拍車をかけてひさしぶりに身震いがするほど高揚した。
施術をした翌日に急性の筋肉ロックを起こし、ひどい痛みを訴えてくる顧客がたまにいる。今回の私の脹脛の痙攣もそれに近い症状だ。ハムストリングをしっかり緩めたことで稼働する筋肉が急激に増えた。激しい運動をするのと同じような状態を想像してみると理解は早い。この時必要とするエネルギー量も急増するのだが、エネルギー代謝回路が最適化されていなければ施術後の運動などによりさらにエネルギーが必要となり欠乏状態を招くことになる。タンパク質分解も進みアミノ酸をもエネルギー源として利用する緊急事態だ。このエネルギー不足によってロックした筋肉の解除にすら回らず急性筋肉ロックが起きるというメカニズムと推察している。
この経験以降、タンパク質は全てのベースとなり、問題が起きればタンパク質の影響を疑った。チューニングは長い場合、四時間にも及ぶ。チューニングの合間合間で、EAA(必須アミノ酸のこと。このうち分岐鎖アミノ酸、いわゆるBCAAであるバリン、ロイシン、イソロイシンが主に筋肉に作用する)を補給することで筋肉の良い状態が維持でき、その後の馴染みやすさも向上していった。顧客には、施術を受けた当日の夜寝る一時間前にプロテインを摂取するようアドバイスするというアクションがセラピストマニュアルに加わったのは言うまでもない。
タンパク質の重要性については、前述した広島の藤川徳美ドクターはプロテイン+鉄+ATPブーストを治療の基本としており、とても理にかなっていると考えている。藤川ドクターの書籍やFacebookのフィードでは多くの改善事例が紹介されていた。不定愁訴はだいたいタンパク質不足を解消すれば改善していくようにすら思えた。
タンパク質の本質は遺伝子を学べばさらに理解が深まる。遺伝情報が書かれている染色体の重要性分であるDNAの長さは一つの細胞内で2mもある。ヒトの細胞を三七兆個と仮定すると、その全長は740億kmにも及ぶ。これがどれほど長大か想像しやすくスケールしてみる。
・地球の赤道周回は4万km
・地球と太陽の距離は1億4,960km
DNAの全長は計算上は、地球185万周分、地球と太陽の247往復分の長さになる。この想像を絶する長さのDNAに書かれている情報は、タンパク質の分解合成の配合がコードされているという事実に驚愕する。DNAはその膨大な情報を元に常時ホメオスタシス(恒常性維持)を機能させて、人体を正常に保っているのだ。髪や爪に始まり、肌、臓器、筋繊維、血管、細胞、にいたるまでヒトの器官はタンパク質で満ち溢れている。骨でさえ基本構造にコラーゲンというタンパク質が使われているのだ。
「なんて素晴らしい!こんな驚異的な小宇宙が自分たちの体の中に存在しているのだろうか!」
タンパク質をしっかり充足させ、その機能を存分に発揮させるべく微量栄養素をメガ摂取する。そうすれば人体というスーパーコンピューターが、起きるほどんどの問題を、適切に処理し解決してくれるというメカニズムということになる。先人たちは太古よりこの事実を知っていたからこそ、
”プロテイン(タンパク質)=第一の物”と名付けたのだろう。
「タンパク質って本当に大事なんですね。知りませんでした。」
「達也もニコルも自分の会社でプロテイン売ってるじゃん笑。」この時から、なんとなく籾木結花のことをニコルと呼ぶことにした。
「それは言わないでください…笑」
「とにかく、小腹が減ったらプロテインだよ。余程大量に摂取さえしなければ腎臓に負担はかけない。そして、最も重要なことはタンパク質を消化吸収して体内に必須アミノ酸を充足させることだから、EAAが重宝する。EAAは血液を介して直で筋肉に作用するから腎臓への負担も気にしなくていいと言われている。ぼくは水分摂取量も制限しているから、常に持ち歩くのはEAAの粉末を水で溶いたスペシャルドリングだよ。」
「えっ?水分って制限すべきなんですか?それも興味あります!」
「そうだよ。通説とは違う。水中毒って知ってる?それも話し出すと後一時間追加になるからまたの機会で笑。」(つづく)
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