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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第8章 ヴィジョン

 「どう?だいぶ自分の可能性、つまり足りないところが見えてきたかな?足りないところは伸びしろだから、客観的かつ論理的に精査し現在地を見積れると、やるべきアクションやアプローチの確度が高くなるよね。間違いなく栄誉改善は必須かな笑。
 ところでニコルってどんな目的でサッカーやってるの?CRIACAOに入社したってことは、プロサッカー選手じゃないんだよね?日本代表の現役バリバリのトッププレイヤーがどんな心境で、どんな未来を描いてサッカーしてるのかってすごい興味あるんだよな。」
 「女子サッカーの価値を上げたいんです。」思案することなく条件反射で答えが返ってきた。真っ直ぐな視線が志の高さを感じさせた。
 「価値か。難しそうだね。じゃあ、その価値って何だと思う?」
 「表面的には観衆が増えること。そのためには選手一人一人の魅力を高める必要があると思っています。」
 「なるほど、マーケティング的には正解だよね。でも集客って大変でしょ?お金を払ってでも観に行く価値がないとビジネスとしては続かない。今、一試合の観衆はどれくらい?」
 「ホームの西が丘で五千人くらいです。」
 「なるほど。J1でも1万五千人以上でやっと採算に乗るのかな?もっとかもしれない。それでも今の女子の三倍だ。それくらいの観客動員、つまり価値があってはじめて選手がプロフェッショナルとして食べていけるんだよね。ニコルは年棒いくらの選手になるの?年棒は絶対的な価値ではないけど、わかりやすい指標だよね。ぼくはスタッフに給与が価値だと伝えている。誤解されることもあるけど、自分の仕事にどれくらいの価値があるのかって大事だと思うんだよね。ちなみにボランティアにはもっと別のベクトルで素晴らしい価値があると思ってるから決して拝金主義じゃないよー笑」
 「年棒ですか?考えたこともないです…」
 「一億円くらい?」
 「えー、無理ですよ。だってまだ世界でも誰も一億円もらってる選手いないですよ、女子では…」
 「あっ、そうなの?知らなかった。世界規模でも市場はそんなもんか。というか、それってめっちゃチャンスじゃん。ニコルが世界初の女子サッカー一億円プレイヤーに成ればいい!」

 岡部将和が渋谷桜ヶ丘の事務所を訪ねてきたのは二〇一一年八月八日、夏真っ盛りの暑い日だった。
 「スーツ着てきたの?ラフで良かったのに笑」ここ数年でテレビやYouTubeでの目覚ましい活躍、そして書籍の出版など”ドリブルデザイナー”の肩書きですっかり名を馳せた岡部は、この前年プロフットサルプレイヤーを引退したばかりで、自ら立ち上げたサッカースクールの運営に方向性を見失いつつある苦しい時期だった。
 「はじめまして。お忙しい中お時間作っていただきありがとうございます。均さんにご相談がありまして。スクールの経営のことです。ぼくはボールしか蹴ってこなかったのでそういうのがからっきし得意じゃなくて。」 岡部は元プロアスリート然としてない見るからに真面目な好青年だった。暑い真夏でも初対面の礼儀として着慣れないスーツを着てきたことからも好感が持てた。経営の相談に乗ってやって欲しい男がいると知人から頼まれ実現したミーティングだった。
 「ぶっちゃけ、スクールって難しくないですか?プロと言ってもフットサルでしょ?元Jリーガーだって五万といる。その中で元Fリーガーじゃ見劣りするよね。岡部くんって本当にスクールやりたいの?」
 「ズバッと言われてしまうと本当にその通りで…」
 「ぼくは回りくどいこと言わない性格で笑。気に障ったらごめんね。でも言うべきことをしっかり伝えないと本質が見えないと思うんだよね。」
 「確かにスクールは雨後の筍のように競合が出てくるし集客も大変です。集客しても食べていくのにやっとだし、本当に自分がやりたいことかと問われると自信を持って、はいとは言えないですね。」
 「こうして話すのは初めてだけど、実はぼくは岡部くんを以前LUZ(新横浜にあるフットサルブランド)の天下一武道会で見たことあるんだよね。ゲームじゃなくて子どもたちと遊んでる姿だけど笑」
 「えっ、そうなですか!?」
 「休憩時間にやってたでしょ、子ども相手にめっちゃ本気ドリブルで楽しそうに股抜きしまくってて笑。手抜かない面白い人だなーと笑。あれをやればいいんじゃないの?」
 「ドリブルですか?」
 「そう、ドリブル笑」
 「たしかにドリブルが好きでドリブルばっかりやってました。サッカーは大学まで体育会でやってました。風間八宏さんが監督でした。でも自分をより活かせるのはフットサルかなって思ってフィールド変えました。でもフットサルもめっちゃフィジカルを重視するので、正直楽しめたかと言うと…。」
 「楽しいことやれば?そういうヴィジョンでもいいと思うよ。ヴィジョンが最初は抽象的でもだんだんクリアになってくることもあるし。人と同じことやってもその先って知れてるよね。イノベーション起こしてみなよー。」
 「なんかすっきりしました。型にはまったスクールをやる必要はないんですよね。誰に言われたわけでもないのに、自分で自分を型にはめようとしてたのかもしれません。」
 岡部とは、それからしばらくフットサル仲間として遊びでボールを蹴ったりしていたが、動画配信の効果もあり岡部のスクールが軌道に乗り始めてからは、その多忙さからいつしか縁が途絶えていった。

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そんなある日、突然メッセンジャーの着信音が鳴った。
 「均さん、ミオンパシーってどうなんですか?Facebookで拝見してます。最近、痛いところが増えてきました。」
 「そりゃ、あれだけドリブルしてりゃあ痛いとこ増えるわな笑。一度うちくる?診るよ。」
 二〇一五年五月二五日、岡部が自宅を訪れた。フットサルを一緒にやることはあったがプライベートで会うのはこの日が初めてだった。何事にも貪欲な岡部らしく最初からこのケア方法をマスターしうよという意気込みが感じられた。
 「岡部くんでも痛くなるんだねー。キレのある動きはしなやかな筋肉から生まれるからあまり筋肉ロックはないのかなと思ってたよ。」
 「多分、サッカーやってる人たちの中では痛みは少ないと思いますが、現役当時より見られる立場になるし、各地に招待される機会も増えているので故障できないんですよね。」
 なるほど、状況が変わればケアの意味合いも違ってくるし、プロアスリートのようにクラブ専属のトレーナーがいるわけでもないからセルフケアは必須なのだろう。
 セルフ整体を指南するという目的だったので、私が施術するのは少しだけにしようと思っていたが、大腿四頭筋と腸腰筋だけは触ってみたかった。たしかに、少し強張っていたがとても緩みやすかった。食が細く甘い物をほとんど食べないと言っていたので、栄養状態が良かったのだろう。短い時間の触診で気になったのが岡部の内転筋群の柔らかさだった。競技志向でサッカーをやってきた選手でも内転筋群がこんなに良い状態の選手がいるのかと驚いた記憶がある。
 二人で二時間ほどセルフ整体をやったり施術を施したりしながら体について議論を交わした。
 「何かいい感じがします!」達也が同じ場所で同じセリフを言うちょうど一年前の出来事だった。この日から二年後の秋に、岡部とコラボレーションした研究セッションでメッシやネイマールの動きの秘密を解き明かすことになるのだが、この内転筋群のコンディションがそれを予感させていた。

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「ようこそ!」
 「素敵な空間ですね。」
 初めて会った日からちょうど一年後の二〇一八年三月二八日、鵜川洋明が調布市仙川町にあるLabを訪れた。鵜川はファンケルの営業部長を務めたほど優秀なビジネスパーソンだったが、当時スタッフの育成に苦心し思い悩むことが多かった。スタッフがのびのび生き生きと活躍できるような職場づくりを目指していたが、事業拡大のスピードが早いとそのバランスを取るのが難しく、理想の追求ばかりでは結果が出せないことも知っていた。
 「ぼくも当時は厳しい上司だったと思います。」鵜川は会うたびにそういう過去を打ち明けるが、事業責任者からコーチへ。コーチから人材育成コンサルタントへ転身した今では、当時の強烈なリーダー像が想像できないほど柔和で思慮深い信頼のおけるアドバイザーだった。
 「直くんの引退試合は素晴らしかったですね。鵜川さんのセミナーがなければ直くんとの出会いもなかったし、あの引退試合さえ存在しなかったかもしれません。」
 「そうなんですか!?あっ、うーさんでいいですよ笑。」
 「じゃあ、ぼくは均さんで笑。」
 「あれから一年なんですね。あっという間でした。当時はまだビジネスの現場に復帰していなかったので、達也との付き合いで仕方なくアスリートカレッジに参加したんですよ。正直あまり乗り気じゃなかった笑。でも、おかげで直くんに出会え、司くんに出会えた。そして、今こうして本気で新規事業にチャレンジでできている。必然なんだろうけど、やっぱりうーさんに感謝なんです。ありがとうございました。」
 「そう言ってもらえると嬉しいです。ヴィジョンの力ってその人の持つ潜在的な何かを呼び覚ますことにあるんだと思ってます。きっと均さんの潜在意識が呼び寄せたのかなー笑。」 
 カンパニーの仲間が一一人に増え、六月には新たに四人の仲間を迎い入れる予定になっていた。採用コストの面や事業の性質から、リファラル採用を中心に人材の発掘を行っていた。既存社員の知人か、もしくは自分のような元顧客だ。そうした一風変わったメンバーが集う組織において、モチベーションの拠り所がいわゆるベンチャー企業のそれとは違うと感じていたので、何か新たなドライバーが必要だと考えていた。そして、自分が再びビジネスに目覚めたきっかけとなった鵜川のヴィジョナリーワークデザインというワークショップがずっと気になっていた。
 「あの時はまだ社員が三人だったんですが、この春で一五人になります。一気に増えると社員の育成についても仕組みとして考えないといけないなと思いまして、ぜひうーさんにヴィジョナリーワークデザイン(以下、VWD)を社内向けに実施していただけないかと思いご連絡差しあげた次第です。」
 「いいですね、やりましょう!そして、ビジネスが順調そうで何よりです。VWDで人生をよりよくする人を増やすというのがぼくのヴィジョンなので大歓迎です。」鵜川は二つ返事で引き受けてくれた。
 自分の人となりやカンパニーの実態を知ってもらうことがファシリテーターが最高のセッションを作りあげる上で重要だと考えていたので、それから自分の前職でのベンチャービジネスのこと、このカンパニーの生い立ち、ミオンパシー整体術のこと、オーソモレキュラーのことを熱く語った。そして、鵜川のVWDによって潜在意識を顕在化させることができたカンパニーヴィジョンのことを。
 「筋肉のロック現象を証明し、世界を変える!」
 ヴィジョンの力は一見大それて突飛なことも、その実現に無限の可能性を感じさせてくれる。人に分かってもらう必要はない。自分がどこまでヴィジョンを信じ、アクションの積み上げで一気に突き抜けられるかだけなのだ。
 「”これを知る者はこれを好く者にしかず。これを好く者はこれを楽しむ者にしかず。”孔子の論語にある一節です。均さんが話してるの聞いていて、まさにこれだなと思いました。本当に楽しんでますねー笑。」博識な鵜川からはいつも学ぶことが多いのだが、この日は特に記憶に残る学びが盛りだくさんだった。ここ一年は本当に楽しいと感じることが多くなっていたのは事実で、この論語の一節を聞かされた時は、我が意を得たりと身震いがする思いだった。

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「年棒一億円。考えたこともなかったです…」ニコルの顔にはこの人は何を常識外れのことを宣ってるのか?という思いがありありとしていた。
 「ヴィジョンは具現化するんだよ。思考は実現すると言うと分かりやすいかな?でも、逆も真なりで思考しないことは絶対実現しないと思うよ。多くの人は自分で自分に天井を設けるんだよ。自分はこの程度の人間だ。無理だ。才能がない。あの人とは違う。不思議なんだけど、やらない言い訳を一所懸命探してるんだよねー笑。誰にどう思われようとやりたいことをやる人生が楽しいと思うんだけどね。」
 「なるほどー。会社でもヴィジョンの話はよくします。でも自分自身が本当のヴィジョンに気付いていなかったのかもしれません。女子サッカーの価値を高めるということはその存在のプレゼンスを高めるに他ならず、選手一人一人がプレゼンスを高める必要がある。」
 「その通りだね。ヴィジョンは”女子サッカーの価値を高める”でいいと思うよ。そのヴィジョンを実現するためのKey Ideaの一つが”世界初の女子サッカー一億円プレイヤー”でいいんじゃないかな?」
 少しの間があり、「成ります!、世界初の1億円プレイヤーに!」とニコルが断言した。
 「あー、言っちゃったー笑。でも、そういう迷いのない決意って気に入った。じゃあ、うちで全面的にサポートするわ。」
 「いんですか!?」達也が驚いたように念押しする。
 「いいよ、今決めた。閃いた。波動だ笑」
 「Nicole Beyond The World!」
 「これがプロジェクト名。本気で世界を狙うならうちのエース級を担当させる。平井、望月、西尾の三人がメイン。社内ではMMNと呼んでる笑。平井はHじゃなくてM。あだ名がまろなので笑。」
 「えー、マジでいいなー」
 達也が羨むのも無理はない。この三年の間、カンパニーのセラピストのチューニングを数えきれないほど受けてきた達也には、この三人がいかなる実力の持ち主か、十分過ぎるほど理解できたはずだからだ。(つづく)




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