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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第18章 日本百名山

 「最近は山ばっか走ってるよ。」
 「いつもFacebookで見てます!本当にきつそうですね。」
 「ニコルも行くか?笑」
 「はい、本当に行きたいです!」
 「山を走るのは甘くないぞ。クラブでのトレーニングよりは確実に負荷が高いので、シーズンオフにラントレして脚力がアップしたら仕上げに山を走るか。大事なシーズン前に怪我したら元も子もないから本当にやれそうだったらだな。でも、澤さん(元日本代表のエースで女子サッカー選手の偉大なる先駆者、澤穂希)を超えるなら、技術にも増して精神力、体から溢れんばかりのバイタリティが必要だよな。短期間で身につけるのはかなり難しいと思うけど、山ならそれを可能にしてくれるかもしれな。大自然との調和なので、本能を解放するには最高のランニングになるのは間違いない。ラントレの最後の仕上げで連れて行きたいとは思っているので候補にしている山の状況をチェックしておくよ。雲取山か丹沢山を考えてるんだけど、降雪があると走れないからね。」
 二〇一九年四月の初対面で決まったNBWプロジェクト(Nicole Beyond The World!)は、五月からスタートした。カンパニーの精鋭セラピストチームMMNが中心となってニコルの体を怪我から守り、さらに最高の状態へと昇華させる。秋に入ると怪我の心配はいらないまでに改善していた。一〇月八日、パフォーマンスアップのフェーズに移行するために、日本代表戦も入って過密日程になる前に、Labにてパフォーマンスチェックを実施した。
 ラダーは想像していたものと違いかなり速い。チューニングによって股関節屈筋群がスムーズに動くようになったからだろう。反復横跳びは、クイックネスはあるが少し横に流されてブレる。膝が割れて大内転筋が使えていない。垂直ジャンプは脹脛の張力が足りない。フィットネスには十分伸びしろがあった。
 「最後にニュートラルステップ」
 「何ですか、それ?」
 「メッシの秘密だよ笑。筋肉ロックをかなり低減しているので、今なら股関節屈筋群の柔軟性も改善しているし、大腿四頭筋から大内転筋やハムストリングも機能するはずだ。それであれば、ニュートラルステップのマスターも早いと思う。本来であればホモ・サピエンスなら誰でも直ぐにマスターできるんだけどね笑」
 この日、ニコルのクイックネスを劇的にアップさせる秘訣を伝授した。厳しいシーズンの合間に自主トレしてこのステップを強化する約束をし、チューニングに移った。

 雲取山の八時間に渡る縦走は私たちにとって、相当な自信になったことは間違いない。それからは、毎週一座走る想定で、関東の日本百名山をターゲットに山ラン(急勾配の登坂がメインとなるトレランはそう呼ぶことにした。)のコースをアプリで作成していった。そして、今年の集大成を箱根外輪山50kmに定めた。このコースはトレラン界では「箱根ガイリーン」と呼ばれトレイルランナーにとっての登竜門になっている。箱根湯本駅から箱根外輪山をぐるっと一周して箱根湯本駅に戻ってくる縦走コースなのだが、日帰りで戻ってくることができたら一人前のトレイルランナーと呼べるほどの難易度だ。中には夜通し走り続けてこのコースを二周、つまり100km走る強者もいるらしい。時計回りと反時計回りでも難易度が変わる。私たちは本番でどちら回りにするかは、直前まで決められない。どれくらい積み上げることができるによって判断することにした。

 目標が定まると毎週一座の日本百名山への集中度も高まってくる。雲取山の翌週は、奥秩父の大菩薩嶺、2.057mを走った。二週連続での2,000m級となる。登山ルートが複数あり、難易度がそれぞれ違う。比較的登りやすい百名山ということもあり登山客が多い。私たちは人が少なく走りやすい裏街道に当たる丸川峠から登った。山頂は何の変哲も無い素っ気いない物だったが、名物の雷岩までくると雰囲気が一変する。天気は雨交じりの曇りだったが、雷岩に着くと一瞬晴れ間がのぞき幸運にも絶景を拝めることができた。その絵画のような眺望がお気に入りの山の一つになった。一番標高が高い登山口まで車で行けるようなので、幼児でも登れるならいつか家族でトレッキングに来たいと思うよな綺麗な山だった。今回は小菅の湯までの18km。先週の雲取山の負荷が高かったので、一旦リセットの意味もあり少し距離を縮めた。それでも休憩を含め五時間三〇分の山行だった。 

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 その翌週からランニング&マウンテン研究のメンバーを私、望月、西尾の三人に固定することになった。望月は先週の大菩薩嶺には同行しなかったが、その間同僚の手を借りて膝の痛みから回復していた。今週は、奥秩父の甲武信ヶ岳、2,475m。登頂のみなら距離が短いので登山口がある標高1,000mの西沢渓谷を一周走ってからピストンで登った。走ったのは西沢渓谷の半周約4kmだけで、その後は完全な”登山”だった。少し速いペースの登山は筋トレそのものだった。階段の上り下りよりは一段一段が高い岩場が多いので、上半身も使いながら全身の力で登っていく。そして、それがどれくらい続くか分からないのでトレーニングジムでのレップ数という概念が当てはまらない。まさに大自然のアスレチックトレーニングだ。山頂に着くと長野側からソロで登ってきた青年に出会った。東京で長野と聞くと少し遠く感じるロケーションだが、山に関わるようになってからは、山の聖地としてこの先何度も長野を訪れることになる予感がしていた。20km、八時間は雲取山の山行時間と同じだが、登山が中心だったので妥当な結果だろう。 

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 甲武信ヶ岳の翌週は家族で高尾山に登ってリフレッシュした。そして、その翌週に金峰山・瑞牆山の日帰りダブルピークにチャレンジした。距離は15kmと山ランにしては短いが、日本百名山を二座ということで標高差がきつい。金峰山は標高が2,599mあるが瑞牆山荘登山口が1,500mなので1,000m登ることになる。登山口から富士見台小屋までオーソドックスな山道が続く。ここから分岐して金峰山へ向かうが、距離が短いので走るにしては勾配がきつく、半分走って半分登るという感じになる。ピークが近づいてくると大きな岩から鎖が垂れ下がっている、いわゆる鎖場がいくつもあり完全に登山に変わる。しばらく登ると砂払いノ頭に到着。一気に視界が開け南アルプスが一望できる。そのまま稜線を登って山頂に到着。山頂は快晴で富士山が真横に見える高さだ。高所登山としては登りやすい山なので年配の登山客も多い。広々とした山頂では標識前での記念撮影で混雑していた。のんびり眺望を楽しみながら昼食を摂った。タンパク質を中心にゆで玉子やチキンとおにぎりというバランス食だ。一時間くらい休憩し瑞牆山を目指して下山した。登って来た道を富士見台小山まで戻る。ここまでで11km。岩登りが増えると距離では測れない疲労感がある。望月は雲取山で顕在化した膝裏の痛みが再発しているようだった。瑞牆山はここから往復4km。ただ直登するだけで走れる箇所はほんの数100mだろう。山荘のベンチでセルフ整体し、少し痛みが緩和した望月を勇気づけ、山頂に向かってリスタートした。瑞牆山はトレランどころか登山という感じさえしない、天然の要害を攻める岩登りだ。もちろんロッククライミングのような難易度の高いものではないが、金峰山と同じような鎖場が、さらに多く立ちはだかる。痛みが出るというよりはただ疲れる登山だった。そして山頂も岩だった。日暮れが迫っていたので急ぎ下山の途についた。下山途中で何組かの登山客を追い越したが、金峰山と瑞牆山のダブルピークに驚いていた。五人組の中年の登山客と話をする機会があった。五〇代や六〇代の人たちはみな一様に膝や腰が痛いと言っていた。ほとんどの人が甘い物が大好きだった。結局、15km、休憩入れて八時間のダブルピークで疲労困憊の厳しい山行となった。トレランを始めた二ヶ月前だったらきっと一座で精一杯だったはずだ。

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 翌週の六座目は、いよいよ3,000mに近づく南アルプスの鳳凰三山、標高2,841mだ。前日に初冠雪を記録した南アルプスの高峰を尻目に、やや低い鳳凰三山は雪がないという情報だったので軽装備で山に入った。 
 山梨県南アルプス市にある標高1,380mの夜叉神峠登山口までは自宅から150km、時間にして二時間半の遠征だ。朝5時にLabで望月をピックアップして出発。中央高速道を八王子駅に向かう。横浜在住の西尾をピックアップするいつものパターンで、ピックアップ後は再び中央高速道に戻る。この秋、すっかり見慣れた中央高速道の風景は、右にも左にも山しかない。昔は何も感じなく、ただただ退屈だった道路と風景が、今では心踊らさせる風景に変わっている。
「人は変わるのだ。」
 中央高速道を双葉まで進みそこから中部横断道へ入る。白根ICを出て三〇分、20kmほど南アルプススーパー林道を登り8時に夜叉神峠の駐車場に到着した。そして、ランニング準備をして8時30分に山に入った。10kmかけて標高差1,500mを駆け上がる。トレランとしてもお誂え向きのコースだ。登山口から三〇分ほど走ったところで眺望が開け南アルプス国立公園夜叉神峠に到着した。その後は眺望が一切ない山道が続く。山道はどこの山も見慣れた風景のようで一つ一つが違う。根が張り出たトレイルがあると思うと、ガレの岩場が延々と続くこともある。人の手が入り、走りやすくなった小道もあるし、鬱蒼と草が生い茂る道無き道もある。ピーク付近は大きな岩を先人たちが切り開いて作ったルートが私たちを導いてくれる。
 この日は標高2,500mを超えた辺りからやや頭痛が始まった。初めての高山病かもしれなかった。南御室小屋のベンチで休憩しながら首筋を触ったら胸鎖乳突筋が左右ともガチガチに硬くなっているのが分かった。ここでメインサプリメントを補給したが、マグネシウムはいつもより一粒多い270mg摂取しておいた。セルフ整体を一〇分ほど実施して首筋を緩めた。気休め程度だが少し頭が軽くなった気がしたので先を急いだ。
 そこから、300mほど最後の尾根を登ると森林限界を越えて一気に視界が広がり鳳凰三山の一つ、薬師岳の山頂が見えてきた。だが、そこは予想もしない一面の銀世界だった。5cmの積雪なので歩けないことはないが走ることはできなかった。軽アイゼンも持っていなかったので無理はせずに早歩きで進んだ。トレランのシューズだと、少し滑ったので歩き方を変えてみた。登りも降りも大内転筋を特に意識して使ってみた。「滑らない。これか!」雪山では滑落後の対処以前に、まず滑落しない技術が必要となる。登山客を見てるいるとほとんどの人が外重心、つまり大腿四頭筋でも外側の外側広筋から大腿筋膜張筋を使って登っている。確かに踏ん張りは効くが、一度体重が外にかかると大きくバランスを崩す可能性がある。山でもニュートラルステップの原理が使えるのだ。
 薬師岳から観音岳まで雪の斜面を歩いた。本来なら走れる場所だったが、ここでかなり時間をロスしてしまい、最後の地蔵ヶ岳をどうするか思案した。地蔵ヶ岳のオリベスクは鳳凰三山の目玉であり、ここを見ずにして帰るのは残念でならなかったが、日帰りと軽装を考えるとリスクはおかせなかった。最高ピークの観音岳には登れたので三人で納得して勇気ある撤退を決めた。その決断を後押ししたのが、ピークハントよりもっと心の中心を抉られるような衝撃的な雪山との出会いだった。この観音岳の山頂から眺めた、北岳を中心に連なる雪化粧した南アルプスの稜線は本当に素晴らしく荘厳だった。青く澄み渡った空の下に、これぞまさしく絶景と言える広大な大自然がそこに聳えていた。
 21kmの山行の下山時刻は、登山開始から八時間経過した一六時の夕暮れ時だった。もし地蔵ヶ岳に行っていたら真っ暗闇で遭難していたかもしれない。今にして思うと、あの山々の絶景が「今は帰れ。そしてまた戻ってこい。」と言ってくれたのだろう。そして、今回のこの山行が雪山へのチャレンジへとつながっていく。

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一二月以降はほとんどの高山で降雪期に入るため、鳳凰山の翌週に神奈川の丹沢を走って山ランは終了となった。丹沢は日本百名山の中では標高も低く、1,567mしかない。山道は、観光客が多い山とあってしっかり整備されておりとても走りやすい。登山客が多いので迷惑にならないように気を使うが、私たちよりも速く駆け上がる若いアスリートらしき姿も見られたので、トレラン適応が高い山なのかもしれない。「バカ尾根」と呼ばれる名物の急勾配があるが、それ以外は比較的緩やかな山道が長く続くので、心拍トレーニングにも最適だろう。この程度の負荷ならプロアスリートのトレーニングにはもってこいの山かもしれない。この頃の山ランは縦走も含め、二〇二〇年一月から始まるニコルのラントレの仕上げの場所のリサーチを兼ねていた。あまりに過酷だとオーバートレーニングになってしまう可能性がある。山の下りは捻挫も懸念しなければならない。大事なシーズンを前に大怪我は絶対に避けなければならないので、強度を高められるコースを慎重に模索していた。
 トレーニングコースの検証という目的を最優先にしていたので、疲労度・距離・時間の負荷を総合的に判断し蛭ヶ岳までの縦走をやめて丹沢山で折り返すことにした。18km、五時間三〇分の山行で今年の日本百名山トレランは終了した。
 丹沢を含め、この秋は日本百名山を七座走ることができた。この先のライフワークになるであろう山との出会いは、四〇年蹴り続けてきたサッカーとは全く違った魅力に満ち溢れている。ランニングしかり山しかり、人生の投影としては出来すぎているのだが、それだけに奥が深く感慨深い。苦しい時もあるが、それを超えると倍の喜びがある。そして、また苦しい急登坂やインターバル走が待っている。その苦しさもいつしか力となって次のハードルを越える原動力に変わる。そして、そこには明確なゴールが存在しない。なぜなら、その道程こそが永遠に続く楽しみに他ならないのだから。
 この時期、次の大きな目標として世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)に登るという壮大だが現実的なプランが目の前に広がっていた。(つづく)


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