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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第4章 筋肉のロックと栄養

 「前十字靭帯を損傷するメカニズムが少し見えてきたかな?筋肉が硬くロックして伸縮しなくなるから、体が歪むほどバランスが崩れるんだよね。ところで、子どものころって痛い場所あった?うちのサロンには早い子で小学生の低学年で来店するお子さんがいるけど一般的にはレアケースだと思うよ。子どもはまだ硬い筋肉が少ないから不調が痛みとなって顕在化することはない。じゃあ、硬い筋肉が蓄積していく年月に個人差が出てくるのはなぜだと思う?」
 「スポーツとか運動をやる回数が影響してますか?」
 「それは当然あるよね。誰でも筋肉はロックするけど、スポーツで激しくぶつかったり転んだりすれば、普通に生活するよりはロックが蓄積する。おそらく野生動物も筋肉はロックすると思うよ。」
 「でも、筋肉はロックしたらそのままかな?」 
 「あのー、筋肉のロックって話をずっとされてるんですが、そもそも筋肉が硬くなる理由がわかりません苦笑。」
 「達也、筋肉のロック現象の話くらいは教えてないのか?」
 「すみません…苦笑」
 「マジで一〇時間コースだな笑。筋肉には伸張反射を利用して体を守る機能が備わってるんだよ。難しい話だけど大事なポイントなのでさわりだけ簡単に説明するわ。伸張反射は、例えば熱いフライパンに手が触れたら脳が”手を離せ!”という指令を出す前に勝手に手が動く。これはイメージできるかな?
 随意運動と不随意運動はわかるかな?脳の指令で動くのが横紋筋による随意運動で、いちいち脳が指令しなくても勝手に動くのが平滑筋による不随意運動。心筋で動く心臓とかね。だから、ボールを蹴るのは随意運動だよな。この随意運動する筋肉も、伸張反射で勝手に動くことがある。これは筋紡錘が…」
 「すでに顔に?マークがいっぱいみたいだけど大丈夫か?笑。」
 「まあいいや、随意運動だけ覚えて笑。じゃあ、筋肉は伸ばされるのと縮まるのではどっちが危機だと思う?」
 「伸ばされる方ですか?」
 「正解。ストレッチやり過ぎると痛いもんな。ストレッチは意識的に伸ばしてるわけだ。でも実際は、伸び縮みが同時に起きてるんだよ。主導筋と拮抗筋の関係。キックする時に足を振り上げるのを想像してみて。全身運動なんだけど理解しやすいように太腿だけに注目な。足を後ろに振り上げる時はハムストリングが縮まって大腿四頭筋が伸ばされる。つまり太腿の裏側が主導筋で表側が拮抗筋。今度は逆に足を振り下ろす時は大腿四頭筋が縮まってハムストリングが伸ばされる。主導筋と拮抗筋が逆転するんだよ。」
 「イメージできます!」
 「賢い笑。」
 「つまり、主導筋が脳からの指令で縮んで骨格を動かしてるんだな。その時、拮抗筋は意識せずに伸ばされている。力を入れるというのは、主導筋を縮めると同義ということになる。」
 「じゃあ、先行くぞ笑。さっきの伸張反射に戻る。熱いフライパンに触れた手が勝手に動くのは力こぶが出る側、上腕二頭筋が縮まって、外側の上腕三頭筋が伸ばされている状態だな。この時、脳の指令なら伸ばされた拮抗筋が危機的状況になるほど伸ばされる前に主導筋の力を抜くよな?ストレッチで筋肉が切れるまで伸ばすやつはいない笑。じゃあ、伸張反射ならどうなると思う?脳の指令が届く前に動くわけだから、下手すると拮抗筋が切れるくらい伸ばされてしまう可能はないか?」
 「ありますね。でもそれで筋肉が切れる人はいないような気がします。」
 「そう、人体ってのは本当によくできていて、伸張反射の時に伸ばされた筋肉が危機的状況になる前に筋紡錘というセンターが反応して、それ以上伸びないように筋肉の動きが止まるんだよ。シートベルとがカチっと硬くロックするように。ぼくらはこれを筋肉のロック現象と呼んでるんだ。医学用語では筋拘縮とか筋攣縮って言うんだけどね。伸張反射自体は体を守るための機能だから頻繁に起こってる。後ろから激しいチャージを受けたり、バランスを崩して転倒したりとか、”不意打ち”に対応する時に起きてるな。その度に筋肉はロックするわけだ。」
 「やっとここまできた笑。で、さっきのお題だけど、ロックした筋肉はそのままか?という話だったな。」
 「そのままだとどんどんロックして動かない筋肉が増え続けてしまいますね。」
 「そうだよなー。せっかく体を守る仕組みなのに、それで体中が動かない筋肉だらけになったら本末転倒だ。だから、ちゃんと筋肉のロックは自然と解除されるようになっている。ぼくらは科学者じゃないから証明したわけじゃないが経験則から考えると、
 ・危険が去って緊張がほぐれた時
 ・リラックスして心拍数が安静時並に下がった時
 ・睡眠時、副交感神経が優位になって楽な姿勢を取った時
 これらが筋肉のロックを”解除しやすい条件”だと考えている。ただ、これだけじゃ十分じゃないんだよ。やっとここからが今日の本題だ笑。」

 「足りないのは分かってるけどどこから手をつけようか迷ってます。」梅崎の体は緩みにくい筋肉が多かった。原因は色々考えられるが、栄養が足りていないことは筋肉の質が物語っていた。このころ、私の研究課題は施術の技術向上から栄養摂取に移っていた。同じ施術でも対象者によって緩むスピードが違う。年齢と比例しているようだが、老化とは違った何かが原因となってるのは明らかだった。インターネットがある時代で幸運だったとつくづく感じるのがFacebookのフィードだ。玉石混交入り混じった情報の嵐だが、見る目を養うと得るものは大きい。フィードをフォローしている一人、広島の精神科医藤川徳美ドクター(栄養改善で治療するハウトゥ本がベストセラー連発の有名ドクター)から得る情報もその一つだ。藤川ドクターのATPブーストは当時の私たちにとって完璧な回答だった。ロックした筋肉を再び動かすためのエネルギー。学生時代に生物や化学を全く勉強してこなかったことを悔やむほど、このアデノシン三リン酸(ATP)を取り巻くエネルギー代謝回路の話は目から鱗だった。実際に栄養摂取を強化すると、「緩みやすい筋肉と緩みにくい筋肉の違いはエネルギー代謝に原因がある。」と断言できるほどの効果が現れたてきた。
 梅崎の体に栄養を加えたい。理論的には筋肉は反応しやすくなるはずだが、相手はプロのアスリートだ。生兵法ほど危険なことはない。確かに情報は集まるがどんな結果が出るかはやってみないと分からないというのも事実だ。
 ちょうどこのころから私自身の体を実験台として鮎川の施術を定期的に受けるようになっていた。”質の悪い筋肉”の典型のような私の体を栄養で変えてみる。ATPブーストという、いたく興味をそそられる謎のフレーズに引き込まれるように私は分子栄養学に傾倒していった。
 分子栄養学は慶応大学・日本大学・津田塾大学・清泉女子大学の教授を務めた物理学者三石巌が提唱したメガビタミン理論が中心となっている。医学博士ではなく物理学者が栄養を考察したという背景は、ノーベル物理学賞を受賞した世界的な物理学者ライナス・ポーリングが提唱した本家本元のオーソモレキュラーとそっくりな点が大変興味深い。私はそれから三石巌の書籍を読み漁りビタミンやミネラルに詳しくなっていった。筋肉のロック現象という観点で読み解くと、より重要な栄養素が、
 ・ビタミンB1(チアミン)
 ・ビタミンB2(リボフラビン)
 ・ビタミンB3(ナイアシン)
 ・ビタミンB6(ピリドキサール)
 ・ビタミンC(アスコルビン酸)
 ・ビタミンE(αトコフェロール)
 ・鉄(Fe)
 ・亜鉛(Zn)
 ・マグネシウム(Mg)
だいうことが分かってきた。これらが、エネルギー代謝回路を正常に回しATP産生を最大化させる微量栄養素だ。中でも鉄は真っ先に欠乏を疑うミネラルだった。鉄欠乏性貧血はアスリートによく現れる症状だという情報を頻繁に目にしていたからだ。藤川ドクターの情報も鉄が重要視されていた。全体を理解する前にすぐに動く。
 「考える前に動く」誤解されそうなフレーズだが、ベンチャー企業に長く携わってると時間との勝負というのが非常に多いので、この価値観が染み付いていた。

 「ビタミンやミネラルがそんなに重要だとは知りませんでした。」ニコルが率直な感想を述べる。
 「ぼくもこの二年だよ、栄養に少し詳しくなったのは。でも実は知っておく情報量はそれほど多くないんだよ。学校で元素記号を覚える代わりに、実用性のあるオーソモレキュラーを教えればいいと思うんだけどね笑。ただ、アスリートにとっては死活問題だから、悠長なことは言ってられないな。栄養改善については待った無し、すぐに取り組むべき課題だし、結果がついてくるのは間違いない。鉄板だから絶対やってもらいたい。」
 「ぼくもチームメイトに勧めています。ぼくの動きが見違えるように良くなったので、最近は若い選手が色々聞きにくるようになりました!」達也が嬉しそうに話すので、今夜もまた夕飯をご馳走したくなってきた笑。

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※自分の体を使った人体実験のデータは日々更新しており、現在は1,550日で4年を経過した。

 二〇一七年八月一日からサプリメントでの栄養摂取を開始した。真っ先に鉄、それもキレート鉄、次いで、ビタミンB群とビタミンC、最後にビタミンEとマグネシウムを毎日一定量摂取して筋肉の変化をチェックした。サプリメントはオーバードース(過剰摂取)が問題になるものがある。この中では、ビタミンEと鉄だ。それぞれ摂取上限の五〇%から開始した。ビタミンCとマグネシウムは摂取し過ぎると便がゆるくなる程度で副作用というほどのものではないだろう。
 今はつくづく便利な時代で、血液検査も簡易的なものであれば自宅できる。栄養状態というよりは、この当時は鉄に注目していたので、血清フェリチン値(貯蔵鉄)が測れる検査キットを取り寄せて採血した。二〇一七年八月二四日の第一回目の検査結果ではフェリチン値が428だった。今でこそ、それが貯蔵鉄量を示すと同時に炎症状態を測るマーカーだということを知っているので、この数値がオメガ6系不飽和脂肪酸過多の炎症体質だったと理解できる。しかし、当時の私は貯蔵鉄の量が十分過ぎるほど豊富だと勘違いしていた。二四日間のキレート鉄の摂取効果が出たと有頂天になっていたのだ。ただ一方で、肝心の筋肉の状態は微妙だがややポジティブに変化していった。鮎川の施術でのチェックでは筋肉の緩むスピードがやや速くなってきたのだ。これはビタミンB群とマグネシムがATP産生を促進した結果だったのだが、サプリメントの効果をすぐに実感できたことは幸運だった。(キレート鉄の摂取はこの日でストップした。フェリチン値は100あれば十分というのがオーソモレキュラーを専門とするドクターの一般的な見解。ナカムラクリニック中村篤史院長はその半分でも多過ぎるという見解。)

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「ATPブーストをやってみよう!」
 八月中旬、梅崎が施術を受けにきたタイミングでサプリメントによる栄養摂取の提案をした。実際に筋肉の緩むスピードが速くなったのだから試さない手はない。
 「そうですよね、やれることはやってみます。ただ、問題が…。Jリーグはサプリメントの摂取を推奨してないんです。ドーピング問題です…」
 思ってもみなかった展開に困惑した。プロアスリートの十字架、ドーピング。石川直宏のケースは栄養に問題はなかった。二人目のプロアスリートのサポートで早々に大きな壁にぶつかった。
 「チームドクターやトレーナーは動かないと思うので自分で調べてみます。」梅崎はここで復活しないと選手生命が途切れる危機感を持っていた。出会った春先は目的を失って思い悩むような眼差しが多かった選手が、今は”新しい可能性”に出会ったことで本来の姿を取り戻しつつあった。
 私は早速ドーピングについて調べ始めた。日本では梅崎と同じくサッカー選手で、事件発覚当時川崎フロンターレのエースで、日本代表にも名を連ねていた我那覇和樹の冤罪事件が書籍になっており直ぐに購入した。(「争うは本意ならねど」木村元彦著 集英社インターナショナル出版)他にも数冊の書籍を読んだが世界的にもドーピングは賛否両論あることがわかった。禁止薬物は問答無用でNOだが、選手の体を守るはずのビタミン注射や点滴まで禁止されている。厳しい罰則規定や過剰な規制でスポーツ界自らが麻薬などの社会犯罪撲滅に一役を買う立場に立って久しいが、そのことが選手に心身共に負担を強いることになるとは何とも皮肉な話だった。
 「JADA(日本アンチドーピング機構)が推奨しているサプリメントなら大丈夫そうです。直接JADAに電話して確認しました。」有名プロ選手自らが問い合わせないと摂取できない程、サプリメントは忌避されているのか?なるほど、残念ながらそれでは選手の怪我は減らないどころか今後も増える一方だ。私は食事だけで栄養を摂ることに反対ではない。産地や農法にこだわれば大量生産のこの時代でも十分栄養の確保はできる。しかし、プロアスリートに限っては話は別だ。体を酷使する仕事で、栄養の重要性を甘く見ると取り返しのつかない事になりかねないと確信している。何より目の前にいる梅崎の体がそれを物語っていた。
 この時から数年間に渡って、私はこの栄養の真実を証明すべく”ホモ・サピエンスに必要な真の栄養”についてさらに深く深く探っていくことになる。
 「ぼくもJADAのHPをチェックしたけど選択肢は少ないね。仕方ないけど何とかそれでやるしかない。分量は検討しましょう。」
 一体何粒摂取すればいいんだ…。JADAが推奨する国内メーカーのサプリメントは健康補助食品という名とは程遠い配合量ばかりだった。サプリメント大国アメリカの食品医薬品局(FDA)の基準値と、日本の厚生労働省の基準値があまりに違い過ぎる。前述した藤川ドクターの推奨するサプリメントは当然アメリカから並行輸入で引いてきたものばかりだし、推奨摂取量を国内メーカーのサプリメントで賄おうとすると、一度にとんでもない量の錠剤を摂取しなければならなくなるのだ。私は医療従事者でもなければ管理栄養士でもないので法律上、他人に栄養指導することができない。あくまで情報提供に止めるしかないので後は選手本人の判断になる。梅崎は、ドクターが公共の電波同様の影響力があるSNSという場で、大々的に提供している情報を信じてくれた。その甲斐もあり一ヶ月も経つと筋肉の変化を感じやすくなってきた。(つづく)


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