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何かを頑張るときに数字化は大切だけど、それを目的化するとしんどくなるかも・・という話

こんにちはヤマキンです。

相変わらずのノマドワーカー生活を満喫しております。

さて今日の話は目標を立てることについてです。
私はどちらかというとなんでもやるからには目標設定したほうが頑張れると思っている体育会気質でして、やるからには目標を数字化して頑張ろうとするタイプです。

雪がなくなったこれからの季節はランと登山がメインの趣味になりますのでそれぞれについてもどうせなら目標を設定しようということで、
ランは「ハーフ以上のレースに4回以上出場」「ハーフ以上のレースで自己ベストを出す」を目標に設定しており、
登山は「石川県の山を15以上登る」「日本百名山を15以上登る」、「九州の百名山を二つ以上登る」などの目標を設定しています。
ちなみに余談ですがなんでこんな目標がスラスラ出てくるかというと北陸人材ネットでは皆で年初に人生ビンゴというのを作成しておりまして、

ここに上記の目標を書いているのですらすら出てきます。

「夢にメモリをつけると目標になる」
これは山野前金沢市長がおっしゃっていた言葉です。
そういう意味では数字で目標を具体化することは良いことだと思います。
しかし、一方で数字に縛られすぎてしまうと、いつの間にか目標の数字を達成することだけが目的化してしまって、めっちゃ消耗しちゃうことがあります。
私は数字を決めて頑張ることは嫌いではないのですが、そんな私でも時々、数字のために頑張り続けることに疲れてしまうことがあります。
そのあたりをどう折り合いつけたらよいのか??

それが今回のテーマです。

何かを取り組む時に数字化することの意味を改めて考えてみる

①目標を数字化するとやるべきことが明確になる

「何々を頑張る!」でなく「何をいつまでに、どこまでやる」とした方が明確ですよね。「今月はたくさん走る」より「今月は200キロ走る」とした方がやるべきことが明確になります。さらに「今月はキロ6分以上のラップタイムで10キロ以上の距離のランを10回以上行い、延べで200キロ以上走る」とした方がよりやるべきことが明確になります。
細かい数字設定を行う場合はその設定する数字の意味性というか実現したい目標に対する効果性をよく検証して行う必要があるのですが、その裏付けが高ければ高いほどモチベーションも上がりますよね~

②数字化した目標を達成できたことは自己肯定感の向上につながる

これって実は自分の中ではかなり大きいなあと最近感じています。現在、登山で百名山チャレンジをやっているのですが、アプリで登頂記録を入れていると、ここまでよく頑張ったなあと自分を褒めることができます。あとマラソンも記録があるとマラソン走行中に心が折れそうになった時に、「あの時はここから頑張って最終的にはこんなタイムで走り切ることができた」みたいな感じでそこから盛り返すことができたりします。
人って結果が出ている時は自己肯定感が高く、出ないときは低くというある意味当り前のように自己肯定感が上がったり下がったりします。でも過去の自分の取り組みが数字で残っているとそのブレを抑えることができるような気がしています。

というわけで数字化はやはり良いことだらけな気がします。

数字化することのデメリット

①数字が目的化して消耗する


これがネガが一番大きいのではと思います。
・やることが目的化して、数字がすべてになるみたいな・・
・達成できない奴はダメな奴
・数字のためなら何やってもOK
みたいな・・

②数字化の意味性、やる意味の閾値が各人によってまちまち

数字化をどこまでやるのか?数字の達成にどこまでこだわるのかについて個人によってばらつきがあります。
私は個人的には先述したように体育会系あがりでもあって、数字化すること、達成することにこだわることはたぶん好きなほうだと思うのですが、客観的に見ても自分がめちゃくちゃそれにこだわっている方だとも思っていません。
(理由は自分の中の価値感が「仕事<スキー」なので仕事が人生のすべてだとは思えないから)

数字は単なるものさし??

こうやって考えてみると、数字は目標でなく、ものさしでないかという考え方が良い気がします。
毎年健康診断で体重と身長を記録することで自分の成長の軌跡が見えてくるみたいな・・・
目標を数字化することはそれが目的でなく、もっと大きな何かを達成するためのマイルストーンに過ぎないという考え方をしています。
私の会社は5-6月に健康診断していますが、そうすると社員の皆さまはその日までに何キロやせるみたいな目標を立てているみたいです。これはある意味、目標の数字化をうまく使っている気がします。

じゃあ数字はものさしだとして何を図っているのか?

次にこの問いを考えてみます。
数字によって見えるのは変化だと思います。
じゃあ変化によって見えるものは何か?
成長と退化でないでしょうか?
だとすると数字化を設定し、その数字を追っていくことによって自身の成長を図るというのが良いのではという気がしています。

成長というのも曖昧なのですけど、できなかったことができるようになるというのが自分にとって充実感を高めることになる気がします。

マズローの欲求段階説

マズローの欲求段階説で言うところの自己実現欲求というのは成長している、成長できたという実感が高まる状態ではないかと考えています。

何が成長できているとよいのか?

ここも大事なポイントだと思っていて、ダイエットしている人には体重が減ることは良い変化なのですが、筋肉を増やしている人にとってはネガティブになります。
自分のなりたい姿に近づけているか?という視点で近づけているという根拠となる数字の変化が感じられるとそれが成長しているという実感に高まり、自己実現欲求が満たされるということになると思います。

自分はどうなりたいかという問いが大事??


仕事でもプライベートでも結局のところ自分がどうなりたいのか?を自分の内面と向き合って言語化し、それに近づくためのものさしとして数字でいくつか指標を設定するということでしょうか?
この話、転職相談でよく出てくるのは「お休みが多くて仕事が楽で、給料の良い会社で働きたい!!」みたいな話です。
もちろんそういう会社で働きたいということを否定するわけではなくて、そういう会社に身を置いて自分はどうなりたいのか?という問いを立てる感じで考えるとよさそうです。

ちなみに報酬と幸せ度についてはこういう話があります。
一定のレベルまでは報酬と幸せ度は比例するけどそれを超えると相関関係は崩れるという事

これはまさに幸せ度高めるにはお金があった方が良いけど、お金を稼ぐことを目的化しないと稼げないような報酬レベルになるとまさにお金を稼ぐことが目的化して幸せでなくなってしまうという事なのではと思います。

ゆるブラックという不思議

ゆるブラック企業って、ホワイト企業なんだけど仕事のやりがいや成長の実感が得られない会社のことを指します。

お休みが多くて、給料もそこそこ良くて・・ってこれは先述した良い会社にあたるのでは??という気がするのですが、労働条件が良くてもぬるま湯の会社にいると自分がダメになってしまうという部分でNGにされてしまっているわけです。

自分にとっても良きもの、ありたい姿で考える

まあいろいろ書いてみたけど、結局は自分らしく生きることができれば幸せ度が上がるから、それの言語化に向き合いつつ、それを高めるために数字での目標(マイルストーン)を設定し、近づけているという実感を持ちながら物事に取り組んでいくと自分自身の成長も実感できて人生の充実度が高まっていいですよ~
という割といつも書いているようなお話になってしまったかもしれません(笑)

この文章を読んで
「自分らしさってなんなんだあ???」
「働く上で自分のワクワクってなんなんだあ~??」

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