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ペッパーミルとアゲアゲホイホイ

今年の甲子園は山梨学院が優勝したのだけれども、われわれ地元関西人からすれば報徳の頑張りが心に残っている。ちなみに小さい自慢で申し訳ないが、私は灘校野球部の監督を17年間務めている間に、中学の監督として報徳学園中学校には2回勝っている。

現在の荻野監督になってからは全く歯が立たなくなったが、その前の監督の時に勝利の美酒を、そして灘中生徒からの胴上げを、経験しているのである。私学大会という小さな大会ではあったが、報徳に勝ったというまさにその事実は、教員時代の数少ない心地よい思い出のひとつとなっている。

今回のセンバツ。報徳の何が心に残っているかというと、グラウンドで土にまみれていた野球部員たちには申し訳ないが、アゲアゲホイホイである。吹奏楽部が演奏する「サンバ・デ・ジャネイロ」に合わせてアルプスの控え選手たちや観客たちが「アゲアゲホイホイ!もっともっと!」と叫ぶあれだ。

ご存じない方はYouTubeにたくさんのアゲアゲホイホイがアップされているのでご覧いただきたい。あれを見ていると実に愉快な気持ちになってくる。こっちまで一緒に踊りたくなってくる。ダンスの一体感はやはり美しい。声が揃っているところもいい。

春の大会前、WBCが行われ、ヌートバー選手のペッパーミルパフォーマンスが流行した。野球には無関心のヒトでさえもその名前ぐらいは聞いたことがあろう。普段はそれほど売れないと思しきペッパーミルが飛ぶように売れたというのだから流行語大賞の候補にはなるだろう。

そのペッパーミルパフォーマンス、きっと甲子園でも選手たちがやるんだろうなと思っていたら、案の定、東北高校の選手が出塁した際にベンチに向かってパフォーマンスをした。満面の笑みをたたえながら。野球の経験者じゃなくても理解できよう。自分が、そりゃ相手のエラーによるものではあったけれども、甲子園の一塁ベースに立っているのだから。私ならええじゃないか踊りを繰り返すだろう。

パフォーマンスの瞬間はスタンドにいた大観衆もテレビの前の視聴者も、もちろん当の本人も、まさかそれが世論を喚起することになろうとは思っていなかっただろう。パフォーマンスをアンパイアが咎めたのである。またそれに対して同校の監督が否定的コメントを出したのである。

甲子園優勝投手の島袋洋奨氏と。

SNSでは「相手のエラーで出塁したのにパフォーマンスもなかろう」とか「審判がうるさすぎる」とかいった呟きが飛び交っていた。どの意見にも正義が満ち溢れていて、それなりの数の「いいね」を集めていた。

元教員の私は、高校生の部活動に大人が介入するなよと思って興覚めしていた。高校生らしくないパフォーマンスと言って咎めるなら、くだらない「らしさ論」に成り下がる。では相手のエラーやボークで勝利したチームの選手がガッツポーズをするのは高校生らしいのか? そんな議論は本当にばかばかしい。大人の単なる下品な感想に過ぎない。

甲子園の大会は、大人たちの都合により多額のお金が飛び交う。具体的には書かないが、そのために高野連はなにかと管理主義でうるさく、昭和時代の学校教育の残滓で満たされている。報道サイドも含め、おそらくはさまざまな「うまみ」もあるのだろう。あるべき青春の姿という報道とは裏腹に、驚くほどに大人たちの大会なのである。

とは言っても、高校生の部活動である。主役は生徒たちであって、決して運営サイドではない。指導をするのは審判ではなく引率教員である。審判は各学校からのボランティア教員でそりゃ大変だろうが、粛々とジャッジだけしておればよろしいのである。ペッパーミルが不適切かどうかを決めるのは引率教員である。教員(この場合は東北高校の野球部顧問たち)の指導がよろしくなければ、外野席からケシカランというお叱りを受けるのは、学校の授業と同じである。

そもそも審判はその選手がどんな生徒なのかを知らない。私が神戸市の公式審判員をやっていた頃には、「らしくない行為」があったとしても、その選手が不登校の生徒かもしれず、プレー以外の指摘によってせっかく登校し、せっかく部活動に参加したのが元の木阿弥になるかもしれないのだから、指導は顧問に任せようと言われていた。目に余る行為を見つけたら、顧問に指導を依頼する旨を通達されていた。

甲子園の審判たちは権力者ではない。どこかの学校で教員として働いている教育的労働者である。プロ野球選手から見れば、ジャッジはいかにもアマチュアで、誤審もかなり多い。しかし、全員がアマチュアの大会だからこそ、選手も審判も顧問も一生懸命に成長しようと努力しているのである。繰り返すが、審判がエライわけではない。権力者でもない。もしペッパーミルパフォーマンスがよろしくないと思ったのであれば、当該高校の顧問にその旨を伝えるべきであると考える。

さて、大人たちがアアデモナイコウデモナイとくだらない喧々諤々をやっている間に、報徳の子どもたちはアゲアゲホイホイを繰り返していた。頼むから自由にやらせてくれよ!私には生徒たちからの魂の叫びのように聞こえて、実に痛快であった。

木村達哉

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