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声に出す応援は

オンラインで、気づいたら、忘れてしまっていたことが、たくさん、ある。それらに気づいた時、私は、毎日noteに、書き留めるように、している。

ここ半年くらい、より言葉に敏感になった気がする。色んな言葉に触れる中で、あまりの美しさに、思わずため息が漏れることもあれば、逆に、ウッとなってしまうことも、増えた。

この変化は、こぼれる何かを少しでも拾おうとする時、すごく、いいことでもあった。だけど、ごく、シンプルなことを、忘れそうになっていたと思う。たとえば、声に出す応援が、どれほど、大きな意味を成すのか、ということ。

渡米3週間前。もう、マリッジブルーならぬ、留学前ブルーになっていた。これは、謙遜してる、とかじゃない。本当に、そうなのだ。

そもそも、生きていけるのか分からない、という不安。言語も、全くままらならないまま、飛び混んでしまうという、不安。

この大きな不安から飛び火するように、「あれも不安だ」「これも不安だ」と、不安が、不安を呼び、どんどんと、派生していく。

もちろん、今、アメリカにいく以外の選択肢は、考えられないし、その場所のことを、知れば知るほど、私の気持ちが膨らんでいるのも、本当だ。

だけど、やっぱり、今は、言語も分からず、バスに乗るのもわからず。一気に、赤ちゃんに戻るようなことだ。それは、日本で成人してしまった私にとっては、刺激的すぎる。

そんな時、私の話を、色んな人に、何度も、話す機会が、あった。その人たちは、「ただ聞いてくれてる」というよりは、本当に、興味を持って、聞いてくれてるのが、伝わる人たちだった。何がそう感じさせてるのか、分からない。だけど、素直に、たくさん、話を掘り下げてくれた。

そして、最後に、その人たちは、必ず言う。

「めちゃくちゃいいね!」
「絶対、今、行くのがいいよ!」
「いいなあ!これから、何にでもなれる!」
「必ず、なんとか、なるよ!」
「本当に、楽しんで!」
「応援してる!頑張れ!」

日々、ぐちゃぐちゃと、言葉について考えている私だが、結局、救われる言葉は、シンプルな言葉、だったりする。

そういえば、いつか、とある映画の「You are most beautiful girl in the world/」というワンフレーズで、大泣きしたことがあった。あまりにも、美しくて。そこには、どんな言葉を使っていたとしても、裏に隠れている意味など、何もなかったのだ。その言葉を通して見えるものは、見返りを求めない、目の前の人への愛だ。そして、ただ、今、ここにいることの肯定だ。

私も、この2年間、メッセージやオンラインを通して、沢山の高校生や友人に、本当にそう思った時には、ちゃんと、伝えてきた。

だけど、直接、伝えられること。こっちに、体も、心も、向いていること。この、すばらしさを、なんという言葉に当てはめたら、上手く、表せるのだろうか。

私の不安は、消えるわけではない。だけど、声に出す応援は、わたしに、不思議な勇気を、くれる。「なんとか、できるんじゃないか」って。ずっとポジティブでいなくても、そう思わせてくれるのだ。

伝えれる時には、声に出して、伝えよう。
改めて、そう思うようになった日のこと。

声に出す応援は、すくんだ足を、そっと止めてくれる、から。

いつも、応援、ありがとうございます!サポートいただいたお金は、6月から約8ヶ月間のアメリカの留学費に全額使い、その体験を、言葉にして、より多くの人に、お返しできたらな、と思っています。