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会う口実を失ってしまった、小さな別れたち
生きていると、小さな別れが沢山あるなと感じる。大恋愛の末の、失恋だとか。死別だとか。そういったドラマや映画などで取り上げられる大きなものだけが、別れでは、ない。
昔はよく一緒に居たり、笑い合ったりしていたのに、今ではきっと、もう知らない部分の方が増えた人が、沢山いる。いや。もしかしたら元々「知っていた」と思っていたのは、私だけだったのかもしれない。それは、「今、好きだとか嫌いだ」とか、そういった話ではない。
それでも、あの時、あの場で、話したことを、目を合わせたことを、あなたは、覚えているのだろうか。一瞬でも互いの時間が重なった、あの時のことを。ちゃんと通じていたと思える瞬間が、あったことを。
そんな人と久々に会った時、交わす言葉は、とても難しい。昔、その人の前で無邪気だったはずの私でも、途端に言葉が出てこなくなる。私は、上京してからというもの、何度も何度も訪れるそれが、ずっと、むずがゆかった。
でも、今日起こったそれは、あんまり悪いもんじゃなかった。
私が知らなかった間に、色んな人に出会い、音楽に触れ・・・自分の信じたい何かを、見つけていこうとしているのだ、とも思った。
それは、ちょっと切ない気もするけど、生きることの喜ばしさでもあった。だって今、こうして再会できているのだから。子が独り立ちしていく時の、親の切なさって、こんな感じなのかなあ。今の私には、その全ては分からないけど、これを「素晴らしい」と思える、だれかの母で、ありたい。
「知らなかった」が増える度、目の前の人が、より立体的に、また深みを増して、見えるようになった。ああ、そうだったよな。別の面があるんだよなあと、その人に、余白を、想像する。それは、自分で「こうだ」と決めつけること、ではない。「知らない部分がある」ということ。ただ、それだけを想像する。
大学に出てきてからの3年間で、「全てを分かり合うことは、難しい」と、人に変な期待を、しなくなった。それは、コミュニケーションを諦めたのではない。むしろ共に生きていける何かを探そうとすることを、諦めなくなったのだ。
これからも、一つひとつが、話のタネにもならないような小さな別れは、沢山あるのだろう。でも、その時の私はきっと、もう「悲しい」だけではない。
そんなあなたと、また再会できたのなら。きっと今よりも、お互いの知らない部分が増えている。
それでも、やっぱり、また出会ってしまった可笑しさをつまみにして、乾杯できたらいいなと思う。
そして、あなたが知らないこの場所で、また日々を生きていくのだと思う。ふと、あなたを思い出したりも、して。
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