五風十雨

ここ数日、胸を痛めるニュースが、いくつか重なった。車の中で、聞こえてきた言葉が、自分にまで刺さりそうになるので、思わず、耳をふさぐ。ありふれた音楽で耳をいっぱいにして、しばらく、窓の外を見つめていた。

ひとりを救う言葉もあるけれど、ひとりの命を奪う言葉も、ある。ものごとには両面はある、ということは、こんな時にも感じる。

テレビやSNSを通して流れてくる情報は、どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか、今の私に、知る由もない。だけど、当本人たちより、そうさせている全てのものたちへの悲しみと怒りで、胸がいっぱいになる。

「知らなかった」で終わらせたくないし、これからを生きていくつもりだから、私は「知る」に向き合おうとも、するだろう。だけど、やっぱり「ああ。知らなければ、よかった。」と思うことも、ある。

知ってしまったからには、もう「知らなかった」世界には、戻ることができない。こうして、少しずつものごとを見る網の目を細かくしながら、世界との向き合い方を考えていくしかないのかなあ、なんて、考える。

一昨日の北九州の夜は、よく雨が降っていた。
その次の日は、雲ひとつなく、晴れた。

五風十雨(ごふう じゅうう)。
最近たまたま知った、禅の言葉だ。5日ごとに風が吹き、10日ごとに雨が降る。これは、作物が育つのに適している天候のこと。それが転じて、世の中が平穏であること、を表すそうだ。

晴れわたった空の下、

「おーー!元気かーー。いま、身体を動かして、いい汗かいとるんよ。」
「おつかれさん!そりゃ、いいやろーね!」
ばったり道端で会っておしゃべりする、近所のおじいちゃんたち。

「せーーーの!」
はじける掛け声で、冷えたラムネの瓶を勢いよく開ける、部活帰りの高校生たち。

「平和だね」
「ほんと、そうだね」
隣にいた人と、言葉を交わす。

私は、これからも彼らが幸せでありますように、と、心から思った。今は、そう願うことしかできなかったりも、した。

平和を願うが、「何が、平和なのか」「どうしたら、いいのか」を考えることは、とても難題である。どうしても、悲しい人が、出てしまう気がするのだ。

かと言って、自分の境遇が不幸せだとか、想像力のない言葉を、誰かに押し付けるのは、きっと、きっと、ちがう。

21歳。正直、まだまだ分からないことだらけだ。生きていく限り、これからも何度も「わからない」にぶつかって、頭の中でぐるぐると、考えるのだと思う。回り回ってうまくいかないことも、あるのだと思う。

その度に、負の感情を大切にしつつも、身を委ねず、ただ、自分に与えられたことをやっていく、のみだ。

未来の自分に向けて、今、ここに、記している。今日も平和でありますように、と願うことも、どうか、忘れないで。

未来のあなたは、今、どうしていますか。

いつも、応援、ありがとうございます!サポートいただいたお金は、6月から約8ヶ月間のアメリカの留学費に全額使い、その体験を、言葉にして、より多くの人に、お返しできたらな、と思っています。