#12_現地調査での、頭の使い方
現地調査の目的
海外市場の「覗き込み方」の一つに、現地調査がある。なぜ企業は安くない経費を払って、現地調査を行うのだろうか?
一つはやはり、「分かるため」だろう。
日本人が感覚的に「分かる」と思えるのは、日本国内とせいぜい韓国、中国くらいだろうか。その外側のことは、体感として「分からない」日本人が多いはずだ。
日本からデスクトップリサーチをしても、頭では分かっても身体では分からない。身体で分からないと、事業のアイデアは生まれにくい。
だから、少しでも身体で「分かる」ために現地調査に行くのだろう。特に、扱う商材が消費財に近いほど、かつ、商材の価値が機能的というよりも情緒的であるほど、現地の人や生活、文化を「分かる」ことの重要性が高まる。
もう一つは、「確かめるため」だろう。
事業の方向性や、検証すべき論点が固まりつつある段階では、ユーザーの声を直接聞いて確かめることが有効だ。
その中で、事業推進の方向性が修正ができたり、実現可能性の低さが分かってプロジェクトを一旦停止できたりすれば、現地調査が果たした役割は極めて大きいと言える。
現地調査の難しさ
そんな現地調査であるが、難しさがある。
何度もその国に行くことはできないから、一回の現地視察で上記の「分かる」と「確かめる」を同時並行で行わなければならない場面が多い。
現地調査が難しいのは、探索的な行為としての「分かる」と、仮説検証的な行為としての「確かめる」には、極めて対照的な頭の使い方を求められるからだ。
現地調査における頭の使い方
私は現地調査に行く際、意識的に頭の使い方を切り替えるようにしている。
「分かる」段階では、日本で得た情報は可能な限り視野に入れないようにして、頭の中をできる限り空っぽにし、目と耳と鼻を精一杯開く感覚を持つようにしている。現地の人の暮らしに同化することを、(それは敵わないことではあるものの、)心がける。
すると、日本で情報は調べ尽くしたと思っていても、否応なしに情報が流れ込んでくる。
例えば、日本で調べて頭に入っていた「インド人」「マレー人」などの言葉に、顔がつき、生活が生まれる。それが、自らの身体性を伴ったアイデア、仮説につながる。
「確かめる」段階では、苦しんで生んだ仮説を自分から切り離して、仮説の検証に専念する。
自分の仮説を自分から切り離すのは極めて難しいことだ。だが、仮説を立証しようとすると、それは自らの視野を狭めてしまう。
批判的な意見をもらうことが仮説の精度を高めることにつながるのだから、仮説を捨てる(くらいの)覚悟を持って検証に臨む必要がある。
「確かめた」結果、必要であるならまた「分かる」頭に切り替える。現地調査でなければ、このスクラップ&ビルドはできない。
短い現地調査において、この思考の切り替えに意識的になることが、現地調査の成果を高めるためには大切だ。
チームで視察に行く際であれば、メンバーと思考のモードを共有しておくことも効果的であるはずだ。
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