見出し画像

小学生から料理人までの話

■小学校での野球の経験、社交性の欠落



まず僕なんですけど、小学校の時に野球と水泳をやってました。
野球に関しては全然声を出さず
本当に静かなタイプで声出せって言われても出さないで、
連帯責任でみんな巻き込むみたいな少年でした。

すごい引っ込み思案で、
ゲームが大好きで、休みの日にはゲームばかりしてました。

ただ野球は嫌いじゃなかったんで、
黙々と隅っこで素振りしてるようなタイプでした。
小学生はずっとそんな感じです。

中学校になるとなぜか見栄を張って、
普通に学校の野球部入ればいいのに、
硬式野球のクラブにお金払って参加しました。

学校の部活は陸上部へ入って、
クラブが休みのときに参加して足腰鍛えて、
クラブでは野球練習をするみたいなのをやろうとしてたんですけど、
それも何ヶ月かで、しんどくなってやめちゃいました。
すごい体育会系だったんで。

その後、結局学校の野球部に入って軟式野球を再開しました。
最後に僕らの代で県大会出場できて、レギュラーとして出ました。
中学校はそんな感じです。

■高校バレーボール部への入部、性格の変化


高校は中学校の先輩が行きたい高校の野球部にいて、
僕を推薦してくれて前期で入れました。
しかし、そこもかなり体育会系でしんどかったですね。

ストレスとか体力的なしんどさで、
スパルタすぎて辞めてしまったっていう感じです。

母親が今でもずっとママさんバレーとかやってる人なんですけど、
それでバレーにもともと興味があって、
バレー部に高校1年の終わり頃に入りました。

そんな初心者ばっかりのチームの中でキャプテンやったりして、
そこでちょっとずつ性格的に明るくなったかなっていう感じです。

部活はこんな感じで、
高校3年生の時に就職するか大学行くかみたいな。

僕は最初、パティシエ、介護士、保育士、美容師とか考えてました。

父が手に職つけた方がいいっていうことで、
父は普通の会社員やってる人なんですけど、
なぜか手に職つけろっていうことで言われて、それをまあ、真に受けて。

最終的に美容師か料理人か、あとパティシエになり
甘いものが好きなんで、
悩んで最初はパティシエだったんですけど、料理学校行けばお菓子も学べるよねと思って
せっかくだから料理にしようということで、そんな理由で調理専門学校に決めました。

それから2年生の専門学校に行って、っていう流れです。

専門学校入って、洋食です。
和洋調だって洋食を選択したんですよね。
洋食の中でもフレンチとイタリアンっていうのがあって、僕はフレンチをやりたかった。

でもサークルがあって、雰囲気的にイタリアンの方が緩い感じで合ってて、イタリアンに入りました。

毎朝7時とか7時半とかに行って、ひたすら人参と卵を持って。
人参はジュリエンヌって言ってフランス語で千切りですね。
あとシャトーって言って型取りみたいなのとか、
あとは卵でオムレツを味付け塩胡椒だけみたいなオムレツをひたすら練習するっていうのをやってました。

この専門学校で車も持ってアルバイトもできるようになって
ちょっと遊びを覚えて調子に乗って、
何でもできるじゃんみたいなって思ってたのがこの頃ですね。

■レストランへの就職希望


僕はレストランがいいなって思ったんですよね 。
洋食の中でも就職先としてレストランとかホテルとか結婚式場が主にあって。
ホテルとか結婚式場はなんか給料もいいし、休みもあるけど、なぜかロマンを感じなかったっていう理由でレストランがいいっていう感じになったんですよ。

多分その頃ちょうどバンビーノっていう漫画本ですね。
僕は漫画本がすごい好きになって
そこから dvd 借りて全部見て
その影響で給料が少なくてもレストランかっこいいみたいな。

技術学ぶような技術身につけるならレストランだ、
みたいなそんな考えですね。
レストランがいいということになり、
銀座に本店がある三笠会館というレストランに就職しました。

フレンチ希望だったんですけど、そこには配属がいろいろあります。
その中で、高級なお肉とか 魚介とか
お客様の前で焼いたり調理する「鉄板焼き」に配属になりました。

そこで3年近くですかね、勤めました。
まぁそこですごい変な方ももちろんいたんですけど、
仲間に恵まれたというか年が近い先輩が多くて。

毎晩のように飲み行ったり、
飲み行く度に勉強会みたいになってた感じです。

■再就職の道へ


楽しく過ごせてたんですけど、
もともとフレンチやりたいという気持ちの中で
なかなかそういう綺麗な料理を作る機会がなくて。

ただ就職して3年間ぐらいは ちゃんと勤めた方がいい、
というような石の上にも3年って言葉があるように
まあなんとなくそのぐらい勤めました。

でまあちょっと専門学校の時に知り合った、
すでに料理人やってる方からお誘いがあり

ちょっと遠いんですけど三重県でフレンチを修業して、
都内で就職しようと思っていました。

あと都内で働いてたんで、いきなり三重県へ行くってことになって
三笠会館もやめました。

みえけいっていうリゾートホテルだったんですけど、
といってもそんなに綺麗なリゾートホテルでもなく。
その方からフレンチを教われるって いうことでついていきました。

やっぱりそこも人間関係、
監獄、牢屋みたいな閉じ込められた感じの
自由さのない職場で。
料理もなんか結局はそのもともとのホテルのやり方に沿った料理しか出せないみたいな。

質も全然高くないしやりたい料理じゃないしっていうことで
そのシェフもなんか人柄的にちょっと関わってみたら違ったっていうのがあって。

まあここも半年たらずでやめました。
結局また都内で就職しようと思って仕事をして、都内にある老舗のフレンチレストランに就職しました。

そこでも人間関係や労働環境のストレスなどに悩み、イタリアンのお店などで再就職を繰り返すことになります。

ここまでが、
飲食店に勤めるまでの簡単な経緯です。

読んでくださりありがとうございました。


次回は
料理人~起業するまでの話↓



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?