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記憶力がうまく機能していない

 人間の記憶容量には限界がとうぜんあって、ここまでしか覚えていられない、というリソースが存在する。
 HDD容量なんかとおなじだ。
 だけれども、ぼくはHDDの容量がおそらくだいぶ小さいのだ。

 日々とくに大量の情報収集をおこなっているわけでもなければ、
 これまでに身に付けた知識が膨大であるわけでもないのに、
 どんどん、こぼれ落ちていく。

 好きなジャンルじゃないからだよ、おまえが興味を持っていないからだよ、なんて指摘を受けることもあるが、
 どっこい、興味があるジャンルであってもどんどん忘れていく。

 好きな映画のストーリーも覚えていないし、
 好きな俳優の名前も度忘れする。
 じゃあぼくはいったい何なら覚えているのか。

 記憶力にすぐれる、というのは、すぐれた作家の条件である。
 かれらは人生を覚えている。
 そこで何を感じたか、どのような細部が存在したかを、きちんと覚えている。
 だから文章に落とし込むことができるのだ。

 くらべて、ぼくはそうはいかない。
 なにせ、おぼえていないのだ。
 小学校時代のことを書こうとしても、忘れている。
 どんなエピソードがあったか、どんなことを考えて日々暮らしていたのかを、きれいさっぱり失っているのだ。
 必然的に、なにも書けなくなる。

 情景や細部は記憶のタグだ。
 こまかなものを思い出すことで、そこから感情や感覚が引き出されていく。
 そのタグを失っているから、ぼくの文章は、色気も郷愁もない。
 さいきん見た映画や読んだ小説をソースとして、書き割りみたいな背景を書くことしかできなくなる。読んだものを元に書くな、とはよく言われているが、ことぼくに関しては、そういうやり方しかできない。

 いかんなあ、と思うけれど、そういう性質であるのだから、仕方がない。
 できないことの裏面には、かならず、できることが存在している。忘れっぽさは、反面、切り替えの早さにも繋がるだろう。

 昔、スヌーピーが言った。

配られたカードで勝負するしかないのさ。

 その通り。

 手持ちの武器だけで、どうかこうかやっていくしかない。
 がんばろう。

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