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帰ってきた猫、来ない猫、行った猫

友人の猫ちゃんの一匹がもう一月近く行方が知れない。
短歌を書いて祈っているのをインスタグラムで知り、私がその昔書いた短歌を伝えてみた。ニケ、君のことだよ。
「瀬をはやみ岩にさかるる瀧川のわれても末に逢わんとぞ思う」飼い猫たちを室内から一歩も出さない今より、ずっとワイルドだった45年くらい前の東京の話。

車のほとんど入ってこない道の突き当たりにあった木造貸家、その一階に住んでいた私たちの猫、ニケはある時いなくなって随分心配した。諦めるということを知らない若い私は、全身全霊で探し回った。この歌を書いて貼っておくのは、猫の行方を近所に聞き込んだ時に親切な人が教えてくれたのだったか。

毎日の探索にも関わらず見つからなかったニケは、ある午後に突然帰ってきた。
左後脚がブラリと垂れ下がった状態で。いつもの市川獣医さんに連れていくと、傷が深く、かつ大きいので塞がらないかも知れないとのことだった。一番心配なのは敗血症で、それを避けなけらばならなかった。毎日の包帯の取り替えを教わって帰る。帰ってきてくれただけで良かった。帰れるなら帰ってくる、そう信じていた。

そこから数年、ニケは我が子と孫たちに囲まれて楽しく暮らしたが、確かに傷が癒えることはなかった。ニケと私たちとは尋常の飼い主と猫の間柄を超えていた。案の定、ニケは死ぬ時、私にメッセージを送ってよこした。私は出張でロスアンゼルスにいたのだが、確かにそれを受け取ってかつての相棒だった飼い主に連絡をした。

暫くぶりの連絡がニケに関するものだったので、彼はとっても驚いた。そうなんだよ、ニケ、具合悪いんだ。帰国後すぐに別れに行った。お葬いには友人も来てくれて、広い庭の片隅に埋めた。あんな猫はほかにはいない。偉大な存在だった。

孫猫のうち、レゼと名付けた白の面積が圧倒的に多い斑の雄猫は、やはりある時
ふらりといなくなった。祖父猫は「おじさん」と呼んでいた野良猫で、近所の猫社会では非常に目立つ存在だったから、レゼもその血を引いたのかも知れない。
2週間くらいすると帰ってくるが、当たり前のようにそれを繰り返すので、こちらもその状態に慣れてしまう。

ある時、いつもと違う遠くの銭湯へ行った帰り道の夕方のことだ。視線を感じたので振り向くと塀にレゼが香箱座りをしていた。無駄に大きくて長い。こんなところまで来てるんだ、レゼ?と言うとにゃっと言ってその家の庭木に飛び乗った。
あの頃は猫の飼い方ものどかだったから、レゼは私たちとは別の人生を持っていそうだ、と思って悲しくなかった。

その後、この系譜の猫とは別に、八百屋の店先で果物を入れるビニールの青い籠に入っていた2匹のサバトラを貰い受けた。兄妹と言うことだったが、兄のエイは少しのんびり屋で、何をやっても妹のコメより遅い。私の父の寝ている顔におしっこをかけたりする。困らせられたり笑わせられたりしたが、愛嬌のある人懐こい性格だった。

この頃には私たちの住まいもビルの独立した一室になっていたので、外に出す時には抱いた猫を離さなかった。しかし、ある時階下の両親の住まいに連れて行った時に、ふとした隙を狙って外に出たらしいエイは帰って来なかった。慌てて近隣の人に話を聞くと、トラックの運転手さんに構われてお腹を出して愛嬌を振舞っていたので、連れて行っちゃったわよ、とのことだった。あれは、行った猫。

どう生きてもいい。幸せに生きてほしい。サビちゃんよ、なんとかして無事を友人に知らせてやって欲しい。心配してるよ、すごく。

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