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誇りある動作

最近友人から、思いもかけぬ良いことばをもらった。週末のカフェでいつもの近況報告からの流れで、路上駐車についてになった。

私や私の家族は基本的に路上駐車ができない。展覧会などを催す仕事柄、搬入搬出というものがある。店頭にちょっとの間、車を停めて積み込んだり下ろしたり、時間にして10分が関の山だろう。それにしても予めその場に近い駐車場を確保して、荷物をまとめておいてさっと済ませる。

一方、これが平気な人々もいる。よく見かけるのは我が家のそばの国道1号線の食料品店前と銀行前だ。隣接して有料駐車場があるのに、車を離れて買い物やら銀行の用事を済ませている。最初から終わりまで観察しているわけではないので、それがどれくらいの長さに及ぶのかは定かでない。だが、キャッシュディスペンサーを使ったり、品物を選んでレジでお金を払ったりするのには、ある程度の時間はかかりそう。

この辺りの1号線は国道とは言え生活道路なので、制限速度30kmで一車線である。道幅は狭い。路上駐車している車を避けつつ中央車線を越えて進行するたびに、私は「堂々として(そう見える)要領いいなぁ。ちょっと羨ましいぞ」と思っていたのだ。

自分やうちの家族は要領が悪いので、それができないんだ、と友人に伝えた。すると、彼女は少しばかり憮然として、違うよ、と言う。要領が悪いからじゃないでしょ?それはあなた達に誇りがあるから。誇りがあるからそういうことはしないと決めているんじゃないの?

わぁ!と私はちょっと驚いた。確かに私自身はそれをしないことを選んでいる。
家族もそうだろう。例えば同乗者に、ここは大丈夫だよ、警察も来ないから、と言われたとしても、うん。でもやめとく、と言って断るだろう。

確かにそうなのかも知れない、と彼女に答えた。誇りがある、ということばには結びついていなかったけれどね。こんな小さなことで自分の誇りをしょっちゅう傷つけている人って結構いるんだよ、と彼女は続けた。

もちろん私も人の乗降程度では停める。しかし、一車線の道路では、後ろから走ってくるバイクや自転車の人は困るだろうとか、この車一台を追い越すのに対向車線にはみ出さねばならないし、とか、私は考える。それで、いつでも最寄りの駐車場を探す。

それにしても、それが誇りある態度だとは、考えても見なかった。
ふーん、誇りねぇ。その考えはちょっといい。少なくとも自分が選んでやっている動作が自分を傷つける方向に向いていないことは確かだ。要領かまして小さなお得をする度に小さな擦り傷を自分につけていくなら。

けれど、後から考えた。イタリア語では「狡い」という単語は「賢い」という意味もあると昔読んだエッセイにあったのを記憶している。それは東西による価値観の違いについて書いた文章だったので面白く読んだ。やっぱりそういう価値観もあるよね。

確か「フ」で始まる音だった記憶なので辞書も翻訳ソフトも調べたが出てこない。周辺の語彙を調べた結果、一番近いのがflessibilitaで融通、柔軟さを意味する単語。フレキシブル。もっと短かった気がするけど、当時の略語かも知れないな。確かにこれには善悪はない。

そういう意味では、私や家族は柔軟性に欠ける人たちなのだろうか。いやいや、
柔軟性という隙間に私や家族がいれているのは、他者への配慮なのだろう。自分のお得や手間や少額の駐車料金ではない。なるほど、誇りある所業なのだ。

これからは、内心の融通が利かないとか、要領が悪い、という自分への否定的な呟きはでっかいハンマーで叩き潰すことにしよう。