「いい写真」ってなに?
ー あー、おなかすいたー。
お、ひさしぶり。前の登場から2年ぶりくらい?
ー それにしても、よくこんなタイトルで記事を書こうと思ったね。
あえてこのタイトルにしたんだから、その意気込みを評価して欲しいな。
ー ふつうはタイトルを見ただけでスルーだよ。
そう?ボクだったら興味本位で読んでみるけど。
ー そもそも「いい写真」なんて決められないでしょ?
おお、よくわかってるね。
ー なに?その上から目線。
たしかに「いい写真」は目的によって違うよね。交通事故の現場写真は忠実に状況を記録していないとダメだけど、お見合い写真は忠実じゃない方がいいだろうし。
ー 相手にとっては忠実なお見合い写真がいい写真だよ。
つまり「いい写真」は見る人の立場によっても変わるんだよ。
1. 自慢話を聞きたい人はいない
じゃあ、どんな写真が「いい写真」だと思う?
ー かわいいネコの写真。
そうだよね。まずは自分の好きなものが写っている写真。本屋さんで売れてる写真集も、アイドルとか動物とかが多いだろうし。
ー 今朝のネットニュースに出てたオータニサンがホームラン打った瞬間の写真もすごかったよ。
決定的瞬間の写真はカメラマンの腕の見せ所だし、動画とは違う力があるよね。
ー あとは、やっぱり家族写真や旅行の写真。
思い出を残すって、写真の大事な役割だし。
ー あ、まえに写真展で見たメイプルソープの写真もよかった。
そうそう、写真そのものの存在感がすごい場合もあるんだ。ボクもきれいなトーンのモノクロ写真にはうっとりするよ。
ー ほら、やっぱり「いい写真」なんて決められないじゃん。
結局、全ての写真がだれかにとっての「いい写真」なんじゃないかな。
ー うわっ、話おわった。
でも、ここでは少し範囲を絞って、「特定の目的を持たずに写真を見る人」に「何らかの影響を与える写真」について考えたいんだ。「表現」はだれかの変化のためにあるんだから。
ー なんにしても「いい光の中の最高のシャッターチャンスにピントばっちりで隙のない構図で撮られた写真」が最強でしょ。
もちろん、目的がはっきりしている写真は、目的を果たすためにきちんと撮るのが大事だよ。アイドルはかわいく、絵葉書の富士山は晴れた日に安定した構図で。
ー ここで言う「いい写真」はそれとは違うってこと?
そう、むしろ「うまく撮れた写真」は「つまらない写真」にもなりやすいよ。
ー うまく撮ったのに「つまらない」って言われるのは心外だなー 。
うまいからこそつまらない写真ってあるんだよ。それはたいていの場合「うまく撮ろうと意識した写真」「ほめてもらおうとしている写真」で「撮った本人は満足している写真」なんだ。
ー でも、ほめてもらいたいじゃん。
そんなの、ほめてもらったとしても「わあすごいね(棒読み)」だよ。自慢話を心からほめてくれる人なんていないから。
ー 「エモい写真の撮り方」みたいなのを実践するのもダメってこと?
「エモい写真」は狙わずに撮った結果だからエモいんだよ。狙って撮るとそれは「イタい写真」。ボクの弟子ならそういう恥ずかしいことはやめてよね。
ー いや、弟子になった覚えなんてないけど。
2. 「いい写真」は「素敵な箱」
「いい写真」について考えるとき、山頂に雲のかかった羊蹄山を思い出すんだ。
ー いきなり詩人モード?!富士山じゃダメなの?
まあ、富士山でもいいけど、裾野のきれいな山ね。「いい写真」って山頂の見えない山みたいなものなんだよ。裾野だけが見えているような。
ー うーん、例えがわかりづらい。
じゃあ例えを変えよう…えーっと、「いい写真」は「素敵な箱」。中に入っているものを想像したくなるような。
ー よし、ちょっとわかった。 大事なのは「素敵なものが入っている」予感があって「中身を想像してしまう」ことなんだね。
そう。思考が「ん?」って立ち止まる写真。最後のピースがはまっていないパズル、結末がはっきりしない素敵な物語。「いい写真」は「答え」じゃなくて「問い」なんだ。人は「問い」に出会うことで変わるんだよ。
ー あ、その感じはわかるかも。惹かれるけど何に惹かれているのか言葉にできない写真ってあるよね。あとで記憶に残ってるのもそんな写真だ。
新しい発見かもしれないし、過去の記憶かもしれない。でも、何に惹かれているのかわからない。「いい写真」ってそんな感じがするんだ。それは「いい写真」には「意味」や「作者の意図」が写っていないからだと思う。
ー 「作者の想い」とかって必要ないの?
ボクが惹かれる写真ってほとんどが「ロボットが撮ったの?」と思うくらい作者の個人的な感情を感じさせない写真なんだ。
ー 「感情」も「意味」も見る人のものってことね。
そう、それが川谷絵音的な写真。今、名付けたんだけど。
ー そういえば「川谷絵音は天才」って言ってたよね。
川谷絵音の作る曲って、核心を見せないというか、作者の感情を感じさせないんだよ。「伝えたいこと」を伝えようとするんじゃなく、「中身を想像したくなる箱」を作っている気がするんだ。だから言葉が自由。
ー 井上陽水じゃダメ?
陽水さんも天才だけど、陽水さんの曲は写真的と言うより絵画的だから。
ー リンゴ売りの真似をしてる人も、戸惑ってるペリカンも、現実には出会わないもんね。
川に浮かんだプールも見たことないしね。
ー 写真って言葉と似てるのかな?
そうだね。でも、言葉より怖いかも。写真の怖さは「伝えたいこと」が勝手に写ってしまうことなんだ。だから、写真がちょっとうまくなると「答え」が写ってしまって、つまらなくなっていく。
ー 「こどもが撮った写真のほうがうまい!」とか「昔の自分の写真のほうが魅力的だった!」とかあるもんね。
大人になってしまったボクたちには「意図を見せない」「自分の思い通りにしない」って難しいんだよ。「意図」や「意志」が写真から自由を奪うとわかっていてもね。
3. 「いい写真」は「世界に撮らされた写真」
でも、すごく夢中で撮った写真も「いい写真」だよ。
ー え?さっきと言ってること矛盾してない?
そんなことないよ。夢中になってる時は「意図」とか「うまく撮ろうとする気持ち」とかがなくなっているから。
ー 邪心がないってことね。
かわいいこどもを「うはー、かわいー!」って思いながらひたすら撮ったり、砂浜に寄せる波を撮ることがやめられなくなったり。そういう「被写体に撮らされた写真」って素敵だよ。
ー わたしも花を撮るのに夢中になって何枚も撮っちゃうことがあるよ。
そう、そういうトランス状態の時の写真ってなんかいいでしょ。
ー じゃあ、そういう写真を曲に例えると?
え?無茶振りやめてよ…えーと、中島みゆきの「うらみ・ます」
ー マイナス側できたかー。もっと有名な曲で。
「与作」
ー ヘイヘイホー?
「与作」は名曲だよ。なんの感情的な押し付けも主義主張もないおかげで、聞いた人がいろんなイメージを広げることができる。
ー 「にんじゃりばんばん」的名曲ってことね。うん、そういう写真っていいかも。
そこまで極端じゃなくても、たとえば「初めて訪れる海外の街での散歩写真」なんかも「いい写真」が多いと思うんだ。見るもの全てが新鮮で、思わずシャッターを切っちゃったみたいな写真。世界の声に反応している写真って言うのかな。
ー 前にも、写真は「自分の撮りたいタイミング」じゃなくて「被写体が撮って欲しいタイミング」で撮れって言ってたよね。
そう、写真を撮るときに大事なのは被写体の声を聞くこと。
ー そして一番大事なのは、
偶然の神様と仲良くすること。
4. ありきたりなのに「いい写真」
ー 「いい写真」って「新しい写真」なのかな?
斬新な写真である必要はないんじゃないかな。よく見るありふれた写真なのに「なんかいい」って写真も好きだよ。
ー あー、ふつうにチューリップが写っているだけなのに、なにか惹かれちゃう写真ってあるね。何が違うんだろう。
そういうのって秋元康的な写真だよね。これも今、勝手に名付けたんだけど。
ー 意外な線で攻めてくるね。
秋元康の歌詞って言い尽くされたありふれたことを言ってるのに、言い方とか目の付け所がさりげなく新しかったりするんだ。すごいよね。
ー じゃあ乃木坂の曲を例にして説明して。
「サヨナラに強くなれ」ってフレーズはありきたりに聞こえるけど新しくて強いよ。別れは悲しくない…みたいな曲がいっぱいある中で輝いてる。って、乃木坂の曲なんてほとんど知らないよ、「川の流れのように」でいこうと思ってたのに。
ー たしかに、ありきたりって大事かもね。結局みんなが好きなのは、子犬とか、かわいい女の子とか、桜とか、夕焼けとか、海辺のカフェのクリームソーダを露出オーバー気味に撮った写真とかだもんね。
ありきたりなものって受け入れられやすいんだよ。だから、「ありきたり」を「ちょっと新しいありきたり」にしていくのって悪くないやり方だと思う。
ー やるじゃん、秋元康。じゃあ、秋元康的な写真家といえば?
えーっと、篠山さん?あ、広告とかファッションの写真ってそれに近いのかもね。
ー そうえいば、写真表現の話に広告写真ってあまりでてこないね。広告は芸術じゃないってこと?
いや、実際は広告写真って魅力的で新しいものも多いし、それを撮っている人たちもすごいと思うよ。やっぱり、お金が動くところには才能が集まりやすいんだよ。
ー ヒットチャートを狙う音楽の世界にも才能が集まってそうだもんね。
あと、秋元康は書いた曲を自分では歌わないところもポイントだよね。全部自分でやらないっていうのは「伝えたいこと」を伝えすぎないためにも効果的だし。
ー じゃあ、キミが構図を決めて、わたしがシャッターを押すことにする?
それも面白いけど、たくさん撮ってセレクトを他人に任せるのもいいね。
ー 荒木さんも森山さんも写真集や写真展のセレクトはけっこう他人に任せてるみたいだからね。わかってる人はやっぱりわかってるなあ。
5. 写真という純粋
ー まだよくわからないんだけど、ピアノやバイオリンはまず「うまい」ことが大事だよね。どうして写真は「うまい」じゃダメなの。
それは誰でもうまく撮れるからだよ。もし50年前だったら、走っている人をばっちり撮れるだけで貴重だったし、それこそが「いい写真」の代表だったかもしれないけど。
ー 今はそれだけではすごくないってことね。写真を練習しただけでは「いい写真」は撮れないってことかー。
そうだね、大事なのは、考え方とか感じ方、世界との関係の築き方。写真の良し悪しを決めるのは人としての総合的な力だよね。
ー ピアノやバイオリンとは違う難しさだね。
努力ではどうにもならないことが多いからね。そういう意味では、写真ってものすごく純粋な表現って言えるのかも。
ー よし、キミより「いい写真」が撮れる自信がでてきたよ。
いやいやいや、ダメな人間が「いい写真」を撮れないわけじゃないからね。アホなひねくれものでも面白いものは生み出せるから。
ー まあ、わたしに負けないようにせいぜいがんばってよ。
なんか上からだなあ。
ー もしかしたらさ
ん?
ー 本当はピアノもバイオリンも絵画も演劇も、「いい表現」であることと「うまさ」はあまり関係ないのかもね。
そうだね、「話しかけたかった」は南野陽子が歌ったからこそ名曲。それは間違いないよ。
「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。