見出し画像

受験生な娘と夜の海に行くということ

彼女は海が好きだ。
とくに、夜の海が好きだ。
なかでも、雨の夜の海が好きだ。

---

以前なら夕方仕事から帰っていきなり「海に行くよ!」と言われても、喜んで付き合っていたのですが、最近は日が暮れる頃にはすっかり疲れてしまっているので(それがトシを取るということなのでしょう)、おいおい勘弁してくれよという気持ちになります。それでも久しぶりの雨が降った水曜日「雨の夜に海に行きたくならない意味がわからない」と意味がわからないことを言う次女の言うままに海に向かうことになるのです。

お気に入りの砂浜まで車で2時間弱。雨はほとんど上がって、雲の向こうには星の気配。だれもいない海は遠浅で、遠くで砕けた波がゆっくりと打ち寄せてきます。穏やかなわけではありません。茨城の海に穏やかな日なんてないのです。瀬戸内で生まれ育ったわたしは最初のうちは「こんなのは海じゃない」と思っていましたが、今ではすっかり茨城的怒涛炸裂喧嘩上等な海にも慣れてきました。

「波は、すべてを語ってくれる」

先日の朝日新聞の朝刊で、ノーベル文学賞を受賞したヨン・フォッセの言葉が取り上げられていて、そうそうそうそう…と心の中で20回くらい頷きました。草野さん的バスの揺れ方にも通じるこの感覚を共有できる人はきっとたくさんいるはず。世界の大切なことの全ては、波のリズム、波の音、波の気配の中に含まれているのです。「は?波がすべてを語ってくれる?意味わからん」という人はいまから夜の海に行って1時間ほど波の音を聞いてから出直してきてください。(「いまは朝だ」という人は朝の海でも問題ありません)

と強気で言いたくなるほどに、夜の海が与えてくれるものは大きいのです。1時間波の音に身を任せることは、数学の解法を1時間勉強するよりも意義深いはずなので、受験生の娘が夜の海に行きたいと思うのは健全なことなのですが、残念ながら大学に入るために必要なのは「接点はt」みたいな知識です。世界のすべての体現者である波が、wantとwon’tの聞き分けのコツや火成岩の判別方法のような瑣末なことを教えてくれるはずもありません。

「JKを満喫することが優先!」と言いながら、バイトをして、旅に出て、夏までほぼ勉強時間ゼロだった高校3年生は、9月になってから受験のための勉強をはじめ「うん、まったく時間が足りん」といまさら分かりきったことを言っています。

まあ、「目的」も「過程」も「時間の有限性」も波にとってみればどうでもいいことなのでしょうけど。All those things don't matter to the waves.

Matterって動詞にもなるみたいよ。

「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。