りんごを食べたことはありますか?
1月はじめの三連休、紋別の小学生と一緒に「今年はいつ流氷がやってくるか」を予想するワークショップをしました。その最後の質問の時間に、ひとりの女の子が手を上げてこうたずねました。
「りんごを食べたことはありますか?」
え?
「えーっと、あります」とわたしは答えました。他の参加者にきいてみても、みんな食べたことがあるという返事でした。「りんごはみんなが好きなんだね」。
そう。改めて考えるまでもなく、りんごはとてもメジャーな果物なのです。
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ところが、それ以来わたしはこの「りんごを食べたことはありますか?」という質問のことが忘れられません。
「りんご」とは何か?
「食べる」とは何か?
「りんごを食べる」とはどういうことか?
本当に自分は「りんごを食べたこと」があるのだろうか?
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これが「お酒の味を知っていますか?」だったらどうでしょう?
お酒なら20歳から飲んでいます。20年前にこうきかれても、「はい、飲んで知っています」と答えたでしょう。でも、いまの自分から見れば20年前のわたしはお酒の味なんてなにも分かっていませんでした。20年後の自分から見れば、いまのわたしも「お酒の味を知らない」のかもしれません。
経験値は少しずつ上がるのではありません。あるところでジャンプします。
(きっとお分かりいただけると思いますが)お酒の味もジャズの魅力もライカの良さも、ある時ふと「こういうことか!」という感じで「わかる」のです。それ以前の自分は何も知らなかったのと同じだ、そう思えるほどに。
おそらくわたしは本当の意味での「りんごの味」を知りません。
きっと「りんごを食べたこと」がないのです。
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「りんごを食べたことはありますか?」
女の子の発したこの問いは「芸術」です。
それは、あたりまえだと思っていたことを疑い、考え直すきっかけになりました。その問いによって、自分が気づいていないかもしれない一面に思いを馳せることになりました。それらはまさに「芸術」のなすべきことでしょう。
また、芸術作品がそうであるように、この問いが発せられた(わたしがこの問いに出会った)環境やタイミングも重要でした。流氷について考えるワークショプの中で、他のいろいろな質問の途中で、小学生の女の子が手を上げて、小さな声で、でもしっかりと「りんごを食べたことはありますか?」と問いかけた。
それによって、この問いは「芸術」になったのです。
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「いい写真」ってなに?
いまここにひとつの例が加わりました。
それは「りんごを食べたことはありますか?」という問いかけのような写真です。
「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。