「生きるとは変わること」と彼女たちが歌う
「生きるとは変わること」
ラジオから流れてきた「二人セゾン」は欅坂46の曲です。おそらく自分の娘とそれほど歳の違わない女の子が、人生の哲学みたいなことを歌っています。
何も間違っていません。
若い彼女たちこそ、「大切なこと」を語るのにふさわしいのです。
例えば、それを加藤登紀子や和田アキ子が歌っていたら、あるいは中森明菜が今年の紅白に登場して「生きるとは変わること」と熱唱したら、間違いなく強い説得力を持つでしょう(わたしはきっと感動します)。でも、その説得力は強すぎるのです。そうなると、「生きるとは変わること」が「熱力学の第一法則」的な絶対性を持ってしまいます。熱力学の講義はこの世界の大事なしくみを教えてくれますが、「大切なこと」は単なる知識ではありません。
「大切なこと」は自分の中に生じるものです。
それは一方的に与えられるものではありません。問いかけられ、自分の中で育てていくものです。川辺を散歩している途中で、彼女が「ふと思ったんだけどさあ...」という感じでさらっと口にするように。
「生きるって変わることだよね」
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わたしはけっこう模範的なさだまさしファンです(学生時代からファンクラブにも入っています)。でも、正直に言うと最近の曲より若いころの曲のほうが好きです。歳とともに曲作りがうまくなり、隙がなくなってしまったせいもあるでしょう。技術や経験は表現の邪魔になるのです。
曲だけの問題ではありません。
「いつ歌うか」「だれが歌うか」も、とても大切です。
「風の篝火」(好きな曲です)が最新のアルバムに入っていたら、年寄りくさいと思ったかもしれません。「空缶と白鷺」を60歳のさださんが歌っていたら、少し説教くさく感じるはずです。「傘がない」は20代の井上陽水が歌うことで心に響き、「青空」は若い甲本ヒロトが歌ったから名曲なのです。
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おそらく、未熟な人だけが「大切なこと」を問いかけることができます。
若い時にしか表現できないことがあるのです。
もう若者でなくなった私はどうすればいいのでしょう。
残念ながら「できなくなってしまったこと」もあるでしょう。それでも、できるだけ「未熟な人」サイドにいたい、「バカじゃないの?」と言われる人間、未完成な人間でありたいと思っています。それは、「自分を完成に向かわせない」ということかもしれません。
「生きるとは変わること」なのです。
「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。