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さようなら山線のC62

「JR函館線一部廃止へ」
朝刊の小さな記事に一瞬息が止まりました。一部とは、長万部と余市の間、太平洋から羊蹄山の麓を通り日本海に出るまでの「山線」と呼ばれる区間です。

もちろん、それがなくなったところで私の生活にはなんの影響もありません。むしろ、北海道新幹線の延伸は喜ばしいことですし(陸路で札幌に出張できるようになる!)、それによって山線が廃止されるのも予想できたことでした。

でも、いざ廃止が現実になると、そのショックは小さくありませんでした。

「死ぬまでにもう一度見たい」
切実にそう思っていたものが永遠に見られなくなるのです。

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山線といえば蒸気機関車です。

現役の蒸機が山線で活躍していた頃をわたしは知りません。
C62が重連で急行「ニセコ」の先頭に立っていた頃には、わたしはまだ生まれていません。私が知っているのは復活したC623が5両の客車を牽くニセコです。

地元をSLやまぐち号が走っていたので、蒸機はいつも身近にありました。そのおかげで鉄道を好きになり、写真を撮り始めました。だから「小樽のC623、復活に向けて始動」という記事を雑誌で見た時、胸が踊りました。最大の蒸機C62はあこがれの存在なのです。山線で再びC62が走りはじめてからは、山口線沿線でもその話を聞くことが増えました。「迫力がすごい」。

進学先に北海道を選んだ理由のひとつも「そこにC62があるから」です。

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あこがれとのはじめての対面、駅から三脚を担いで歩いた初夏の日。
ダダダダダダッという独特のドラフト音とともにC62は山道を駆け上がってきました。噂通りの迫力。すぐにその虜になりました。

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残念ながら、C62のそばにいられた期間は長くはありませんでした。わたしが札幌で暮らし始めたその年の秋に、C62ニセコは運行を終了したのです。

でも、絶望は感じませんでした。
「陸の王者」と言われた最大の機関車、それがこのまま眠り続けるはずはないのです。休むことによってC62の寿命が伸びるなら、それは良いことのように思えました。それは「またいつか必ず復活するもの」なのです。

もちろん、次の舞台も山線です。
それ以外は考えられません。

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再復活の日。
ゆるやかにカーブした線路を見下ろす高台で、わたしはその瞬間を待つでしょう。思い出の場所で古い友達と再会するように。

澄み切った青空。エゾハルゼミの声。三脚の上に縦位置に据えたカメラを線路に向け、何度も構図を確認します。レンズは200mm。露出は1/1000、f4.0。

やがて、汽笛の低い音が山々にこだまします。一瞬訪れる静寂。そして、少しずつ近づいてくるあのドラフト音。わたしは大きく深呼吸をして、愛用のnew F-1のファインダーをのぞくのです。

あの頃と同じ、胸の高鳴りを感じながら。

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