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歎異抄の旅(1)〜無人島に、1冊もっていくなら歎異抄

『歎異抄(たんにしょう)』は、生きる力、心の癒やしを与えてくれる古典として、日本人に親しまれてきました。
「無人島に、1冊もっていくなら歎異抄」といわれ、その人気は、ますます高まっています。

 では『歎異抄』の何が、人々の心を引きつけているのでしょうか。

『歎異抄』は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の弟子が書いたものです。「ある時、お師匠様は、このようにおっしゃいました」と、師弟の対話が記されています。つまり、『歎異抄』を理解するには、親鸞聖人の教えと生涯を知ることが大切なのです。

 それでは、全国に残る親鸞聖人の旧跡を訪ねる旅に出発しましょう。

京都・東山の青蓮院へ

 親鸞聖人の生涯を語る時、まず最初の驚きは、わずか9歳で出家されたことです。「出家得度(しゅっけとくど)」ともいいます。

「出家」とは「家を出る」と書くように、家族とも親族とも別れ、世間との縁を絶って、たった独りで仏道修行の道へ入ることです。
「得度」とは、戒律を授かり、髪をそって、僧侶になることです。親鸞聖人は9歳で、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の僧となられたのでした。

 なぜ、わずか9歳で、そんな孤独で厳しい道へ進まれたのでしょうか。
 仏教に関心があったとしても、修行をするのは大人になってからでもいいのではないでしょうか。
 まず、この疑問を晴らすために、京都へ向かいました。

 東京から新幹線で約2時間。京都駅へ着いたら、最初に青蓮院(しょうれんいん)を訪ねました。「親鸞聖人得度聖地」として有名だからです。

 祇園四条で電車を降りると、鴨川にかかる四条大橋は観光客でいっぱいでした。美しい川の流れ、岸辺の紅葉が目をひきつけるので、橋の上からスマートフォンで写真を撮る人が多いのです。

京都の四条大橋より鴨川

 東にそびえる山へ向かって歩くと、そのふもとが円山公園(まるやまこうえん)。北隣が知恩院(ちおんいん)です。

円山公園

 観光バスがズラリと並んでいる知恩院の前を通り過ぎると、道路の空を覆うようなクスノキに囲まれた寺院が見えてきます。ここが青蓮院です。クスノキは高さが最大で26メートルに達するものもあります。この木は親鸞聖人が植えられたと伝えられているとか……?

 門前には「親鸞聖人得度聖地」と刻んだ石碑が建っています。ここも、平日なのに観光客が多く、外国人の姿も。

青蓮院

 拝観料を払って中へ入ると「親鸞聖人お得度の間」。庭園には、幼い日の親鸞聖人の銅像がありました。

 青蓮院は、天台宗の寺院なのに、ここまで親鸞聖人の旧跡であることを強調しているとは!
 しかし、「なぜ、わずか9歳で出家されたのか」という疑問に答える説明は、どこにもありません。

 庭園には、一つの歌碑が建っています。

青蓮院の庭園にある親鸞聖人像と庭園の歌碑

「明日ありと
  思う心のあだ桜
  夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」

(今を盛さかりと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は、桜の花よりも、はかなきものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか)

 9歳の親鸞聖人が、得度を受けられる時に詠まれたものです。この歌の中に、幼い日の親鸞聖人の気持ちが込められているはずなのに、歌碑があることにさえ気づかない人が多いのではないでしょうか。

小野小町が感じた無常

 次に、親鸞聖人が幼少期を過ごされた「日野(ひの)の里」を訪ねましょう。新たな発見があるかもしれません。

 親鸞聖人は、承安3年(1173)の春、藤原有範(ふじわらのありのり)の長男として生まれられました。
 日本の政界で、一大勢力を誇った藤原氏には、多くの支流があります。
 その中でも、日野(京都市伏見区)に法界寺(ほうかいじ)を建立した藤原氏は、「日野」を姓として名乗ることもありました。観光案内などに、親鸞聖人の父君の名が「日野有範」と書かれているのは、そのためです。
 地下鉄東西線の小野駅で降り、旧奈良街道を歩いて法界寺を目指すことにしました。

 駅名のとおり、そこは小野小町(おののこまち)ゆかりの地でした。
 駅から徒歩5分の随心院(ずいしんいん)は、小野小町の屋敷跡に建てられたといわれています。
 小町は、平安時代の歌人です。絶世の美人で、熱い恋心を表した歌が多く残されています。
 その美しさゆえ、小町の元には、数多くの男性から恋文が届きます。小町が千通の恋文を埋めたという場所に、今も「文塚」が築かれています。

小町が千通の恋文を埋めた文塚(随心院)

 それだけもてはやされていた小町は、幸せだったのでしょうか。
 彼女の代表作として百人一首に載せられている歌は次のようなものでした。

「花のいろは……」無常を詠んだ小野小町の歌碑(随心院)

「花のいろは
 うつりにけりな
 いたずらに
 わが身世にふる
 ながめせしまに」
(美しかった花の色も、すっかり衰えてしまったな。私も、むなしく年をとってしまいました)

 美しい花が、日ごとに色あせていくように、人間も、一年一年、老いを重ねていきます。その厳粛な事実を、美しく歌ったものです。
 この歌のテーマである「老い」と「無常」は、小町だけでなく、すべての人が、やがて直面する、悲しき現実なのです。
(法界寺は、次回訪問します)

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