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BABY / OS MUTANTES (English Version)

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昨年の大晦日から正月にかけて、面白すぎて一気に読んだ、久々に当たった長編本『かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた 二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯』はむちゃくちゃ長いがとても的確なタイトル(原題がBLACK RUSSIANというのも洒落てるけれど)。わたしは歴史の淵に消えた隠れた偉人の話が大好き(あと一歩で偉人になれたはずなのに残念ながらなれなかった市井のひとびと伝記集とも呼べる『バンヴァードの阿房宮』もおすすめします)なのですが、これは奴隷の父母の家に生まれ、シカゴ、ニューヨーク、海を渡ってロンドン、パリ、その他たくさんのヨーロッパの都市でベルボーイからメートル・ドテルに成り上がり、モスクワで大劇場庭園の支配人として財を成すもののロシア革命で全財産を失い、オデッサ経由、コンスタンティノープルでナイトクラブを経営し大借金を背負って獄中死する、文字通り波乱万丈の人生を送った、実在した男の話であり、この作者、亡命ロシア人のこの個人史リサーチの熱意もすごいが、この激動の時代の背景と彼の人生がなんかもういろいろ織りなしちゃってる一大巨編でクラクラきて新年を迎えました。昨年はゴールデンウィークを一週ほどずらして思いつきでウラジオストクに遊びに行ったこともあって、もともと生まれ故郷もロシアとの国境ということもあって(町中に『返せ!北方領土』という黄色い旗がはためいている)、最近いよいよすこしロシアづいている(はじめてのロシア語、みたいな本は人生で3回くらい買っては挫折している)のと、その昔コンサート興行師の仕事を少しだけしてまして、旅芸人趣味といいますか、そういう符合もあり。興行の仕事、まあしんどいことは多かったのですが、ちょっとゆるくてまさに旅芸人っぽい感じでいい湯加減だった興行は、3年くらい連続で担当したあるモンタナ生まれ西海岸在住のアメリカ人ピアニストの全国ツアーの仕事でして、まあソロピアノですし、マネジメントもわりとゆるくて、ひとりでふらっとやってくるんですよね。信じられない大荷物を持ってくるので運ぶのを手伝うんですけど、スーツケースの中にエディ・バウアーのおんなじ深緑のトレーナーとストーンウォッシュのジーンズが何枚も入ってて、なんか食事も細かい指定があって、ビニール袋にぎっしりひっそり忍ばせ持ってきた雑穀のようなものを預かり、各地のホテルで炊いてもらって、豆とか指定の野菜とかをボイルしてもらって。アーティストによってはラーメン食いたいとかフジヤマ見たいとか、いろいろせっかくのジャパンなんでそういうアフターショーのケアとか必要で大変なんですが、このかたはコンサート終わるとホテルに引きこもってなんかものすごい旧式のテープレコーダーで古いカセットテープ聴きながら、部屋でひとり持ち込みの雑穀を食べるのです。あとパンの指定があって、現地現地で全粒粉のカンパーニュみたいなのを必死で探すんです。当時はスマホもぐるなびもない、コンシェルジュもパン屋は知ってるけど全粒粉のパンがあるかはわからない。東京とか大都市だとデパ地下にでも行けばだいたいみつかるのですが、宮崎県の海沿いの小さな市民会館の近くなんかだと、パン屋どころかコンビニすらないわけです。彼も事情はわかってくれて、ないときはあきらめてくれるのですが、京都公演のときにホテルの近くのこじんまりとした素敵な赤い外装のパン屋さんを見つけて買って渡したのに、全粒粉の割合が気に入らなかったのかたべてくれなくて、もったいないし仕方なく自分でたべたらうめえ!これはうめえ!となった店はその数年後東京にも進出した(というか今はまた店舗なくなったのかな。少しの間だけ新宿にあった)Le Petit Mecという名店でした。そのツアーは業界長くてそのピアニストとの仕事も長い先輩とふたりで、一番多いときは13都市くらいだったかな、なんか大分県の県庁所在地じゃない町とか、首都圏でも桐生とか高崎とか、あとアーティストの希望でかならずツアーに沖縄が入ってたり(沖縄の音楽にすごい興味を持っていた)して、沖縄は後にも先にもこのツアー仕事でしか行ったことなくて、だいたい大雨が降って、毎年美ら海も国際通りすら歩かずに帰ってくるのですが、その沖縄に高良レコードという彼が贔屓にしているレコード店があって、どの都市に行ってもホテルに引きこもる彼がほぼ唯一外出するスポットというので一緒に行って、自分も音楽好きですし、なんとなくチェックしてたら、彼がカゴに山ほどCDを積みあげながら「きみにも買ってあげるから好きなCD選びなさい」というのでわーい、と選んだのが、今や映画音楽の巨匠みたいな立ち位置になってるランディ・ニューマンの『GOOD OLD BOYS』だったのですが、たまたま偶然、彼も好きなアーティストだったので「なかなかグッドテイストじゃないか」とかなんとか、ご機嫌になったのを覚えています。

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ランディ・ニューマンが好きなんだ、なんか意外、と思ったのは、彼は日本で一曲、韓国で一曲、CMとかドラマとかで使われた大ヒット曲があって、当時ニューエイジとか言われて括られて、のちにヒーリングとか癒し系とか言われちゃう流れで、日本中どこにいってもファンは当然そのヒット曲を聴きたがるのですが、大ヒット曲を持つアーティストの苦悩といいますか、俺は渋谷系じゃねえ!(田島貴男)じゃありませんが、なんだかんだセットリストには常に入っているのだけど、毎年毎年クセのあるアレンジを加えて、始まってしばらくその曲だと気付かないほどの別物を弾くのです。わたしもそのヒット曲とニューエイジなイメージしかなかったのですが、ドアーズのカバーをやったり、ランディ・ニューマンやジャズやブルーズの影響などを徐々に知って、ほう、知らんかったわこの深み、ずっとなんとなく聴いてたけど、と背景が見えてなんとなく彼のピアノの聴き方が変わったのでした。この話で何か映画の話を絡めたいと思いながら書いてきたのですが『グリーン・ブック』しか思いつかないんですが、あれは『ドライビングMissデイジー』の下位互換だし、時代遅れな感じがしたのでエンドロールの余韻も放棄して映画館でましたね。

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いやー、音楽と本と映画と、あれやこれや、愛や恋や、ほんとにすばらしいですよね。それでは聴いてください、ランディ・ニューマン、と思わせぶりながら、同時にあのピアニストに買ってもらったもう一枚のCD、Os Mutantesで"BABY”をポルトガル語オリジナルではなく、英語バージョンでお聞きください。おやすみなさい、お相手はきむらでした。

It's time now to learn what I know
And what I don't know
And what I don't know
And what I don't know


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