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靴紐、またはウィー・アー・オール・ハルシネイテッド

ほどけてしまった靴紐を結ぼうと駅のホームで屈んだが最後、立ち眩み、肩こり、鼻水、次いで視界が縮むというか、可識域がピンホールに近づいていくというか、いま念のため調べたところ、可識域って言葉は実際存在しないようなのだが、わたしはたまにこういう調子で、ことばをなんとなく吐き出してから存在しないかもなと薄ら気づきつつ使い続けたりすることがあり、おそらく周囲の人々も、それが汎用的な日本語なのかもしれないしそうでないかもしれないしけれどわたしは少なくとも聞いたことないな、なんとなく意味はわかるけど、と私のこのリテラルな横暴を黙認しがちで、オノマトペ的なものもまれにあるものの、その創作日本語の多くが漢字の熟語であるのは、きっと表意文字の力と、われわれ日本人のコモンセンス由来の空気読みに依るところが大きいだろうが、気がつくとわたしはバラエティショーのスタジオでフロアディレクターによる生放送開始のカウントダウンを聞いていた。無言のゼロのタイミングで彼の手刀が宙を切って、ボンゴが軽やかに転がる陽気なサルサのような音楽が流れ、左隣には明るいブルーのセットアップを着た芸人風の男が飄々、やや曲がっていたネクタイを直し終わっており、右隣にはモデルなんだかアイドルなんだか不明なキラキラした目元の、華奢なワンピース女が立てば芍薬、ウェルメイドな微笑みを湛えて立っており、わたしはゆったりサイズのGUESS(推測せよ)と大きなロゴがプリントされた白いTシャツと、少しだけ丈の短いカーキ色のカーゴパンツにオールドスクールなスタンスミスという姿で、オープニングを迎えるためのレディメイドな半笑いを拵えて赤いランプのついたカメラを見つめており、そんな事態よりもむしろ、不思議と落ち着いている自分にびっくりした。メインMCと思われる3人が目の前に立っていて、日付と時間と番組名などを念のため言ってから番組を進行しはじめたのだが、ディレクターがスケッチブックを上下に何度か動かして強調しながらわたしに出しているカンペには「くつひも、ほどけてます」と殴り書きされている。わたしはこれまでの生涯で紐のほどけたスタンスミスを履いて生放送に臨んだことがないし、ついでにいうと中途半端な丈のカーゴパンツも趣味ではない。さりげなく目線を落として延びたきしめんのようなだらしない紐は辛うじて確認したのだが、屈む、結ぶ、立ち上がる、という三式一連の動作をするタイミングを図れない。目の前のモニターには長野あたりのキャンプ場でバーベキューの準備をしているスキンケアも周到に真っ白な顔の両脇にピアッシング済みの、センター分けにした童顔のアイドル男グループが慣れない手つきで肉を切ったり、なにかの実、果実のようなものをもいだりしていて、わたしは今こそ、この靴紐を、と思うや否やワイプで抜かれてしまって、テレビマナーを見様見真似で、口をオの形にして驚いた声をオーと発音するのだが、すぐにわたしの音声は全く拾われていないことに気づいた。音声は割と同じタイミングで抜かれるあのワンピース女のほうであって、しかしあれだ、なんだ、わたしの足元などこの90分で一度も映らなそうではないか、ならばむしろこの紐のことなどどうでもいいのではないか、と思った拍子にカメラはスタジオに戻りCMの時間であることが告げられたため、わたしはいよいよやっとこの紐を、あのフロアディレクターしか気にしていない紐を、と目覚めるや否やなぜか中学校時代に戻っており、わたしは汗臭くて橙色したビブスを身に纏い体育館の水銀灯を浴びながら自軍ゴールのリバウンドを複数の男たちと狙っているのだが、この事態自体よりもむしろ、不思議と落ち着いている自分にびっくりした。太陽と汗とイオンサプライの混じったにおいがする。わたしは体重がないので巨体のセンターと真っ向からやり合っても馬力では勝てないため、タイミングを外して少し遅く飛び、リバウンドをつかんだ、と安心している巨体のセンターが空中でゆるくつかんでいるボールを下から弾き飛ばす作戦をとったり、とにかくガードのファーストパスのインターセプトを狙いまくるとか、基本的に斜めの角度で、ルールのハッキングみたいな態度でスポーツをやっていたよな、あらゆるスポーツの肝になるような、たとえばホームランであるとか、スリーポイントシュートであるとか、ブルを射抜くなど、そういう本筋のプレイではまったく存在感がないので、そしてこれは、ほぼわたしのこれまでの、そしてこれからの人生のフォーミュラだよな、通底してるな、と思うや否やわたしは家のベッドで、ひとり微睡んで、蒸し暑くて昨夜開けたままにしていた窓の向こう、その真下、階下からの、キュッ、キュッ、キュッ、という汗で濡れたリノリウムとシューズの合成ゴムが擦れあって鳴る音を聞いていた。わたしが住むマンションの一階にある、卓球クラブの朝練が始まっているのだ。一方わたしは靴すら履いていないし、目蓋も開いていないし、延びたきしめんのような、ほどけた紐のような毎日がまだ続いていることにやっと気づいて、ゆっくり固くもう一度目を閉じた。わたしはそれでも不思議なほど落ち着いている。シューズの音と小鳥の囀りとピンポン玉が弾かれる音が、ゆるいポリリズムを構成しているようにも聴こえる。

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