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海綴(1)

わたしの生まれたまちはくびれたような半島のまさにくびれ部分にあったため、北に行っても港、南に行っても港、東に行けばわたしの祖父が生まれた島を遠く望む岬、文字通り地の果てなのだが、比較的内陸側に家があったので「港町うまれで海はいつも身近にあった」と書き出すほどでもない。いまは廃校になった小学校の目の前の坂道を少し下れば、高台の金刀比羅神社の境内で遊んでいると、祖父母が眠る墓地に行くと、すぐそこに海が見えた。身近にあることに間違いはない。ただ砂浜などとは違って港は港、こんがらがった漁網や乾いたブイの転がる漁師の仕事場であり、子どもの遊び場ではなかった。カニやサンマの季節になると港でカニ祭りやサンマ祭りが催されるのだが、不思議と一度も行ったことがない。父は子どものころ流氷に乗ってよく遊んだというが、わたしはたぶん流氷を見たことすらない。結局これは父の海の思い出であり、わたしの思い出ではない。

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