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オンライン授業(オンデマンド型)の一般公開について

 オンライン授業用に動画ファイルを作るということを一生懸命しています。基本的にPowerPointのスライドに声と(一部)顔を入れた動画を、YouTubeに「限定公開」(リンクを知っている人だけが視聴可能)しているのですが、一般に公開した場合に、需要がどの程度あるのかな、という好奇心が湧いてきました。
 世界には、MOOC(Massive Open Online Courses)として、オンライン上で充実した学習を行うことが可能となりつつあり、オンライン上で成績を出したり、修了の証明書を発行したりできるようになっています。現段階で、そこまでの対応を一個人で行うことは難しいですが、すでに制作した動画を「一般公開」することは、ほとんど労力なしにできるでしょう。(とはいえ、資料の提示の仕方など、一般に公開するためには、精度を上げる必要がある動画がほとんどなのですが…)

 とはいえ、それらを「一般公開」とすることには、様々な意味で問題も噴出しそうな気もします。現状、どのような問題が生じそうなのかを、まとめてみました。



●一般公開する際の懸念事項

①専門性の確保

 授業では自分が専門的に研究していること以外についても扱わなければならないため、そこは内容の精度という点で、難しいところがあります。たとえば、「倫理学とは何か」という授業で、義務論を扱うときは、一般的な義務論の理解をさらにかみ砕いて説明しますが、カントを専門的に研究している先生からすれば、不十分なものであるかもしれません。

②大学の授業の価値の低下?

 一般公開した場合、これまでは大学に入学し、高額の授業料を払うことで受講できていた授業を無料で視聴することができるようになります。(私一人が個人的にしているのならば、そこまで問題ではないかもしれませんが)この方向性が拡大していったとき、大学に入学することの意味がほとんどなくなってしまうかもしれません。

③現役の学生との差別化をするべきかどうか?

 上記②とも関わりますが、授業料を支払っている学生と一般の方との差別化をはかる必要が出てきそうです(差別化などしなくてよいという立場もありえますが)。動画の公開時期、課題への応答の有無などの仕方で差別化することは可能ですが、それで十分なのかということは検討しなければならないでしょう。

④個別に新しい授業をする必要性がなくなる

 授業の動画が一般に視聴可能となり、それが蓄積されていった場合、新しい動画を作成することの意義は徐々になくなっていくでしょう。第一に、講義内容が同様の場合、昨年の動画で十分という考え方もできますし、第二に、新任でまだ授業に慣れていない教員のものよりも、学者として高名で授業のうまい先生の動画を見ればよい、ということになりかねません。つまり、これまでの授業は、その大学に入学しなければならないことと、さらに教室の規模などによって受講者が制限されていたために、教員の数と授業の数を確保しなければならなかったわけですが、授業が公開され、そのような制限が排除されたときには、質のよい動画を皆が見たほうが、学修効率が高くなる事態が予想されます。そして、学習者の学びを第一に考えるのならば、後者を選ぶことは自然なことであると思われます。

 以上の想定がある程度正しいとすると、授業の動画を一般公開することが広く普及することは、現状の大学システムの抜本的な崩壊・改変を招くことになるでしょう。しかしながら、以上の懸念事項があったとしても、それでもなお、一般公開する意義というのは、あるだろうと考えています。これについては、別の記事で書いた通りです。



「オンライン授業のポジティブな可能性」
https://note.com/kimurafumito/n/n05979ee5d2cc

「オンライン授業用教材を活かした、来年度以降の授業案」
https://note.com/kimurafumito/n/n36c51c5b243b


 これらの記事で書いたこと以外には、地域による教育格差の是正、あらゆる人に教育の機会を均等にすることなどの効用も期待できるでしょう。たとえば、東京在住の私が、北海道の先生の授業を受けたいと思っても、現在だと現実には難しいわけですが、その先生の授業が一般公開されれば、その授業を受ける機会は世界中に広がることになります。


 また、上記④については、文系と理系では、根本的な相違があるともいえますが、その件についてはまた記事を改めて考察したいと思います。


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