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クーロンとプロセスエコノミー

「クーロン続編」のようなゲームコンテンツはプロセスエコノミーと相性がいい。ゲーム制作におけるプロセスエコノミーとは、制作過程に共感軸を設定して小さな市場を創出することだ。
思い切った資金調達によって開発を行い、リリース時に一気に回収するという、従来型のアウトプットエコノミーとは真逆の発想だ。しかし、最初からプロセスエコノミーを目指していたわけではなかった──

25年間の空白
『クーロンズ・ゲート』の企画立ち上げからちょうど25年目を迎える2020年、「続編新作」を掲げたクラウドファンディングを実施した。もちろん開発のその第一歩を賄うというのが一義的な目的だが、ファンの声に耳をそばだてて「コレジャナイ感」を避けたいという動機も強く働いていた。
なにせ25年である──
2015年にお台場で「みんなでおはじめ式」というイベントが開催された。このときに驚いたのは、レガシーなファンに加えて新しいファン層が形成されていたことだった。この新しいファン層に対して制作サイドとしてまったくリーチするすべを知らなかった。
またゲームの舞台となっている香港情勢も大きく変わった。路地を覆いつくす禍々しいネオン看板もほとんど撤去されたと聞く。
そもそも旧作とはシステムが違う。今作は3Dリアルタイムレンダリングで九龍城を作るのだ。現在ではムービーダンジョン型のゲームというのは、かえって制作が困難だろう。ムーアの法則を持ち出すまでもなく、開発環境もプレイ環境も大きく変わってしまった。
なにもかもが様相を異にする──なにせ25年、四半世紀を経ている。この期に及んで旧作の焼き直しでお茶を濁すつもりはなかった。
多少の「裏切り」も致し方ない。それを前提としつつ25年という時間へのリスペクト、というニュアンスも含み、ファンの声を集める手段としてクラウドファンディングはうってつけだと考えた。

新旧ファンとの共犯
クラウドファンディングのテーマは「共創」ということにした。共に創るという読んで字のごとくの意味なのだが、制作のプロセスにファンを巻き込んでしまい、いわば「ゆるい共犯関係」を構築しようという目論見である。
したがってリターンアイテムには、一年近くかけて執筆した全編シナリオ第一稿本や設定資料本、オンラインセッションへの参加なども含んでいた。パトロンには体験型消費、つまりモノ消費ではなくコト消費を案内した格好になった。リターンアイテム返礼時点で手の内にあった材料をすべて出し切る、その気概であった。
「共犯型」の文脈上では、Tシャツなどグッズ系リターンアイテムも、制作セッションと同じ「コト消費」という地平上にある。だからTシャツにも敢えて原画ラフをデザインに選ぶなどした。設定資料本の表紙デザインも制作メモのコラージュだ。クラウドファンディングを通じて支援者には共犯者として「コトに及んで」もらったわけだ。
あとから振り返ってみると、制作プロセスを共有しながら小さな市場を形成するということでは、まさにプロセスエコノミーそのものだった。
クラウドファンディングには、投げ銭型や限定品販売型などがあるが、コンテンツ系ではプロセスエコノミーとして機能している案件が多いように思う。
プロセスを開示せず、制作過程のすべてをベールで覆ってしまうような制作スタイルは、「25年ぶりのクーロン」にあってはファンを置いてけぼりにしてしまう危険性をはらんでいる。

小さいけれど大きな一歩
2021年、リターンアイテムの制作作業と並行してして思案した結果、ゲーム性の更新を行うことにした。旧作のアドベンチャーゲームから、3D空間を縦横無尽に移動しながらシナリオ取得を進めていく「3Dノベル」というジャンル提案だ。クラウドファンディングを通じて、ファンから寄せられた声などを総合してようやく到達できた結論である。
2020年初頭からアドベンチャーゲーム向けにシナリオ執筆を進めていたため、3Dノベルとしてシステムとの整合性を再調整する大手術が待ち構えているものの、ゲームジャンルが定まったことの安堵感はやはり大きい。
制作過程をあからさまにするというのは、ゲーム業界ではタブーとされていて戸惑いもある。そんなとき、頭をよぎるのはかつての角川映画の「読んでから見るか 見てから読むか」という惹句だ。
シナリオ第一稿を読んでも新奇性が薄まるようなゲームにはしない、その意気があるからこそ踏み切れた。それに「続編新作」の世界観すべてを伝えきるには、まだまだ材料が足りていないと感じている。
今後とも一人でも多くのファンの声を集めてはカタチにしていきたいと考えている。もちろんクーロンらしい独善性を発揮するところはしっかり残しておくつもりだ。

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