乗り越えた感の薄さが魅力の『インターステラー』~ゲームデザイン事始め⑦~

「蛮勇」と聞くと、やはりスティーブ・ジョブスを思い浮かべる。失敗続きだったタップデバイスの累々たる屍の上に仁王立ちになり、iPod Touchを世に送り出したからだ。当時、iPodはあったものの、MP3プレイヤーというカテゴリーに収まっているだけだったし、そもそも音楽聞くのになぜ電池消耗するカラー液晶が必要なのか、理解されにくかった。自分も大手家電量販店で寂しげな感じでディスプレイされているiPod Touchを見たことがある。それを手に取るも充電すらされていなかった。ただiPod Touchがなければ、今日のiPhoneの大成功はあり得なかっただろう。事業計画書を見た人の、おそらく99.8%は反対するような事業をカタチにするには、「蛮勇」をもって臨むほかないと感じ入る。
さて、コンテンツの世界で、なにげに「蛮勇」を感じるのが、標題にもある『インターステラー』である。何が「蛮勇」であるかって? 「多次元空間」の表現だ。
企画書なりシナリオプロットを見ながら、コアメンバーが会議する様子が目に浮かぶ。
「これ、どーすんの?多次元空間って」
「いやぁ……」
「VFXスタジオとよく相談して、来週のこのミーティングで決めよう」
──てな具合だろうか。
よくラチェットを乗り越えるなどと言うが、iPod Touchはかなり山の高いラチェットを一気に乗り越えた感があったが、『インターステラー』は、いい塩梅で乗り越えたように思う。ラチェットの山の高さを感じさせずに、裾野を広げたような作りであり、観た印象としてはSF大作というよりも、アメリカンストーリーテリングの読後感に近いものが得られた。
映像表現で「異次元空間」においては、いまだに『2001年宇宙の旅』でボーマン船長が誘われた白い部屋が金字塔であるのは間違いない。
「あの真っ白けの部屋、美しいですねぇ、そして怖いです、怖い怖い部屋です──」と、淀川長治さんの名調子が聞こえてきそうだが、そういう金字塔の存在がある以上、「これ、どーすんの?」となるのは仕方のないことだ。でも、『インターステラー』の制作陣は乗り越えたのだ。ここがものすごくクリエイティブだなぁと思う。要するに表現で問題を解決したわけだからだ。
そして「とにかく多次元空間、やってみる」、この意思決定も蛮勇と評価していいと思う。見たこともないモノを見せようという前のめりな気構えだけではなく、シナリオを練ってちゃんと伏線とその回収に組み込んだところがさすがというほかない。二度目に観たとき、あの娘が登場した瞬間に涙腺崩壊しそうになった。
山の高いラチェットをやっとの思いで乗り越えても、それを微塵たりとも感じさせない潔さが『インターステラー』の魅力のひとつではないだろうか。ゲームデザインの現場でも「山高ラチェット」の連続することはあるが、乗り越えた達成感をおくびにも出さないのは、なかなかに至難の業なのである。


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