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夢見ながら、目標を立ててる。

この10月、noteを毎日更新させるという宣言をいたしました。

でね、なぜ1ヶ月毎日更新しようと考えたのかと申しますと、以前に読んだ書籍「書く習慣(いしかわゆき著)」の巻末に、「書く習慣」1ヶ月チャレンジ、というテーマが収録されていたからです。

ええ、この書籍を読んだときから挑戦したかったこのチャレンジに、ちょうどいい機会だから、挑戦してみようと考えたのでした。

というわけですから、1ヶ月チャレンジ、いっきますよー!


いま、抱いている夢は。


わたしがいま、抱いている夢は、飼っている猫と共に、穏やかに暮らしていく、というものです。

10年以上、一緒に暮らしてきた猫ちゃんと、この先もずっと一緒に暮らし続けていられたらいいなあ。

すでに叶っている、しあわせなこの現実がずっと続いていくこと、それがわたしにとっての「夢」です。

猫の平均寿命を考えたら、儚い願望のようにも感じています。わたしは夢を語りながら、どこかで、この夢が終わるときを悟っています。

決して、いまではないのですけれど。

飼っている猫ちゃんは毎日、元気に活動してくれているから、日常が終わる瞬間なんて、なかなか想像できないのですが、いつか必ず、日常が終わる瞬間が訪れるでしょう。それでも願わずにはいられない。

「飼っている猫と穏やかに暮らし続けること」ーーそれがわたしの、いま抱いている「夢」です。

いま、抱いている目標は。


わたしがいま、抱いている目標は、夢を叶えるために立てた目標です。

夢は、シンプルにまとまってくれたのですが、その夢を実現するための目標はいくつもできてしまいました。どういうものかと申しますと、

在宅で仕事できるようになる。
・自分の心に素直でいる。
・猫と自分の健康を維持する。

こんな感じです。

在宅での仕事を目標にした理由は、猫の異常にもすぐ気付きたいからです。

ええ、あるとき、留守中に飼い猫ちゃんが吐いていたんですよ。飼い猫ちゃんはすっかり回復した様子でわたしを迎えてくれましたが、気づいたときにはゾッと怖くなりましてね。それ以来、猫ちゃんの異常にすぐ気付けるように、在宅で仕事をしたいと考えるようになったのですよ。

自分の心に素直でいる、猫と自分の健康を維持する、という目標は「穏やかに暮らす」ために立てた目標です。穏やかに暮らすには、ストレス対策も大切だし健康がいちばん大切だと考えたのですね。

夢見ながら、目標立ててる。


今回、夢と目標について書きながら、ずいぶん様変わりしたなあと感じました。どういうことかと申しますと、いまのわたし自身が抱く「夢」と「目標」は、幼いころに比べるとずいぶん変わっているのです。

幼いころのわたしが抱いていた夢は、「小説家になること」でした。

小学校の卒業論文に、そう書いています。もっとも、そう書いたときの心情を思い出せば、いま、抱えている夢は「小説家になること」よりもずっと、正直になったなあと感じます。

なぜなら、小学生のときに夢見たことは、「小説家になること」ではなかったのです。

当時のわたしが夢見たことは、大好きな本を読み続けられる毎日が続くこと、でした。この生活を続けるため、どんな職業に就けばいいのか、と小学生のわたしが考えたときに「小説家」しか思いつかなかったのです。

ええ、つまり幼いわたしにとっての「夢」とは、「将来就きたい職業」と言い換えられるものだったのですね。心の中で抱えていた願いをできる限り現実化するための手段であり、代替可能なものでもあったのです。

では大人になったわたしがいま、抱いている夢を、他の言葉に言い換えるなら、何になるのでしょう。

……ちょっと考えてみましたが、やはり、いま、抱いている夢は「夢」としか言いようがないなあと感じました。

すでに叶っている現実が、ずっと続いていくこと。それは生物の持つ寿命を考えれば、どうしても儚さを感じさせます。叶わない幻のようにも感じる願いですから、やはり夢としか、言いようがありません。

どうやらわたしは夢という単語の定義に、儚さを含ませているようです。これはこの文章を書くまで気づかなかった、思いがけない発見でした。

でも、諦められない願いなのです。

だから、わたしは目標を立てました。夢を、できるだけ長い期間、見続けるために。夢のような現実を引き延ばすために、目標を立てたのです。

いずれ、この夢は終わる。わたし自身の人生が終わるように、必ず。

たった一度きりの人生です。だからこそ抱いた幻のような「夢」を見続けるために、立てた「目標」に向かって歩き続けたいなあ、と、いまのわたしは考えているのでした。

DAY1:今抱いている目標や夢

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