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<連載小説>昨日のような、明日を生きよう<25>

晴太の友達

 綾を幼稚園に送った後、宮子と晴太は近くの公園で遊ぶことが多い。
 天気も良いし、気温も心地よい。四月の陽気はそのまま家に向かわせない何かがあった。
「晴太、前見て、まえ」
 駆けながら後ろを振り返った晴太に、宮子は声をかけた。その瞬間に、晴太は転んだ。
「あー、ほらー」
 宮子が走る。晴太はガバッと起き上がり、地面に座り込んだ。手を見て、膝を見て、少し血が滲んでいることを確認してから目に涙が溜まる。
「う、ぶえっ、ぶえっ」
 鼻水も出てきたのか声が濁っていた。
「だいじょうぶ?」
 宮子が晴太の後ろにたどり着いた時、そこにはもう一人の子供が立っていた。晴太に声をかけたその女の子はポケットからハンカチを取り出して晴太の顔を拭いてあげた。
「ビックリしたね。でも泣いちゃだめだよ、このくらいで」
 決然とした表情でそう言った子供は、ちょっと待ってて、とその場を離れる。声をかけるきっかけを失った宮子は二人の様子をじっと見ていた。
 女の子は水道まで歩き、蛇口をひねり、ハンカチを洗った。涙と鼻水で汚れていたそれを丁寧に洗い、絞る。小さな手だ。少し絞り切れてない。それを持ったまま、彼女は晴太の元まで戻ってきた。
「はい、ケガしたところ見せて」
 きょとんとしたまま、晴太は膝と手のひらを見せる。そこに彼女はハンカチを当てて、血を拭った。少し傷んだのか晴太の顔が歪む。しかし、その度に女の子が晴太をキッと見つめ、泣かせない。
「ほら、きれいになった。立ってごらん」
 女の子の声に晴太が大人しく立ち上がる。彼女は服の泥まで払ってくれる。
「ありがとう、お嬢ちゃん。色々してくれて。晴太、ありがと、した?」
 宮子はそこでようやく声をかけた。母を見て晴太はその足にしがみつき、「ありあと」と声を出した。
「どういたしまして」
「ねえ、お嬢ちゃんのお名前は? お母さんどこ? お礼言いたくて」
 宮子の矢継ぎ早な問いかけに彼女は手早く答える。
「わたし、心愛。ママは、あっちにいるよ」
 そう言って指さしたのは公園の端にあるベンチだった。
「いっしょに行こ」
 宮子と晴太の手を握り、心愛は歩き出す。心愛の母親もその動きに気付いたのかこちらに向かって歩き出した。
 ちょうど公園の中央でお互いが行き合う。
 会釈し、宮子はニコリと笑った。
「太田です。息子がお嬢さんにお世話になりました。ありがとうございます」
 相手も会釈を返し、ニカリと笑う。
「横田です。綾ちゃんのお母さんですよね。同じもも組の横田優吾の母です」
「あー、あの……っとごめんなさい」
 宮子の脳裏には入園式で漏らした子、という印象ができてしまっている。
「いいんですよ、おかげで気を付けるようになったので良かったくらいです。それにしても、心愛が何かしましたか?」
「ええ、心愛ちゃんが転んだ晴太を介抱してくれたんです。すごく助かっちゃって」
「そうですか。心愛、よくやったな」
 横田は屈んで心愛の頭をわしわしと撫でた。嬉しそうに心愛は破顔し、「晴太くんと遊んできていい?」と伝える。
 横田が宮子の顔を見る。宮子はうなずいた。
「いいよ、行っといで。危ないことはするんじゃないよ。晴太くんはまだちっちゃいんだから」
「はいっ!」
 手を上げて、晴太の手を引き、砂場へと向かっていった。晴太も疑う素振りすら見せずついていく。
「優しくて元気のいい子ですね」
「晴太くんも大人しくて可愛いですね」
 お互いにお互いの子供を褒めて、思わず笑いだした。
「ふふ、なんだか気が合いそう」
「私もそう思います。そだ、太田さん、私に敬語なんて良いですよ。年下なんだし。なんなら名前で呼んでください。優愛って言います」
 握手を求める。
 握り返し、宮子はちょっと考えた後、うなずいた。
「じゃあ、そうさせてもらうね。私は宮子。今年で37歳」
「私は今年でちょうど30ですよ、宮子さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、子供がお世話になってるから。幼稚園でも仲良くなってるみたいだし」
「そう、入園式の時から仲良くしてもらってるみたいで優吾もとっても喜んでました」
 他愛のない、しかし朗らかな時間が過ぎていく。
 子供にとっての新しい友達、宮子にとっての頼もしい仲間、その語らいは綾のお迎えの時間まで続いた。

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