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<連載小説>昨日のような、明日を生きよう<27>

綾と初めての友達-小さな勇気

「何やってるの?」
 声をかけてきたのは、横田優吾だった。あの、入園式の時にトイレと叫んだ子だ。
 綾は一瞬顔を上げて彼の顔を見たが、すぐに視線を落としてしまった。
 その様子を見て、優吾がさらに声をかけてくる。
「遊ばないの?」
 首を傾げながら下から綾の顔を覗いてきた。それに抗うように、綾は視線を逸らす。
「なんで何もしゃべらないの? 痛いの?」
 なおも話しかけてくる優吾に、少し腹が立ってきた。
 自分がこんなに悩んでいるのに、こいつはなんて能天気なんだ、と。
 綾は彼に背を向け、歩き出した。
「ねえ、綾ちゃん」
 ついてくる。
 返事をしなかった。少し早足で、自分は興味ないんだ、という風に装って。
「ねえ、綾ちゃんってば」
 まだついてくる、まだ。
 もう少し速度をつけて、でも少し後ろが気になって。
「危ないよっ!」
 言われた瞬間、顔面に衝撃が走った。
 目がチカチカする。
 しびれのような痛みが顔全体に広がってくる。
「ぶ、うわああああ」
 思わず声が出た。屈みこんで顔を手で覆う。
 こすっても痛みが取れるわけじゃない。顔の皮が一枚、はがされたような感覚だ。
「あーあ、だから言ったのに」
 こんなに痛がっているのに、優吾はまた能天気な声を出す。
 もう、もうっ!
 心の中で怒りが湧き続け、少し傷みが軽減された。
 それでも痛いことには変わりがない。
 そんな綾の頭に、手のひらの感覚が。
「痛いの痛いの、とんでけー」
 相変わらず、のんびりした声だ。
 しかし、不思議と落ち着いた。
 いつの間にか、綾は泣き止んでいた。
 固く閉じていた目を開ける。
「あ、泣き止んだ。へへ、よかった」
 屈託なく笑う優吾に、思わず綾も笑みをこぼしてしまった。
「やっと笑った」
 少し極まりが悪い。またうつむいてしまう。
 それにも関わらず、優吾は話しかけてくる。
「ねえ、綾ちゃん。もう痛くない?」
 痛みは消えていた。どうやら木にちょっとぶつかっただけだったようだ。
 血も出ていないのは擦った手のひらを見ればわかった。
「うん、痛くない」
 ぐっと口を引き結んでから答える。それが、とても大事な気がした。
「じゃあさ、みんなで遊ぼうよ」
 そう言ったが早いか優吾は綾の手を引いて立ち上がった。
 綾もつられて立ち上がる。
 が、足がすくんだ。
 一歩が出ない。
 綾の抵抗に気付いたのか、立ち止まって優吾が振り返った。
「どうしたの?」
 また、顔を覗きこまれた。
 唇が震える。また泣きそうだ。
 だが、目の前の優吾はとても楽観的で、握られた手は、温かかった。
 震える心が、溶けていく気がした。
「あ、あのね。ちょっと……怖い」
 ふり絞った声は小さく、もしかしたら聞こえていないんじゃないかと思った。
 だが、優吾はそのまま綾のもう片方の手を握った。
「怖いの?」
 問いかけに、コクンと頷いた。
「よく分かんないけど、遊んだら治るよ」
 そう言って歯を見せて笑う。
 何の疑問もなくそう言う優吾に、綾は自分の悩みが少し馬鹿らしい気がしてきた。
 拒絶されるのが怖かったのだろうか、それとも自分の思い通りにならないのが怖かったのだろうか。
 たぶん、相手のことがよく分からなくて怖かったのだ。
 でも、優吾はそんなこと関係ないと距離を詰めてくる。分からないなら分からないままで、そして少し知ろうと思って。
 分からなくて怖いのなら、分かれば良いのだ。
「……うん、行く」
 自分から、一歩踏み出した。
 それを見て、優吾が前を見て歩き出す。
 その先には砂場でごっこ遊びをする集団がいた。見れば、ブロックの時のあの子もいる。
 ちょっとだけ拳に力が入る。
 でも、もう止まらない。
「ねえ、僕も混ぜてよ!」
 優吾が大きく声をかける。
 それを見て、綾も言った。
「あ、綾も混ぜて!」
 自分でもビックリするくらいの、大きな声が出た。

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