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完走記:阿蘇ボルケーノトレイル2024 (後)

ここまでのあらすじ

9時間走って結構順調。しかしまだ前半。

A3からA4(旧上式見小68km)

A3までと違い、牧野に登り上がった後で根子岳の裾野を通るこの区間はボルケーノの前半と後半を結ぶトランジットといえる。

去年は17km進むのに5時間もかかりそして関門に間に合わなかったこの区間が一番の肝で、悪路が立ちふさがってもパワフルに進むと心して取り掛かった。にも関わらず、牧野に上がってしまってからは意外と舗装路が長く続く。こういうことはすぐ忘れるw

というのもボルケーノの前半コースは地図上で見ても実線破線はあまり通っておらず、平面的なデータから情報を得にくいからという理由がある。それだけ道なき道を、ただの草原のど真ん中を突き抜けたコースを引いてくれているということなんだろう。

ほとんど暗くなり始めた区間にも誘導の方はいらっしゃる。丸さんの笑顔はこんなときも丸さんだった。マーシャルの岡さんとは実は同じ小学校卒業。握手する手はごつくて力強い。

晴天雨天両方の阿蘇を走ってみて分かったのは「牧野は天気に関わらず風が吹いて、夕方になるともっと風が強くなる」ということ。去年はまったく太刀打ちできなくて只々体温を奪われた。今年はこちらが優位。早めにアームカバーを着けて、でもシェルを着なくてもいいくらいにはジョグの強度を維持した。のりちゃん特製のおにぎりを一口ずつ齧りながら走った。ほぐし鯖が美味しかった。

雑穀入りで食感も美味しかったー

夕暮れの根子岳の美しさを藤生さんから聞いたことがあった。今目の前にみえる山は、雲が山頂を覆い隠していてさながら魔王城のよう。比叡山を走っているはずの彼女に写真を1枚撮って送る。

そして根子岳に向かう決意表明を「山田秀彦」のグループLINEにも投下。MT.FUJIを完走したおがっち、阿蘇を走るわたし。彩の国挑戦を次週に控えた蓮田さん服部さん。襷を繋ぎたかった。熱い気持ちを伝えたかった。

山田などいない山田家グループLINE

箱石峠に入ったあたりで、去年苦戦した区間にいよいよ差し掛かったことが分かる。ちょうどそこに別府さん鬼塚さんいらっしゃった。こちらの意気込みとお二人の応援がシンクロしたようで自ずと力が入る。

藪に挟まれた根子岳の尾根……はあっさり登ることができた。去年は左側の森に入る箇所が全然見つからなくて困っ……すぐ見つかった。森を抜けて舗装路に出る下り斜面で膝まで泥に埋もれ……なかった。まだわずかに明るさが残る時間帯だったことにも助けられ「去年より断然マシだ」と、進むほどにポジティブになれた。

何もかもどうにもならなかった2023年

去年ここで共に大苦戦したアリサの悲鳴が脳裏に蘇って「今年は大丈夫そうよ」と後方にいるはずの彼女に念を飛ばしておいたw
鉄線をくぐってもう一度牧野に出る。去年はこの辺でもう泣きべそかいてて、鉄線のところにつきっきりになってくれていたスタッフのノヤさんの声にどんなに励まされたか。今年は単独走だったけど自分で自分を励ますことが出来た。そうでなくてもここまでに本当にたくさんの応援を受けて走ってきた。

急に勾配が緩慢になって牧野に出る。このあたりの進路の分かりにくさは今年も変わりなかったけど、ぎりぎりの明るさが残っていてあっさり通過できた。去年は目の前を牛がドスドス走っててめちゃくちゃびっくりしたし怖かったんだった。牛の方も怖かったはず。自発光タイプのライトで誘導してくれれば分かりやすいだろうにって思ったけど、放牧地だからそれができないのかな?と考える余裕が今年はあった。

265号線に出て次のエイドまでの距離がほんの少しとなり、去年の所要時間より大幅な短縮が期待できることが分かった。去年はこの辺でスタッフビブスを真っ黒に汚したタケが居た。今年そこに居たのはモリ岡修造だったw

すごく良いペースで走れてる、今年は行けるよ、すごいよ!と熱い応援で火傷した。真っ暗なのに何が見えてるんだろうって思ったけど御礼を言ってふたたび走り始めて、いや勿体ないなと思って数十m戻って写真を撮らせてもらった。オーラが写り込んだw

こうやって新興宗教は生まれるのだなと思った

まだ悩んでおられるようなのでここでも言っておきます。球磨川リバイバル走ってください、わたしがモリケンさんのシフトの代わりに入りますから。

A4旧上色見小はみゆきさんが居てタケがいる。元気しか出らん。エイドには秋ちゃんはるちゃん、りえさんはまたここにも。賑やかで華があって元気しか出らん!

画が煩いけど応援してる、応援されてる

大会側の要請でYamapを起動しっぱなしにしていた今大会、ここまで12時間が経過してスマホのバッテリー残は30%ほど。アプリ起動しっぱなし=バッテリー消耗が不安だったので5000mAhのバッテリーを前後半1つずつ用意していた、けど1つあれば足りそう。とりあえず充電する。

雨の予報にあわせて着替えをする。Tシャツを1枚重ねて、ボトムスは短パンからPatagoniaのスパッツに変えた。田中にいにが推奨する「雨の日はスパッツがいい」は、さが桜で実感済み。

時刻は21時で雨はまだ降り始めてなくて、軽いからザックの一番下に詰めておいたレインウェアをいちばん上に持ってきておいた。明け方から雨の予報だとみんな言っていたけど、だからこそ夜になったらいつでも降り始めると消極的に予想した。根拠のない期待を裏切られるのは去年だけでじゅうぶんw

着替えが終わると周りの様子を見る余裕ができてきた。一緒に行こうぜと声をかけたがDスケは逃げるようにエイドを出て行った。さが桜マラソンのときにへろへろになっていたリンダさんがわたしのエイドタイムの短さを意識してるけどわたしのはそんな本格的なもんじゃない。

胃腸がしんどいというコジさんが回復を待っていて、レースを辞めることを決めた石井さん沼田さんあたりとはずいぶん雰囲気が違って見えた。わたしはどう見えてたのかな。レース中はそんなこと考える余裕なかったけど、ありのままを表現できていたらと思う。

隣の小鍋のひき肉がトッピングだと思いこみ
みっともなく待ち続けるわたし

出立前に蜂蜜のお湯割りとカレーをいただいて、多良の森仲間のこまちさんから“世界で一番おいしい“麦茶を(と言っておけばお互い気分がいいw)注いでいただいて、A4の滞在時間は30分だった。
ちゃんと食べることが出来た固形物はここのカレーが最後だった。

A4からA5(高森峠80km)

応援・サポートはA4A5に立ち入ることができない。A4を出発したことをクーピー君に知らせる。阿蘇の後半コースは、開けている前半と違ってそれほど電波の入りが良くない。だからサポートとの連携はあえてマニュアル気味に運用した。

ここから先は4月からこっち2回試走して、登りと平坦を全部歩いた場合の所要時間も把握済み。112kmのうち69kmを消化して、内容としてはちょうど折り返し。ここからは南阿蘇外輪山縦走路がコースになる。

目標にしていた26時間よりも1時間巻きで、ここからA5までのコース変更によって生じたバッファがあるのが分かってる。24時間切りを意識しはじめた。

刻むなら25時間だったけど24時間を意識したのはキリが良くてカッコいいと思ったからだった。先頭を走る誠治さんはもうすぐゴールしそうなのに24時間切りがかっこいい訳はない。だけど自分で掲げた目標を大きく超えるチャンスに燃えはじめた。

ロードをとぼとぼ歩くDスケをパスし、川を渡って左に折れるところに大森さんが立哨しておられた。真っ暗でお互いヘッデンを点けていると顔が分からないこともあるけど、なんか分かる。なんでかは分からん。風も吹いていて過酷な持ち場が大森さんのタフさとマッチしていてただそれだけで格好良かった。

今里さんリンダさんらと黒岩峠に向かう。今里さんは以前にこの登り坂を阿蘇カルデラスーパーマラソンで通ったことがあるそう。リンダさんはまだ体が重そう。斜度が厳しいのでずんずん歩いて登る。

自分自身に目を向けると前半に一度脱水症状が出た割には筋疲労も軽く、夜間の方がむしろ昼間より動ける感触があった。ここで眠気がきてカフェイン錠を投入するイメージを事前にしていたけどまだ不要そうだった。話し相手が居ると気が紛れていいね、やっぱり。

雨がぱらつくようになったのでレインを引っ張り出す。黒岩峠から先はこのレースでようやく登場する縦走路らしい縦走路で、時折牧野にもはみ出す。早めにロングパンツまで履こうか、考えたけどジャケットをザックの上から羽織るだけにした。

試走の時と同じく遠くで吠える牧羊犬。3kmほど進めば御成山だけど、そこまでのトレイルは前半区間と違う進みにくさを実感した。いよいよ後半戦なんだ、疲れた体で進む後半は試走とは別物になるんだと気を引き締めた。

A5高森峠エイドに到着してからやはりレインパンツも履くことに。腹筋背筋が強張る感覚があったのでほんの少し横になってストレッチをした。脚の疲労と比べて体幹部の疲れを実感。大丈夫かな。

さっきのタケと写った時とは表情がまるで違う
これが癒しだ。

エイドにいたのはりほちゃんみわこさん。笑顔が目の保養やね。りほちゃんとは、試走のサポートをお願いしたけどスケジュールが合わなかった未練があったからここで会えて嬉しかった。なんとお菓子の詰め合わせを差し入れしてくれた。弱っているおじさんにこういうのは効くから気を付けて欲しい。

ダイエット報告仲間の拓ちゃん石松くん、本田さんサイトーくんと写真を撮って再出発。おじさんの熱い声援だって弱ってるおじさんに効く。そういえば、本田さんはA4にも居たのにな。でかいけん分かりにくいだけで2人はおるんやろな。

そろそろ目つきが怪しいわたしと
深夜に差し掛かり同じくあやしいテンションのおじさんたち

手持ちの補給食があるけど、差し入れにいただいた蒟蒻ゼリーを有難くいただいた。激しくむせてそのままぷるんと吐きだしてしまった。けっこう嫌な予感がしたw

A5からA6(熊ゼミ93km)

この区間の中でも中坂峠から清水峠はコース整備を手伝った区間だったのでかなり楽観視してた。楽観視していただけに身体の重さと脚の進まなさに苦労した。実際、4時間20分で通過したかったこの区間に5時間かかった。

まず脱水気味だった可能性。時間がかかり過ぎたこともあるけど夜の13km4時間で水分1Lじゃ足りずに下り区間の沢の水にまで手を出した。そして胃腸障害の可能性。おいエナを麦茶で割ったものをフラスクで飲んではいたけど、おにぎりやトレイルバーには手が出なかった。

昨年11月のKAMI100もこんな感じで動きが悪くなってレースを辞めてしまった。ので、どうにか足掻くことを考えた。そもそも胃腸障害って何やろなと自問自答するとこから初めて、単に腹筋痛で呼吸が浅くなって苦しさを感じてるだけじゃ?と仮定した。上半身にも鍛える余地があるんかなあ。レースが終わったらすーさんに相談してみよう。

少し横になって腹筋を伸ばしたら気持ちよさそうな気がしたけどヤマビルが気になる区間なのでそれも簡単じゃない。つらかった。胸郭を広げたらいいのかなと考え、手を頭の後ろで組んで、肘を開いて歩く。「ラグビー選手がよくやるやつ」って呼んでる。

後ろから名前を呼ぶ声があった。一緒に試走したさとみだった。去年はスタートから関門タイムアウトまでずっと一緒だった。今年もはスタート直後で離れたきりで、速報を見る限り30分後ろに居たはずだった。

一緒に進める仲間が見つかったことを嬉しく思うくらい消耗してたし、さとみもようやく知ってる顔がいて嬉しいって言ってた。それなのに、間もなく置いて行かれて全然ついていけなかったw

そもそもここまで別々で進んでたんやし仕方ない。でも正直かなり堪えた。とうとう我慢できなくなって少し舗装してある場所で8分横になった。不調の原因はもしかしたら眠気だった可能性はあるけど、息苦しさを感じているときにカフェインを投入するのは怖くて出来なかった。

一番しんどい時間に鬼さん別府さんと共有した
みっともないけどいい思い出だ

次のA6熊ゼミにはくーぴー君が待ってくれていて、お願いしていたコーヒーを用意してくれている。それまで我慢しようと思った。次のエイドに仲間がいる。このことが足を前に出す原動力になった。

横になったあとは少しだけ身体が楽になった。清水峠にはひろしさんと秀樹さんトガさんが誘導なのか応援なのか、そこに来てくれていて、心を助けてくれた。ていうか、みんな自分のシフトの隙間であちこち移動してたでしょ?持ち場以外にも何カ所も回ってたでしょ?有難いにもほどがある。

清水峠を後にして、未知だったら悪態つかずにいられないような下りのトレイルを進んでエイドに到着。試走しておいて良かった。到着してすぐは、くーぴー君とのやりとりも正直めいっぱいだった。応援に来ていたちりちりも世話を焼いてくれた。電解質を道中で落としたみたいだったので、手持ちのタブレットを分けてくれた。いつもみたいに煩くなかったのが良かった。ずっとそうだったらいいのに。

ひとのこと言えないけど
ちゅーげんさんも顔面が濃いw好きだなー

熊ゼミには陽子さん中元寺さん井上さんひえぽんさんまほさんがいて、優勝した誠治さんも一緒に試走した漆上じゅんちゃんもここに戻ってきてた。けど、人の顔が滑って像を結ばない。とにかくもう一度横になりたくて施設内をうろうろし、ようやくザックを下せる場所を見つけたと思ったらエイドリーダーのまこっちゃんが其処は救護スペースだと言う。

わしも要救護レベルやぞと言いたくなるけどぎりぎりの良識で踏みとどまる。だけど空き場所を探すのに苦労していたら場所を融通してくれた。拓ちゃんがMt.FUJI100の後で「仮眠は11分○秒でその理由はどうのこうの」と言っていたのをふと思い出して、あやかりたくて12分のアラームをかけた。「ゾンビが増えてきたので場所割を見直して……」みたいなまこっちゃんの声が意識の向こうで聞こえた。かっこいい。ゾンビでごめんw

腹筋を伸ばしたかったのでバンザイして寝たのが良かったのか、すっきり起きることが出来た。くーぴー君が用意してくれていたカフェオレがめちゃくちゃ美味しかった。コーヒーって頼んだつもりなのにカフェオレだったのはどうしてなのかまだ聞いてないけど、くーぴー君が選んでくれたカフェオレだから正解だった。

若岡さんに「いよいよ良い顔になってきましたねw」と言ってもらえて、そうかようやくなのかと受け入れる覚悟が出来た。別府さん鬼さんがずっとむしゃむしゃエイド食を食べているのを見て、自分には食欲が戻っていないことをかえってよく理解できた。

いよいよ顔

砂防の女ことしおりちゃんは佐賀から応援にきてくれていて、多良の森を完走したくて毎年がんばってる彼女から受け取った元気は格別のものだった。宮崎からまっきーさんも来てくれてた。広島湾岸を完走し、さらにどんどん遠くに行きそうな彼女に追いつかないと。

同じく応援に来ていたあべたまちゃんと猫丸さんがにやにやこっちを見ている。何かと思ったらとんでもないものを用意してくれていたw

どういうつもりなのかw

A6からゴール(アスペクタ112km)

うっすら明るくなり始めた5時前にエイドを後にして、残り19km。あれだけへろへろになったくせに24時間切りできるかどうかをまず考えた。全歩きで試走したCTが約5時間。それじゃ間に合わないので1時間詰めないといけない。まずは駒返峠までにエンジンをかけなおそうと思った。

寝た効果があったのか、カフェインが入ってしゃきっとしたからか、400mの登り返しは予想よりもしっかり上がることができた。この辺りを突き詰めていけば、ロングレースでの強さを身に付けることができそう。熊ゼミを先に出発していたえりなちゃんをここでもう一度キャッチする。時間の心配はもうない、一言だけ声かけして先に行かせてもらう。

A6を出るときにザックの中の余剰なものをくーぴー君に預かってもらい、液状なら補給できるはずと踏んでandoだけを持ち出した。しかし峠まで登りきってようやく飲んだ1本目のandoに胃が痙攣して派手にえづいてしまい、でも何も出てこなくてオエオエ鳴くだけ。強さとはw

口が生乾きしているので少なからず脱水を起こしているんだろうけど、ごくごく飲んでげろげろ吐いて水も飲めなくなるのは怖い。ちりちりから分けてもらったのはtopspeedの発泡性タブレットで、口に入れて水をふくむと地獄の窯のようなゲップが出ることを知ってる。とてもじゃないけど口にする気にはなれなかった。なんかごめん……

残りの距離は麦茶を舐めながら進むことにした。いよいよトレイルランナーに成ったなと笑いが込み上げてきた。

24時間切りへの残り時間が気になるけど走るとお腹が苦しくなるので、間を取ってストライドを広げて歩くことにした。前腿と脛に負荷がかかる歩き方だけど最終区間だからここで使い切ったって問題ない。

登り基調の縦走区間は6.5km、試走では元気な脚で普通に歩いて70分かかった。今回へろへろな身体でめいっぱい歩いても70分だった。試走しておいてよかったなとつくづく感じたし、それ以上に去年の100kmウォークに参加してよかったと感じた。あの日あの夜の苦しみはこうやって活かされた。一緒に歩いたひろしさんゾノくんはもうゴールしたんだろうな。

2023年100kmウォークで得た財産。
天気が良いと、五岳が見える

ガスで視界が遮られた尾根を歩きながら、試走のときに観たあまりに綺麗な朝焼けを思い出した。「試走でこれが見れたから、本番ではもう雨でも良いね」なんて話をした。本当にそうなったw
レース中に一度も会わないままだけど一緒に試走したアリサも後方で頑張ってるぽい。みんなで完走したい。

縦走区間を終えて地蔵峠に到着。残りは下るだけというところでくーぴー君にLINE。そろそろ帰りますと。でも舗装路の多い下りが内臓に響いてあまり走れなくて悔しかった。リンダさんに抜き返されて「バテバテやないすかw」とさが桜の仕返しを受けたww

24時間切りへの残り時間が気になってきて、カーブをあとひとつかふたつ曲がれば会場敷地内に入れるはずというところに居たのがジムニーに乗った服部さん。
「乗って!」
いつも通りのお兄ちゃんに癒されたw

だんだんとゴールゲートが見えてきて、仲間の顔が分かるようになった。去年完走できなかったレースの悔しさを思い出した。何かが爆発して、また仲間の顔が分からなくなって、ゴールゲートをくぐった。

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