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2022年の(しょうもないけど意外と本質を突いてるかもしれない)目標

連休のうちに母の顔を見ておこうと福岡に行く予定を立て、であればと友人に声をかけて市内の里山でトレイルランニングを楽しむ計画を抱き合わせにした。

「福岡を離れて20年近くにもなり、知り合いにばったり出くわすこともほとんど無くなった気がしてさ」なんて話をしながら走っていたら、狭い登山道で、それこそばったりと知人とーーレースで一度一緒になったことがあるだけでSNSでやりとりする繋がりしかないながらもこちらは社交辞令以上友人未満の親近感を持っているーーと行き合った。

初詣ついでのトレランですか〜?がんばりましょうね〜くらいのごく軽い挨拶を交わしてその人とは別れたのだけど、少しの間を置いて、すごくもったいないことをしちゃったな、もっと話したかったな、と割と強めの後悔の気持ちに襲われた。その場でもう少し話したいことがあったし、もしかしてそれが盛り上がったりしたらそのままランセッションを楽しめたかもしれなかった。

新年二日目から相手をしてくれた稀有な友人と銭湯の湯船に浸かりながら、この後悔に関連するいくつかの経験談を、この日と同じように「なかなか会う機会がない友人知人とせっかく鉢合わせたのに大して立ち話もできずに軽い挨拶か会釈くらいでその場を終わらせてしまった」エピソードを聞いてもらった。結婚退職してかわいい子を授かった後輩とショッピングモールで出くわしたときのことや、練習の甲斐あって素晴らしいタイムでマラソンを完走した友人と川沿いのジョグで偶然すれ違った時のことを。なぜかその場できちんと立ち止まれず、ちょろっと毛繕いするような言葉さえ出てこずに行き交ってしまった時のことを。

これだけおしゃべり好きなのに?とまでは言われなかったものの、そんなことがあるのって珍しいですね?と友は驚いていた。聞けば、彼はスポーツ用品店で偶然会った知人と30分近くもなんて事のない世間話で話し込んだのがつい最近のことだそう。何も難しいことではないように見えてはいるけど、なかなか会う機会がない人と/ばったりという条件が加わることによって、「たかが立ち話」のハードルはぐっと高くなるのかもしれないな(少なくともわたしのような鈍臭い人にとっては)と、その時はそう思った。

そんなことがあったので、2022年は「ばったり出くわした友人知人となんて事のない立ち話がしたい」を目標の一つにした。ものすごく無駄な一年にならないといいな、そして、実はあまり好かれてなかっただけなんていうオチがつかなかったらいいな、と、少しびくびくしている。

この日、山から昼ごはん&お風呂の定番コースで半日以上を友人と過ごしたあと、母のところに顔を出して滞在したのは3時間にも満たなかったんだった。髪と髭とほうれい線の皺を冷やかされながらではあったけど、ここ数年口にしていなかった母手作りのおせちは懐かしくて美味しかった。

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