「衣服としての着物」と「文化としての着物」
なんて題名で難しく言っていますが、ふと自分の中の着物って何だろうって思った次第です。
今回は『※諸説あります』どころか『※諸説しかありません』なお話です。
具体的にこの思考が巡ってきた理由としては
①国産繭の生産量が1244t(2000年)→80t(2020年)という減少をしていると知る(なお、養蚕農家さんも激減)
(ソースとして『シルクレポート2021.7月号』P40からの資料)
②今年の(成人式中止・延期の中)振袖のキャンセル数はちょっと増えたくらい(全国的に…この辺はJKS由来です)
③海外縫製(国内縫製より安い)の工場が感染症の影響で完全にストップ(純然たるただの事実です、取引先様より連絡がありました)
ということを朝礼で聞いたからという受動的なものです。
で、すごく簡単に言うと、私はどこまでを「衣服として」見ていて、どこからを「文化として」見ているのかな?と考えたわけです。
だって、着物って衣服なんですよ?
一生に一度も着なくったって生きていけます。
街に出れば「衣服として」着ている人は圧倒的に少数派です。
着物の人を見かけたら「おっ、着物着てる」って思ってしまう時点で私にとって「衣服としての着物」は洋服に完敗しております。
じゃあ逆に「文化としての着物」って何だろう?と考えてみます。
極端な例ですが、日本では一切着物の生産がされなくなり(できなくなり)、海外のウールを海外で織り、そのまま海外で仕立をした着物(ウール着物と検索すると小紋が出てくるので見た目は小紋をイメージします)。
この着物を「晴れの日にはやっぱり日本の伝統衣装の着物です!」と自信を持ってお客様にオススメできるのか。
私は多分、すごく渋い顔をするんだろうなあ、とこの文章を書きながら渋い顔をしております。
別にウールが悪いとも思っていませんし、海外仕立を利用したことのある私が海外仕立は悪だ!なんて非難できるわけもありません。
けれど、「晴れの日の日本の伝統衣装」と考えると、どうしても肯定しがたいのです。
「衣服として」着ている方の洋風な組み合わせだったり、大胆なリメイクだったり、上手に着崩していたり、という画像は検索することがあるくらいに好きです。
見ていてなるほどなあ、素敵だなあ、真似してみたいなあ、と思っているのですが、どうしても実際にその行動ができません。
その理由に私が自分が着るときに限って「文化としての着物」を重要視している部分があるのだと気が付きました。
だって、着物って伝統衣装なんですよ?
昔そのままじゃないとしても、徐々に変化していったとしても、それを丸っとひっくるめて今につながる技術としての歴史があるのは事実です。
日本の民族衣装として他の国の王族にだって対面できる衣装でもあります。
伝統文化をリメイクする・着崩すと表現すると私が自分で着物を着るときのドキドキ感が伝わりますか…?
「衣服として」なのか「文化として」なのか。
私は他の方が着ている着物に関しては衣服:文化を6:4くらいで見ているのですが、自分が着る着物に限っては2:8になっています。
何が良いというものでもありませんが、ふと、皆様はどんな風にとらえているのか、気になった中村独逸でした。
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晴れの日きもの専門店 小川屋
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