見出し画像

懺悔。

独り言というか垂れ流しというか……ここ2ヶ月間、ずっと我が身を蝕んでいるある「後悔」について語っていく。個人的感情はなるべく排せるようには努力する。しかし根暗かつ優柔不断の化身である私のことだから無意識に文章から滲み出てしまう事だろう。その場合は目を瞑って頂きたい。何卒。


さて、時は1年半前、私がまだ高校3年生の頃に遡る……某新型ウイルスのせいでメチャクチャになってしまった私の高校生時代だが、それでも時の流れは残酷なもので否応なく「進路選択」の時が迫ってきた。実は私は高校入学してからすぐに「高校卒業したら自分の好きなものを学びたい」と漠然と思っていたのだ。今思えば何と阿呆な考えだろうと手で顔を覆いたくなってしまうのだが、その結果私は「映画を学びたい」という結論に至った。それを仕事にしたいというわけでもなく、ただただ「映画が好きだから」という理由で。

では映画を学べる学校はどこにあるのか、軽く調べてみた結果出てきたのは「日芸」だった。日本大学・芸術学部。私が通っていた高校の偏差値は中位であった為、比較すると必死に勉強すれば入れるかなーぐらいのランクであった。しかし進路選択というのを完全に舐め腐ってた私は総合型選抜という選択肢を取るわけである。要約すると勉強したくなかったのだ。更に突き詰めると、当時私には一個下の彼女がいた。しかもネット&遠距離恋愛。恋は盲目とはよく言ったもので、私は「進路選択」よりも「早く彼女に会いに行く」を優先してしまったのである。まぁ何だかんだ浮気されて今はとっくに別れてるが、あの時の私に言ってやりたい……そんな彼女と別れてさっさと現実を見ろ、と。

結局、総合型選抜はESの時点で落とされ撃沈。そこまでショックでなかったのは、やはり私の浮つきまくった思考回路が原因だろう。しかしそれでも尚私は、映画を学びたいという曖昧な願望を募らせていたのである。結果進学すると決めたのは、今の私が通う所謂「映画の専門学校」である(一応名前は伏せておく……)。当然、専門学校であるため在学期間は2年。だが、最早思考を放棄していた私は「好きなことずっと学べるんだから2年間ずっと忙しくても余裕っしょ」とうつつを抜かしていた訳である。これが悪夢の始まりとは知らずに……。

無論、この時から迷いが無かった訳ではない。いくら周りに専門学校へ行く友人が多かったからとはいえ、この選択は正しかったのか。そもそも入学者数がべらぼうに少なかったりしたらどうしよう、などなど。今思えばそこで引き返していればまだ何か変わったかもしれないのに……という未来の私の訴え虚しく、専門学校生活の幕が開いたのだ。しかしここで想定外の事態が発生する。意外にも授業のカリキュラムが緩かったのだ。大抵1限からなので早起きは必須だが、それを抜きにしたって昼頃に授業が終わり後は帰るだけ、なんて日もありおまけに夏休みもかなり長い。「なーんだ大した事ないじゃん!!」と私は内心ホッとしていた。

しかし本当の地獄は後期からだった。まず夏休み明け初っ端の授業から朝〜夜まで箱詰め状態で授業。しかもその内容は、夏休み中に書いた企画のプロットを発表するというもの。そこまで著名ではないが映画監督兼講師のおっさん2人は、我々の自尊心を容赦無く砕くが如く罵詈雑言を浴びせてきたのだ。帰りの電車の中、ぐったりとしながら「あれ、学校辞めたいかも」とふと思ったのは今でも記憶に残っている。授業が長いのは覚悟していたし、むしろ前期の時点でなかったのが不思議なくらいだ。一方私の心は、この時点ではまだ平衡を保っていた。「ポスプロ業界に就職する」という目標があったからだ。このキツい時間も単なる「通過点」だ、乗り越えればきっと成長に繋がる……私の未来はこの時「まだ」明るかった。

爺2人の練り固まった老害的思考回路によって繰り出されるプロット添削を乗り越え、ようやく撮影チームが決まりここから脚本を練っていくぞ、という時期に差し掛かった11月中旬頃……私はある「事実」に直面する。それは映像業界の労働環境に関する問題だった。周知の事実かもしれないが、テレビ・映画・ドラマ・CMなどを含めた映像業界は、大企業も中小企業も隔たりなく、所謂「ブラック」なのだという。休み無し、家に帰れない、薄給、パワハラ、その他何でもござれ。その分やりがいがあるとは言うが、私は私に自問自答した……「そこまで映像に従事したいか?」と。答えはNOだ。そんな劣悪な環境で働きたいと思うほど私はイカれてないし、映画に狂ったかのように傾倒している訳でもない。だが学校の友人たちは、それでも尚映像業界の仕事に就職しようと奮起している。ここにきて私は「同級生との熱意のギャップ」を感じたのだった。思えばそうだ、私のように高校卒業→自宅から通っている者もいれば、大学を中退し入学した者、地元から上京してきた者……果てには広島らへんから上京してきた者だっていた。それほど彼らは、映画という媒体に対する熱意があるのだろう。だが私にはそれがない。このまま卒業しても何も得られない。現実的に考えてみても、このままでは資格も何もなく「専門卒」という肩書きのみが残る。しかし映像業界に就職しないのであれば、この肩書きもまた無意味になってしまう。

だが一番私が絶望しているのは、この情報を入学前に仕入れなかった事だった。更にいえばネットで調べれば簡単にヒットする情報であったため、自分のリサーチ不足に酷く絶望した。あの時、進路選択をなめてかかったツケが、いよいよもって帰ってきたのである。またこれに関しては本当に馬鹿みたいな話になるのだが……秋といえば、学校は学園祭ムードに一転する。当然私の学校にもそういった催し物があったのだが、なんと私は参加できていなかったのである。勝手に参加していた気になっていたのだ。そんな訳で私の学園祭は何もないまま終わってしまったのだが、ふとインスタのストーリーを見てみれば、そこには高校の同級生たちが和気藹々と学園祭を楽しんでいる姿があったのだ。特に私は高校時代に軽音学部に所属していたのもあり、元バンドメンバーたちが学園祭のステージで演奏している姿に嫉妬ともいうべき羨望の感情を抱いたのである。「大学に入っていればよかった」という後悔が出てきたのもこの頃だ。

そんな訳で、私はここよりとてつもない後悔の念に襲われる訳である。だがいつまでもずっと後悔していたって現状を打破できる訳でもない。少しでも前に進まねば。そう思い、まずは多方面から意見を聞くべく家族や友人、Yahoo知恵袋や幼少期から通っていた英会話教室の講師、などあらゆる人たちに相談をした。「別に今から大学入ったって遅くはないよ」「あんまり思い詰めるなよ」「やりたいことをやりなさい」……この時、私が如何に環境や人に恵まれてるかを再認識した。私の涙腺は硬いものだと思っていたが、案外緩かったことにもこの時気づいた。親の前であんなに号泣したのはいつぶりだろうか……

色んな意見を擦り合わせ「とりあえず1年生のうちは頑張ろう」という結論に至った。何せその時には既にそれぞれの部署が決まっており、私もやるべき仕事があったからだ。問題は「二年生に進級するか否か」である。辞めれば無論、私はフリーの状態になる。仮に大学に進学するのであれば1年間浪人しなければならないが、予備校に通うのであれば当然その分のお金もかかる。またこの1年間、全くもって「勉強」というものをしていなかった為に、勉強の癖を取り戻すのは至って難しいと言える。だが2年生に進級するとなると、これまたモチベーションに関する問題が浮かび上がってくる。2年間の集大成である卒業制作……当然、先述したような芯を持った人たちはこれに全力をもって取り掛かることだろう。だが果たして、私はそこにいていいのだろうか?更に映像関係の仕事にも就かないのだから、卒業するのは無意味なのではとさえ思えた。またこれは非常に個人的な感情なのだが、私はもう二度とあの講師2人と空間を共にしたくないのだ。もはや講師という枠組みを超え、生理的な嫌悪感を抱きつつある。何せ授業中でも「真面目に頭おかしいんじゃないか??」と思わざるを得ない発言を繰り返しているので……こんな壊滅的な人間性の持ち主が現場を執り仕切っていると考えるとヘドが出る。私のモチベーションを徐々に削ぐには十分だった。

「去るか、留まるか」……優柔不断な私は、今も尚どちらを選択するか決めあぐねている。ただ確かなのは、どちらも茨の道を歩むことになるであろうということ。辛いかもしれないが「あの時、進路を甘く見ていた対価」と思うことにする。とりあえず1年生の授業はあと一週間弱で終了し、そこからは長い春休みに入る。それまでに、必ず決断を下さねば……もう決して後悔したくない。なるべく悔いのない判断をしたく思う。


以上、私の懺悔をとめどなく書き連ねた雑記でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?