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『農村の嫁問題』は全国に広がる

「絵の上手な漫画家はだれか?」
そう聞かれたならば、私は迷わず釣りキチ三平を描いた矢口高雄先生の名前を挙げる。
躍動感のある高い画力で10年以上の週間連載をしていたのは驚嘆の他ない。
カラー原稿は芸術的ですらあり、水の温度がイラストからも伝わってくるほどだ。

矢口高雄先生は異色の漫画家だ。
奥さんの子供2人がいるのに30歳の時、銀行員という安定した地位を捨てて秋田県から単身上京して漫画家になった。当時とすれば極めて遅いデビューで、現在でも遅咲き漫画家として認知されている。

矢口先生の創作のバックボーンは、農村で生まれ育った実体験である。
釣りや自然を題材にしたものが多いのはそのためで、自然豊かな村で育ったことが創作に影響を与えることになった。
そして、年々豊かな自然が失われていく自然破壊について作中でたびたび問題定義を行っていた。

実は環境問題とならび、矢口先生が40年近く前から警鐘を鳴らしていたテーマが「農村の嫁問題」である。
農村の嫁問題とは、農村から離れる人が増え、さらに農家を営んでいる家に嫁がやってこなくなってしまったこと。
人口減少問題の先駆けとも呼べる現象である。

80年代の終わりごろに描かれた作品では「このあたりの村には、嫁が来てくれねえで家でくすぶってる連中が200人もいる!」と村に住む年長者が嘆いていた。
村のモデルは矢口先生の出身地である秋田県増田町(現在の横手市増田町)なので、矢口先生が地元の危機的な状況の数字を漫画に入れたのであろう。

矢口先生は農村の嫁問題が深刻化してしまった理由として『農業の機械化』を挙げていた。
昭和30年ごろまでの農作業は一家総出、一族総出で行われる超重労働だった。農繁期は猫の手でも借りたくなるほどハードなもので、農家の次男三男や近所の女性たちも立派な労働力として期待されており、村はおろか家から離れることもできない状況だった。
しかし農業機械の進化と導入が進んだことで作業量は大きく改善された。
農作業が一族総出レベルではなくなったことで、居る必要性が薄れてしまった農家の次男三男や女性が村を出て町へ行く人口流出が続いてしまった。
農業を便利にさせる機械が自分たちの首を絞めることになるとは皮肉であると矢口先生は締めくくっていた。

農家は国の根幹でありなくてはならない存在なのだが、とにかく作業と苦労が多い。
私の母親は農家の娘だったので、小さいころから労働力として期待されて働きづめだった。
養蚕をしていたので、カイコのエサとなる桑の葉っぱを朝から晩まで運び続ける生活。
土日も働き通し。
「生き物は人間の都合なんて考えてくれない」という言葉を何度が耳にしたことがある。
そんな母も父と結婚して村から出ることになったので、農村の過疎化に一役買ったのかもしれない。

それでは作中で叫ばれていた旧増田町(現横手市)の200人はどうなったかというと、どうにもならなかった。
それこそ漫画のように都合よく問題は解決することなく、農村に花嫁はやってこないまま時は流れ人は消えていった。

その証拠が日本屈指の人口減少率。
作品が描かれた85年には横手市の人口は12万人だったのだが、それから35年経った2020年には8万8千人まで大きく数を減らしてしまう。35年で3割弱の人が消えてしまうのは恐怖だ。
しかもこの数は市街地や駅周辺を含んだ市全体のものなので、農村部ともなればその寂れ方は尋常ではないだろう。
秋田県全体ではさらに悲惨なことになっている。2022年12月の1か月間に亡くなった人は1796人、生まれた人は僅か295人。なんと6倍もの差があるのだ。

嫁を迎えることができずに、限界集落ぎりぎりまで追い詰められてしまった秋田県農村部の現状は決して対岸の火事ではない。
農村と同様のことが郊外の町、地方都市でも起こることは避けることができない。
将来の日本全国で起こりえる、いや現在進行形で進んでいる問題なのだ。