立ち止まる

友人に自分の恋愛の話をしたら、「B級ロマンス映画みたいだよね」と言われたことがある。悪口だったのかわからないが、自分でもたまに思う。なんか、昔の下手なロマンス映画とか小説とか、そういう類のものかもしれない、と。でも、それでも、自分の身に起こったことでそれに素直に反応したらそうなったという結果があって、感情がちゃんとあって、別にそれが一級じゃなくてもいいじゃないかと思う。B級に見えてもそこにもちゃんと感情があって、それが私のものであることに変わりはない。

今回、高校の元彼と連絡を取り合ってしまったこと(よくあることだが)、それももしかしたらB級な恋愛ネタなのかもしれない。今日は一日そのことで頭がいっぱいになって、もう限界だと思って、妹に相談した。相談に乗ってくれた妹は色んな声をかけてくれたけれど、「色んなことがあるのが当たり前だし、それに感情が動くのも生きてる証拠。ひとつひとつ自分に優しくできるほうを選んでいけたらいいね」という言葉にはっとさせられた。本当にその通りで、今の自分に足りないのは自罰的な言葉ではなくて、ここまでよくやってきたよなぁ、失敗もしたけど、そこから一つ一つ気づいたこともあるし、一歩一歩成長しているということ。傍かた見たらバカバカしいようなことでも、そこに感情があって何かしら思いがあったのなら、私は立ち止まって考える価値があるような気がする。立ち止まってばかりなのは、そういう癖があるからだ。でも、その分、色んな気づきがある。深いかどうかは別として、単純なことでさえも、恋愛中は気づかなかったりすることがあって、誰かに話したり相談してうじうじ立ち止まっている中で、はっと気づく、みたいなことがよくある。

ただ、自分の気持ちだけが恋愛じゃないから、それで上手くいくかどうかは別問題。今回の件では、もう連絡を取るのは辞めようという気持ちになって、その意思を固めるためにも妹に相談した。私を見下すような人と一緒にいても何の意味もない、というあまりにも当たり前なことにやっと気づくことができた。今回みたいに立ち止まる、考える、悩む、そうしてるうちに勝手に自分以外の誰かがヒントをくれたりする。自分のことを知っているのはもしかしたら自分ではなくて、他人なのかもしれない。感情を把握はできるけど、「自分が何なのか」は把握できていない。恋愛とか人間関係を通してしか、「自分が何か」はわからない。他人という鏡を通してしか、自分が見えていないし、観たくないのかもしれない。立ち止まり過ぎて、見つめ過ぎて自分の底の浅さみたいなものに向き合うのが怖い。たかだか29年の底だから、そんな深いわけないのは当たり前なのに。それでも、こうしてnoteに投稿したり、日記を書いて、何とか向き合おうとしてはいるつもりだが、まだまだ修行は足りないなぁと思う日々である。

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