大御所イラストレーターと、フーとたかこちゃん

最近、某ドーナッツ屋さんの持ち帰りの袋に、大御所イラストレーターH氏のイラストが復活しているのを見て、懐かしい思い出と感情がわき起った。

昔、イラストの学校でH氏の授業を受ける機会があった。私は憧れのH氏に自分のイラストを見てもらえるのが、怖くもあり、それ以上にどんな言葉をいただいても光栄だ!と楽しみにしていた。
授業に向けて前もってH氏から課題が出され、課題はほぼ自由だったと思う。

H氏の授業を翌週に受けるクリスマスの日の夜、私の家では夕飯を軽く済ませ、クリスマスケーキを食べることになった。
この当時、私の家に長く共に過ごした「フー」というヨークシャテリアのワンコがいた。

電気が消され、こたつを囲んだ家族四人と1匹は、こたつテーブルの真ん中にある、火をともした、スポットライトを浴びたようなクリスマスケーキをしばし眺めていた。

私の正面方向にはケーキの向こうに、母が抱いているフーがいて、
私とフーはケーキを挟んで顔を向かい合わせていた。

フーも家族の人間と同じように、じっとケーキを見ているようだった。
しかし私は目の前のケーキを見るのではなく、ケーキの向こうにいるフーの、白内障の白く濁った瞳に映るケーキをずっと見ていた。

フーが私の家に来て10年ぐらい経ったか...喜んだり、怒ったり、いろいろな表情を私に見せてくれ、奥さんに先立たれ、いつの間にか私より目上の人かのような、敬意を払わずにはいられない雰囲気を漂わすようになったフー。

今、フーの目には「どこまで見えているんだろう」「何を思っているんだろう」と、私はいつまでもフーを見ていられる気がした。
フーとはあと何年過ごせるだろう、ともどこかで考えていたかもしれない。

私は瞳にケーキが映ったフーのイラストを描くことを決めた。

鉛筆と色鉛筆を使って一心不乱に、あの暗闇に浮かび上がったフーとフーの瞳を、何ならフーを過ごしてきた時間をも絵に落とし込みたいと、時々涙ぐみながら、画面一杯に描き込んだ。作品は満足のいくものだった。

しかし、H氏の授業でこの絵を提出すると、H氏から「これは犬のような建物で、目が窓になっていて、中でパーティか何かしてるの?」と質問されてしまった。確かにそのように見える。

私は自分の思いだけで、人にどう見えるかなどはまったくお構いなしで描いたことにやっと気がついた。本来、イラストはそれではダメなのは十分わかっていたし、いつもの私ならとことん落ち込むところなのだが、この時ばかりは、思いの丈をすべて絵にした満足感で満たされていたので、憧れのH氏からの、予想外のお言葉もまったく気にならなかった。

生きている犬の瞳にケーキが映っているところを描きました、とH氏に説明したところ、それは技術的にも難しいよ、とご忠告をいただき、納得はしたものの、珍しく心も折れずにいる自分に、我ながら驚いた。

さらにちょっとおもしろいことに、この日「たかこちゃん」というホンワカした優しい友達と一緒に帰る道すがら、私は軽い気持ちで、ちょっと言い訳のように、フーの絵を描くに至る背景を彼女に話してしまった。

すると優しいたかこちゃんは驚いて、「そんなエピソードがあったの!!
私にはちゃんと生きているわんちゃんの瞳にケーキが映っているように見えるよ!!H先生は間違っているよ!!」とまで言ってくれて、私はありがたやらおもしろいやらで笑ってしまった。

今、思い出してもたかこちゃんの優しさに感動する。

H氏、フー、たかこちゃん。この3者それぞれに私は思い入れがある。
そして絵を勉強していた頃の、宝物のようなエピソード。



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